加地伸行著「沈黙の宗教」を再び手にして、ちくま学芸文庫の302頁に道理・公平・別愛という節で、西洋の自由・平等・博愛に対抗する儒教的概念として対比させて論じられている。

時に「自由」については儒教的には「勝手きままま」の意味が強調されて、中村正直の約「自由之理」の理がなくなって「自由」だけが独り歩きして「利己主義」の弊害をもたらしていると言われる。Libertyに対応する語は「道理」であるとい割れる。そしてこの言葉が普及していたら時代は変わっていたのではないかと言う。

加地は「自由」の言葉の持つ「自由・自立」を理解されたうえでそう述べられている。「公平」もしかり。

だが、ここが私からすれば大事なことなのだ。もし、明治維新後に「道理」と訳されていたら、日本は近代化されなかったと思う。封建的世界観を打ち破る強い概念として「自由」なっる語が与えたインパクトは強かったと思われる。「自由」、自らに由るの理であって、まさに自立・自律を意味し、他方で「解放」Freeをも意味した訳語が。

もしこの言葉が「道理」であったならば、再び儒教的観念にとらわれてあの明治ですら封建的世界観を打破で来ていなかったものが、さらにひきもどされて、今の韓国や中国のような古い体質を持って、全くの近代化されない状態でおっしとどめられただろう。


加地さんは儒教を愛するあまり、以前論じた朝日新聞に載った中国の学者が、中国には西洋的概念よりも優れた概念を持つということを言って、全く同じ用語を用いていたが、それらの概念で構成されている世界観をもつ現実の中国の腐敗・格差社会っをどのように説明できるのか。

加地さんは、大事な側面を見落としている。

儒教概念はすべからく「上から目線」の用語であり、概念である。西洋の概念は「下から目線」の概念なのだ。それは西欧の歴史が常に<権力>との戦いの上に生まれてきていることの視座を持っていない。

孔子が君子むかい<アンタが治めるべき「民」とは、所詮理屈でいってもわからない相手だから、暴力で押さえるのではなくて、アンタが聖人のようにふるまえば、恐れ敬って従うのだから、その方がいいだろう>と言って、「民」を見下しているのだ。

西洋ではその見下された「民」が権力と争った。まずは天上の神に名を借りた教会から、しかる後その教会の庇護のもとで正当性を得た地上の権力と争った。そして初めて「民」はLibertyとFreeを実態として得たのだ。

リンカーンの「人民の、人民よる、人民のための政治」という理念の実現こそが、{自由」の根源である。

これは「道理」からは導き出されないのだ。「道理」には「上に従う」のが撮りであって「盾突く」のは「道理」ではない。

日経から出されている本に「中国立ち向かう日本、つき従う韓国」(鈴置高史著)いうのがある。

まさに儒教的に言えば韓国が道理であり、日本は「不道理」になるのかな。言い換えれば「中国に自由の立場を持つ日本、不自由な立場の韓国」という表現になる。まさに日本は独立という「自由」をもち、「韓国」は中国の属国のままという表現になる。


その意味では日本はアメリカに対していままでは「不自由」であったが、こkれから「自らの意思で」アメレイカの核の傘を利用することで「自由」になる。ここで言いたいのは自らの意思で行動がとれているかどうかということだ。


ジャック・ウェルチの言葉をもう一度いいます。

<自らの運命をコンントロール(支配)すること、さもなければ、あなたの運命は他人に支配されてしまう>

このことばこそ、西洋の価値観の<自由>の意味で、勝手主義、利己主義ではない。

自分のマインドを自分でコントロールすること、=自立・自律である。「スタンド バイ ミー」もその意味です。

加地さんは勝手気ままで利己的な若者に腹をたて、将来を憂えるが、それだかと言って儒教の価値観を植え付けないでほしい。むしろ、この「自由」の持つ意味・自律する心を知らしめるべきだし、それができたから、今の日本があると言えるでしょう。


この自立・自律=自由之理には、日本古来の思想の影響があると考えている。

それこそ日本人を日本人たらしめている所以のことに今後言及したいと思う。


書き足すと中国には「自由」という言葉は、西洋的概念での用法は日本からの輸入によるものだろう。彼らは「道理」と訳したかどうかわからない。

それよりも「自由」という言葉をいまの共産党政権がどれほど嫌っているかということを考えれば、「自由」と訳された概念の作用の大きさを理解できるだろうし、中国の権力が嫌う根源がこの言葉に秘められていることを理解できるだろう。

正直中国がどのようになろうとも、韓国がどのようになろうとも我々が関与するところではない。我々がかかわらなければならないのは自分の国の将来であり、子供たちの未来である。いまのような中国や韓国のような国にだけはしたくない。それだけが強い思いだ。そのためには、日本人のことをより深く知らないといけないのだ。