もともと論語というのははるか昔に孔子様が弟子たちとの応答を記録したもので、仏陀の最初の経典と同じ形態のものだが、論語は言葉が短く端的だが、仏陀は例えを用いてわかりやすく語る。


儒と言うのは先祖をまつるシャーマンの霊能者。もともと原始的主教の起こりは世界共通的である。ただ孔子は、仏陀と違ってこの世のからの<救済>を志向したのではなくて、<民>を救う<君子>はいかに行動すれば天下をおさめられるかという方面に心を砕いた。

その時に<君子>が自分の先祖の霊をないがしろにすることで、祖霊の<崇り><禍い>を招きから、プラグマティズム的に祖霊の礼拝儀式を重視し、その儀礼に宗教的要素を加えたというよりは、祖霊崇拝そのもが<宗教>なのだ。

ただ、ここで霊の崇りや禍を祖霊に限定するのと、八百万の神々を想定するのでは同じく<霊>を祭るにしても宗教的儀式は異なってくるだろう。

孔子は<民>をよく治めるにはよく<徳>を持って行えと述べている。論語もその体系は、いかにして<君子>にな得るか、また弟子たちが各地の王に使えて、その君子的行動を指南するのだ。

経営コンサルを育成するようなものだ。もし孔子と対比してその君子の行動のノウハウを論ずるならば、イタリアのマキャベリが、相対する位置にいるだろう。

マキャベリも孔子も<君子>の行動に対してはかなりの現実主義であって、理想主義ではないと言えるだろう。マキャベリの<君主論>にはその行動と神の倫理とのはざまにあって行動しなければならないと書いた。その代わりマキャッベリも君主の<徳性>を重視してている。

孔子は民をおさめるに君子はどのような行動をとるべきかを論語に残した。

マキャベリは<神>を他方において<自らの救済>は得られずとも君主は行動しなければならぬと冷徹に説いた。他方孔子は、<祖霊>に対する祀りごとを重視した。祖霊を惧れ敬うことで難を逃れるように君子は行動しなければならないとしたのだ。

この二つの統治者へのコンサルティングの違いは、マキャベリは君主個人の心情、特に神との対立、孤独などの覚悟を説くことになった。その神との対立=孤独という見方は、その後の近代人の心情を先取りするものであり、西欧の啓蒙主義的思想や哲学に結びつく人間像を想定した。それだけ心の、精神的な負担を持つ人間が、統治者として民から慕われるには<徳>が大事だと説いた。

他方、孔子はどうかというと、マキャベリが描くような心に倫理的な緊張関係を持った君子を想定できなかった。孔子にとって、民をおさめるための君子のプラグマティズムのように、説いたのだ。

君子の行動に倫理的な精神的な緊張感はない。ただ祖霊jからの<祟り><禍>を恐れるのである。


近代的な精神構造というのはニーチェやキルケゴールなどが描いた人間の孤独と自立の精神構造だ。地縁・血縁などという古い共同体的関係から、神を前提にしてその前において平等であり、自由でありけれど、自分で人生を背負って生きていかなければならないという近代人がその延長上にでてくる。

孔子にはちょうど、真逆の構造が作られていく。祖霊を敬い恐れることは皇帝一族、いわゆる<宗簇>を大事にして、地縁血縁関係をさらに強める方向に作用した。


近代人というのは精神的な緊張関係をその中に持っていて、自分の行為に倫理的な判断をつねに下す、それゆえに死後において神の救済の確証をもとめたがった。日本人はその精神的作用を浄土真宗が突き詰めた。

阿弥陀仏に救済される、死後の浄土への導きを求めて、精神的な緊張感を日常に作り出した。

精神的な緊張関係というのはその後、日本にあっては仏教の無常観と受容的な倫理観との融合のなかで、<死>に向かうマインドとして武士道に結晶されていく。

それに対して中国の儒教は仏教をインド的なものから儒教的に変質させてながら受け入れて、その強固な<祖霊>礼拝hが、墓や位牌と結びついていく。中国の仏教はチベット仏教もそうだけど、ヒンズー教の影響を受けていて、現世内での精神的な緊張関係を造り出せなった。

ここはとてもむっずかしいのだが、キリスト教では<原罪>意識があっていやおうなしに現世での生き方に倫理的な圧力がかかる。カソリックはそれを教会が救済の受け皿になったので、緊張関係は弱められた。しかし、ピューリタンは個人個人が受けなければならないので、その緊張感を一番強くもって行動することになるので、毎日が修道院の中にいるような緊張感をもって行動したので、それが強烈なエートスとして作用して新しい、伝統的な価値観を突き破るものになって、啓蒙主義の思想を生み出すもとになったのだ。

だからアメリカでは経済人おいては<信用>が大事になり、また欧州ではフランス革命以後の価値観、<自由><平等><友愛>が生まれる。それは神の前で人間は等しく、その人の行動によってその人の勝ちが決まるという近代の人間像がうまれてきた。これは西洋の生み出した価値観であるけれど、そこに経済や政治が絡まって、<法治国家><民主主義=主権在民>というものを担う<市民社会>が誕生する。

日本は幕末期、西欧の文物に圧倒されて、その根本を理解しようとしたのだ。そして社会層も教育がいきわたっていて、特定の知識階級だけが文字や知識をを占していわけではない。江戸時代に成熟した社会を作り上げていたからこそ、西欧の価値観を理解する知能をもっていたと言ってよい。

それと儒学者にあっても朱子学の実学が日本人は大事にしたので、西欧を儒学を通して自分化していったと言えるだろう。

中国は儒教の教えを実践するよりはプラグマティズム的に手段、方法論として利用したし、仏教も日本鎌倉仏教のような革新性を生み出すことがなかった。新しい思想を造り出せずに終わった。結局儒教の形骸化があって、その実践は行われなかったと言ってよい。そのような心理的な緊張感を産み出す要素は中国には生まれなかった。それは道教にしてもおなじことであった。

中国には変革をもたらす精神的な緊張感がないままに中国革命に突入する。孫文から毛沢東まで、結局は西欧思想の根源に立ち入ることなく、形式的な近代化の進行である。

中国の近代化時期、ミルの自由論が翻訳されたけれど、それは中国大衆に届かず、知識階層の一部の者のみに知れたに過ぎない。それに対して日本では福沢諭吉の「文明論」「学問のすすめ」さらに中村正直が訳した「自由之理」が広く読まれて、後の自由民権運動につながる。


結局、近代化とは西欧文明の消化であって、その消化された上に新たな独自の価値観を付けることで新しいグローバルな価値観を造り出す。西洋文明の造り出した諸価値を十分に取り入れることができる国民のレベルがあって、それは成し遂げられる。経済的なまた外形的な模倣はできるけrど真の革新的な力をそろえることはできない。

日本がこのような社会を築き上げたのは、国民の多くがこのような社会を作り上げることに努力したのであって、一党の指導者に寄ったものではない。

中国がどのように自国の制度を持ち上げ、歴史的な粉飾をしても、22世紀に向けての新しい価値を生み出すことはないだろう。国民が求めない限り、西欧的文化価値を所有することはない。


近代経済活動にあっても、政治的な局面にあっても<倫理性の欠如>は。日常生活に緊張感をもたらさないから、その暮ぶりは、伝統的な中に埋没していくだろう。


:*学生時代に卒論にマキャベリ論を書た。その原稿があってみたら、ここで触れたように、<権力>と<倫理><自由>ということを取り上げていた。そんなわけで突然マキャベリが出てきたわけです。

実際に中国の共産党理論を見ていると、一昔戻った感じがする。

そんなわけで、孔子の論語のお勉強をしようと思う。