そして今日見た人民論壇には、
⑩「世界宪政文明体系里的“中国色彩”——宪政中国化语境中之普遍性与特殊性辨析
2013-08-19 人民论坛(2013年8月上) 作者: 苗连营 」があらわれて、中国の憲法政治の文化的普遍性を言いだしました。
⑪中国政治改革别落入西方话语陷阱(中国政治は西洋的罠にはまるな)
2013-08-23 求是理论网 作者: 张广昭
もう一つ見つけたい論文があるのですが、見つからない。
その論文は中国の政治制度とイランの政治制度をと西欧の民主主義・三権分立との対比において、中国の制度がいいという主張なのだ。それはすべてにおいて高度経済成長を遂げたからだという所に帰るのだが、そこで論じつつ、共産党支配がイランの宗教支配と同じ構図になっていることを自ら告白したようなもので、今や共産主義がドグマ化していることは間違いない。
8月に入って反日的批判記事は少なくなって、共産党の基本的な問題に触れる記事が増えたように見える。
<憲政>の問題も出て来ている。
また「再考察: 中国の不安、ソ連よりも悪い」(2013年-08-05ソース:ワールド ワイド・ウェブ)などという、中国の経済破綻の場合を予想したような書き込みもある。
やはり中国は儒教的束縛から抜け出らないでいる。西洋の歴史が作り出したもの、マルクスが眺めた「階級社会」言うのはもうすでに概念的にも実態的にも理論化できないものとなっている。また唯物史観に基づく発展法則も否定されて、マルクス主義の理論的根拠がことごとく変質しているにも関わらず、マルクス主義が提起した「持たざる者」の立場=プロレタリアート(もはや死語)=社会的弱者への普遍的な課題がマルクス理論の底辺に横たわっているから、その普遍的な課題が解決されない限り、有効性はある。でもそれは<格差社会>の是正、中間層の増大化という社会的テーマとして訴求されて、福祉国家を作り上げてきたのが西欧諸国であり、日本だ。
たしかに中国的政治体制は、広く後進的な地域では好まれるだろう。<近代化の壁>をイスラム圏でも突破できないのである。民主化が行き詰るのは、日本が初めに体験して以来、多くの国で、本誌知的な意味では乗り越えられていないだろう。日本はその「壁」を乗り越える土台は作ったけれど、とび越えられなかった。
中国とイスラム圏は過去の栄光から抜け切れないのと、西欧の歴史が作り出した概念(文明的価値)を共有する気がないと、その「壁」を乗り越えることはできないだろう。インドとロシアがその「壁」にどのように立ち向かえるか、これからの課題だろう。
間違いなく、国民の福祉にウェイトをおいた国と格差をもったままの国の文明に組み替えられていくかもしれない。そういう意味ではそのサイドのリーダー的存在になるだろう。
新しい文明の衝突がおこるかも。
中国にその「壁」を乗り越えてもらいたいのだが、19世紀に状況を脱しきれない。
日本では「自由民権運動」なる歴史的出来事があって、あの時に大久保や伊藤が反動化してしまったことが、日本の歴史を違う方向へ導いた。それは国民の<自由>よりも国家としての富国強兵を急いだ結果であった。その結果、半世紀の遠回りをすることになったし、大きな犠牲を払った。
自由民権運動、「板垣死すとも自由は死なず」という言葉がありましたね、また特攻隊員の手記に「明日一人の自由主義者が逝きます」とい言葉を残した。
大正デモクラシー、昭和十年代のデモクラシーのモダン時代など、西欧的自由を実現する機会があったけれど、朝鮮や中国に顔を向けて手を出したから、国内の革命が不十分になり、戦争を経て実現したのだ。ともかく、日本は朝鮮と中国には歴史の教訓として深くかかわらないことを国是にしないといけない。褪めた近所づきあいがいい。
日本は自国の歴史から多くを学び、未来の歴史を豊かなものにしないといけない。