私は中国の大地が好きだし、歴史も中国の庶民の人たちも好きです。

2度中国を訪ねて、そこでであった普通の人たちは、私のように普通の人でした。

毛沢東の時代、周恩来にはいたく尊敬の念を持っていました。多くの日本企業が中国の近代化のために協力したでしょう。国民も贖罪意識を持って国が支出する中国への援助にも何も言わなかった。それは韓国にも同じことです。国民として戦争を切り離して、単純に「軍部」だ「軍国主義」だと言えません。私の父も大陸で戦ったことは話しましたが、中国人を殺した話は聞きませんでした。

私の叔父も南方で苦労をしましたが、戦争を語ることはありませんでした。昭和20年から20年間、黙々と働いていた親たちを見ています。

父は中国でのことを悪く言いませんでした。中国に行きたくないとは言わなかったですね。

そう、父は中国のために残ろうとしたんですね。それは父の戦友の回顧録(ブログに載せました)で知ったのですが、当時は戦争をしたけれど、今のようにとげとげしくはなかったのでしょう。


最近、人民網や環球時報、中国青年時報などを直接ネットで見ることができて、さらに人民論壇などという硬派のネットも見つけました。そこから直接、今の中国の雰囲気を感じることができます。

今日も何本かの記事をみました。

マルクス主義北京大学教授 白雪秋教授の「新自由主義は中国夢道路の実現を助ける」 (新自由主无助于实现中国梦)

来源: 人民日中国特色の社会主義政治路線を自覚して自信を発展させる」

とか、今の中国の論調は<中国夢>と<中国特色社会主義>の発展に集中しているようです。

マルクス歴史観や毛沢東理論・階級論など、19世紀の思想をまだ払いけれずにつじつまを合わせる苦闘が続いてるようです。


面白いのですが、<中国夢>は多くの論文記事に出てくるのですが、それがなんであるかの具体的なものはわかりません。

彼等にとって開放路線30年で達成した現在が<中国夢>のようです。

面白いですね、日本は「ジャパン アズ No1」などと持ち上げられていた時に地獄の淵に立ったのでした。


中国が現在の状況を<中国夢>の実現で、その路線(中国では「道路」と書くようだ)続くことに自信を持っているというような論調が多い。中国的特色社会主義というのは<国家資本主義>のことだし、<人民社会>と<公民社会>を対比させる。中国で<公民>が<市民>を意味する。

<人民社会>の定義、概念は明確ではない。

中国では論理学や科学の方法論が十分に発達していないように思える。

もちろん、論文の多くが実証主義的ではなく、かなり思弁的だ。マルクスの資本論が当時のイギリスの事情を対象化して理論を導き出したのとは反対で、共産党的ドグマから事実を切り取っていく方法だ。

ここに中国における学問の不自由さによる停滞を見るし、御用学問になっていることを如実に知ることができる。

日本が近代化を100年かけて名実ともに近代化=市民社会の実現をした。国民の福祉と環境を守る国のビジョンを実現して、世界でも上位の長寿の国になった。そして国民は温和で、70年間平和を守り、幾度の自然災害を受けても助け合って立ち直り、一人一人の行動にも世界から驚異の称賛を得た。

今日本人が自覚すべきことは、西欧が作り上げた<市民社会>の上に<競争原理>ではなくて<共存原理>のビジョンを示したことだ。

このことは自覚していいと思う。これについてはまた改めて書こう。

我々の作り上げている社会と外目は派手だけど、競争原理で汲々としている中国の社会とを見比べてみよう。


今日、人民網日本語版で王冲という「中国青年報」エキスパート国際事務記者、コラムニストの記事を見た。
「人民網日本語版」2013821日に「中国と日本が向き合うべき未来とは」という記事だ。

GDPの規模規模競争で、すでに日本を越えたという基本認識の論調で、今後も中国はさらに大きくなるというの上に、その最後にこう結んでいる。

つい最近、私はフェニックステレビを訪問した時、一つの視点を申し上げた。北京の大気環境が東京よりよくなり、中国の義務教育レベルが日本を超えた時こそが中国が日本に勝利した時だ、と。今思うと、中国と日本の間に今後勝敗関係は存在しないのかもしれない。フランスとドイツのように歴史問題で和解を得て、アジアに「アジア連合」を創りあげていけたら、それこそが本当に素晴らしいことだ。>と。

この王冲というコラムニストは今の中国人の中にあっては孤立するような言い回しで遠くを見ている。


「時に現実よりリアルな書籍の中の日本」中国メディアが見る日本

<改革開放以降、中国人はあらためて扉を開き世界を見た。欧米化の波にさらされることは問題とならないのに対し、日本に目を移した途端、歴史的なわだかまりを払拭できない人は多い。しかし、この隣国に対して抱く個人的見解の如何にかかわらず、それは真の理解の基礎の上に構築されなければならない。成都商報が伝えた。>(これも人民網だったかな)として文学の面から日中の対比をする。

こういう論者は少数派であろう。

中国の政府がどう言おうが、それは政治であり、権力の闘争で、パワーポリティックスの原理原則に乗って動いているに過ぎない。

その動向は大事だけど、今日本が作り上げてきた<人間の性質><環境><公序良俗><長寿><ホスピタリティ>などなどの文化的価値を我々が自覚して大事にしていくことで、この地球に<共存する社会>をつくるビジョンを世界に示そう。

中国はいつまでも20世紀の価値観を引きずるだろうが、われわれは新しい世紀へ移動しよう。

日本は中国という当時いだな文化創造の国であった国に敬意を表したのであって、武力で屈したことは一度もない。日本が中国に対して敬意と親しみを持つのはその文化創造によってである。

中国がアメリカに代わる新しい文化を産み出し、それが精神的にも尊敬できる文化であるならば、いつでも頭を垂れてご教授に馳せ参ずるであろう。これは私の本心です。チベットへの迫害を止め、国民の福祉を願うシステムを作り、日本より優れた老後の生活が安心できる社会保険システムを構築し、いつでも政府に文句が言えて、街頭でマイクを持って批判をしても安心して家に帰ることができ、笑顔で自分たちの将来や学問の自由を謳歌し、政治を論じ得て、教師にこびて点数を稼ごうとすような賤しい態度を取らず、お金のあるなし、家柄で尺度を作るのではなくて、その人格と行動で評価される社会があり・・・・

そういう社会、せめて日本並み、またはヨーロッパ並みの社会を作れたならば、進んであなた方の意見をうかがうでしょう。


なぜ関心を持つか、それは中国がなぜそういう国に成れないのか、その原因を知りたいだけなのだ。それはまた、なぜ日本はこういう国になったのかという問いでもある。


経済面で言うならば、その絶好調の時期に落とし穴が掘られているのだ。それは歴史が証明している。日本もそうであった。アメリカもそうであった。遠く古代ローマ帝国も五賢帝の時代が過ぎて崩壊が始まった。

習近平皇帝の時代、その絶頂を謳歌するか、それとも転換を図れるか、いまの中國の<社会主義市場経済>=<中国特色社会主義>は自衛隊を軍隊でないと言い繕うのと同じように難しい話だと思える。

本当に<革命>が達成されるのか、伝統に埋もれるのか、その行くへを追っているのだ。国民は何を求めるのだろうか。それが知りたいから中国に感心を持たざるを得ないのだ。