今から46年前に、マキャベリの君主論やフィレンツェ史と格闘していた名残のノートを見ていたら、当時参考文献として政治理論や政治思想史などの本の書き抜き我あった。当時は大学の学園紛争前夜であり、マルクス主義理論も強い影響を持っていた。

ゲハルロ・リッター著「権力思想史」の書き抜きを紹介する。

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緒論 近代国家の誕生時としてのルネサンス

・・・自由な人格、ときに芸術家の、協会によって支配されたちゅせい的統一文化的世界観的拘束やその精神的因襲からの解放にそそられた・・・。世界史的時期を区画するのに「個人主義」という概念は、本当はやはり適していない。・・全体として歴史的な時代区分転換は・・・ヨーロッパ主要国の中世的の週末を示す・・・近代国家の出現によって・・特徴づけられる。

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この文章を見たときに、ブルクハルトの「中世の秋」を思い出し、そこから今の中國は近代国家誕生以前のローマ教会の支配の情勢に同じではないかとひらめいた。

中国は近代化革命に失敗して、中国的封建制の影をひきづった専制主義である。その支配はヒトラーやスターリンに見る軍事的独裁の専制ではなくて、中世カソリックの支配の形式にきわめて類似していると言えるのだ。

共産党は一応合理的正当性をもつ支配だが、その行政組織は近代官僚組織ではなくて、ファラオの官僚、家産制官僚組織である。人民は世界観的拘束と精神的因襲から解放されていない。教会と同様に組織されて選ばれた法王が統治する。まだカソリックの法王は選挙だが、中国は禅譲である。

そして経済がもっとも輝いて見える。イタリアのルネサンスの華やかを思わせるものだ。しかし、その華やかさは新しい世界を生めず宗教改革の嵐にさらされる。


中国的特色社会主義というのは、単に共産党の専制を追認しているに過ぎない。そこには中世的な支配理念が息づいていると言えるだろう。なぜなら人民は<自由>を獲得していない。


≪人間に意思のある限り、自由の理念は人間とともに永遠の課題である。しかも自由は政治的自由として真に具体性たりえる。人間の歴史の一面からして確かに自由の意欲と憧憬と、その獲得への実践の過程であると言える。あらゆる思潮もまた、自由の問題を離れては意味をもたない・・»

原田鋼著「政治的自由の理念」昭和22年 研進社


昭和22年の本ですよ。日本は戦争に負けても、こういう学問への意欲はより強くあったのだと思うし、この文章も今でも通じるし、中国の人たちに読ませてあげたいくらいだ。

御用学問に終始する今の知識階層、<権力>と<学問>、<権力>と<倫理>、その根底に<権力>と<自由>が横たわる。人民論壇のちょうちん記事を見ていると、大政翼賛会に雷同して記事を書くジャーナリズムが思い出される。

宗教改革があって近代国家が誕生するわけで、その経過のない中国は、たんなる古代王朝と連なる政治思想でもって、その外装をかえたに過ぎないだろう。過去に会っては皇帝のカリスマ的支配であったり、伝統的支配であったりはするものの、家産制的官僚制度が4000年崩れたことがなかった。

そこに生活している人々のエートスが新しく作り変えられたわけではない。それは様々なスキャンダルが証明する。この倫理観の欠如と儒教倫理の形式化、ローマ教会が免罪符を売り出したことの時期と、その腐敗と聖職者たちの現世化と営利欲が中世を支配した。

しかし、彼らは芸術のスポンサーになり今に素晴らしいものを残してくれた。


しかし、これは共産党という支配者、昔であれば皇帝一族とその取り巻きが一方的に攻められるものでなく、それをそのままに放置して、その支配を受けている人民こそ問題なのだ。

共産党の問題ではなくて<人民>のレベルが<権力>に烏合することを常として、そこから<利>を得ることしか考えないからこうなるのだろう。

<義をみてせざるは勇なきなり>と先生は言われています。

でも他方で<小人養い難し>

<民hこれを由らシミべし、これを知らしむべからず>

次こそ本題に入って、孔子は<民>をどう見ていたのか、明日かけるだろうか。