68回目の終戦記念日です。終戦記念日なんて、言い逃れと思ってみたが・・・、

正式にポツダム宣言を受諾して戦艦ミズーリー号の艦上で調印をしたのはいつだ。

つまり、ポツダム宣言受諾を通知したのは8月14日で、その日が敗戦日にもなるけれど、国民に告げたのは8月15日の玉音放送によるものだ。

しかし、ミズーリー号での調印は9月2日であって、この日が世界では一般に戦勝記念日とされている。したがって戦勝に対する敗戦の確定は9月2日であって、8月15日は、あきらかに戦争続行を止めた日ということで「終戦」の日になるわけだ。

ただ我々は終戦という言葉で「敗戦」の実態を覆い隠してきたかもしれない。つまり正式に戦争が終わったのは6年後のサンフランシスコ条約の締結により、日本がアメリカの占領から解放されて国権を回復したときである。


ということで終戦記念日という言い方を否定せずに、置いておいて、9月2日を敗戦記念日と記憶するのがいいかもしれない。


こどものころ父から寝物語に戦争の話を聞かされた。中国戦線であった。九七式戦車に乗っていた。奉天の戦が一番激しく、小隊長がまじかに戦死したということや渡河作戦で戦車にグリースを塗り、水が入らないようにして、ギアを水中では変えてはけないといい、それでも数台、河中にエンコしたという話など。徐州作戦の時には敵兵がいなかったとか。

空中で戦闘機同士の戦いを見ていた。日本機が撃ち落された場面とか。貨物列車で移動中に手りゅう弾を受けて、危うく死にはぐるところだったとか。父は軍曹にまで出世したが、終焉前に退役して軍属となり、自動車の教授方で助教の役であったという。軟禁で終戦を迎えた。

終戦後、中国人から残留して中国人の軍隊の教育に協力してほしいと頼まれた。軟禁では日本人が集団で住んでいたが、中国人にとても親切にされていたと懐かしそうに語っていた。

母はたぶん、軍属になった自分に南京にいったのだと思う。二年後に上海から引き揚げてきた。佐世保に着いた。

引き上げの話も聞かされた。

ここに私の誕生の秘話がある。私は両親の子供であることを疑ってはいなかったが、もしかしたら中国人の子どで引き取られてきたのではないか思ったこともある。だから中国には親しみがあった。

なぜそんなことを言いだすかと言えば、父と私の年齢が当時としてははなれていたからだ。

私自身は中国人ではないかと一番恐れていた。しかし、成人した折にひょんなことから、日本人の養子であることが判明した。

私の誕生日は終戦日以前であるから、南京で出生したなら母もそのことを語っただろう。

中国は、本当は好きな印象を持ち続けていたのだ。

その後大学に行けて、ウェーバーの勉強をした。歴史学、思想史など、キリスト教にも惹かれた。

学園紛争の時期でもあり、ベトナム戦争の時期でもあり、反米運動にも参加したし、学園紛争にも参加していたあ左翼ではなかった。今でいえば朝日新聞的論調を支持していた。ラディカルの立場であり、憲法九条の歴史的意義を唱えていた。自民党には一度も投票することがなかった。

文化大革命、ソビエト崩壊、中欧の解放、ベルリンの壁の崩壊など、父が過ごしたj大とは違う歴史の大きな風が吹いた時代だ。

共産主義には否定的であったし、ソビエトは嫌いで中国や韓国には寛容であった。自虐的歴史観を抱いていた。世界ではおとなしくしているのがいいのだと。


2000年以降、ヨーロッパへ旅行ができた。イタリアは三回、イギリス、ドイツ、スペイン、ポルトガル、さらにトルコやエジプト、アメリカには娘の大学卒業時に二週間滞在した。バリ島にも行った。インドにも年初めて行った。2007年から毎年行くことになった。中国にも2度行った。

それらの海外旅行から日本人であることを考えさせられた。世界の人たちから嫌われていない日本人を知った。改めて日本の良さを感じ、日本の文化を感じとった。日本の常識は世界の非常識、世界の常識は日本の非常識と確信する。日本の常識が世界の常識になればどれだけ世界は穏やかになるだろうと思えた。日本人の思考は、まず先に相手のことを思うのだ。だけどそれは世界では非常識なのだ。


60歳を過ぎてからチベット子供たちの支援活動にかかわる。チベット人が言うには日本は戦争に負けたのにとても大きな国になった。学びたいという。中国の迫害は、昔、日本がやっていたことのまねではないかと。仏教を勉強した。


日本での政権交代を応援した。だけど民主党の三年間はなんであったのか、国民を置き去りにして党利党略に走り、さんざんな醜態をさらす。もう一度総括しないといけないが、鳩山内閣がアメリカとの関係を見直し始めたとたんに中国や韓国が手のひらを返すように、日本に対して攻撃を仕掛けてきた。

中国はGDPが日本をこえたことで何か錯覚をしでかしているように尊大になって危機感を抱かせた。


正直、このブログでも書いてきたけれど、民主党の体たらくは、東北アジアの安全保障にとてつもない危険があることを立証してくれた。安倍政権が舵を切りなあ押すのは当然でろう。

結果、もう一度日本の国の歴史をみなおす作業があちらこちらで起こってきたのだ

韓国も、中国も戦後の日本の賠償代わりの援助に言及することなく、反日行動を国是として金を引き出そうとする賤しい根性を丸出しにし始めた。日本が経済的に停滞しているにも関わらず、どぶに落ちた犬はさらに叩けとばかりに調子に乗って行動してくれたおかげで、いままでの自虐的歴史観におさらばすることにした。


先日靖国神社に参拝もしてきた。真実、あの対米戦争で最後に死を持って抵抗した姿があったればこそ、日本人の名誉は守られたのだという思いに至った。あれをでれでれと負けていたとすれば、名誉ある終戦は得られなかった。


私の8月15日、戦争に負けてよかった。もともと勝てる戦争ではない。だから引き分けにできるときにやめようと計画していたが、きっぱり負けてよかっつた。

以前はその負け方も斜に眺めてみていたけれど、今は堂々と負けたことがよかった。アメリカは原爆を世界で初めて使用して、人類滅亡の扉を開くという負い目を、口では絶対言えないけれど、神の前では負担に思うことをしたのだ。ジュノサイト、大空襲による皆殺し、それらは戦争の質を変えた。皆殺し。騎兵隊がインディアンを皆殺しにした歴史につながる。アメリカの本質は他方でそこにある。きれいなものではない。ピューリタンの国とはいえ、キリスト教徒以外は通用しない倫理観である。

そこまで本性をむき出しにさせてしまった戦争ということだ。


アメリカの、しいては白人社会の騎士道にも劣る人種差別的、国際法無視の無条件降伏を突き付けたにも拘わらず、天皇制を維持して戦争を終えることができた。この意味をもう一度考えてみる必要もあるだろう。国体護持で当時の人達が思ったことと、その結果とは違っているだろう。それが歴史だと思う。

もう一度日本人自身が、自分たちの作あげ守り通してきた文化がなんであるかを見直し、再評価すべき時になったように思う。


私は中国や韓国の言う歴史認識などはもはや気に留めない。自分たちが納得のいく歴史認識をすればよいし、それは多く信実に裏付けられたものであり、学問的にも実証されるものである。まして我々の先達を無意味に卑しめるような、また作為的にするようなことは承服できるものではない。


68年間の長きにわたり、紛争も戦争もなく過ごしている国は、多くない。現行の日本国憲法も広くアメリカの押しつけのように言われてきたが、昨今その原案は日本人の手になることがわかってきた。

明治新前後に文明国と称する国々から来た人たちが、日本という国を正確に評価していた。そのことを忘れてはなるまい。そして当時の志士たちが思った文明国の一員として国の形を形成していくことに傾注すれば、彼らの思いは報われるものと思う。航空母艦に体当たりしていった若者の思いは、中国や韓国にひざまずいて許しを請うようなになることではなかろう。我々は常にイノベーションを心がけて世界に貢献する国であることが、彼らを犬死にとさせないことだろう。


でも、韓国も中国もほんとうに日本と戦争をしたいのだろうか。よくわからない。やはり犬と同じでわからせるにはしっかりとしつけないといけない、今までのような中途半端な態度こそ相手に悪い。ともかく油断をすることはいけないのであって、憲法を改正をしてこの時代に見合うものにして日本の立場を明確にすることだ。中国と韓国(」北朝鮮)は「話せば分かる」国ではない。ベースが違いすぎるから無理だ。あと100年先の覚悟の上で戦略を立てるべきだろう。このような歴史はイスラエルとパレスチナみたいなものだ。それよりもレベルは低い。向うは神様の争いだけど、こちらは言いようがないほどの根拠のないことだらけだ。自分たちの欲得でしか物を見られないのだから、話はかみ合わない。陸続きでなくてよかった。

(韓国について、触れておこう。損得で動くということは、将来目先が変わることがある。今は中国になびいているけれど、もし再び日本に依存するときが来たら、今の反日運動を進めている人たちは弾劾されることになるのだろうか。まあそんなことはないけれど。その時その時で右往左往する。事大主義が骨身にしみついているんだとすれば、もう突き放す方がいいだろう。北朝鮮をしょい込んで、一緒になって反日とか抗日とか、いつまでも行っているしかないだろう。伊藤博文の見識は高かった。とでもいうべきだろう。捏造した歴史の上に歴史を重ねれば、また「できたはず」という仮定の上に歴史を作れば、ほんとうの

イノベーションできない。新しい文化を生み出せない国ということになるだろう。)


私は年老いて、戦争に駆り出されるのは若い人たちだ。無責任なことを言うというかもしれない。だけど違うのだ。若い人たちにこの国を守ってほしいのだ。こお誇り高い精神をもった日本人という世界でもまれな民族の存続を守ってほしいのだ。

若者が自分の国を愛し、誇りが持てるようでなければこの国に住む意味がないだろう。

この国で一生を終ること、いまそれが喜びでもある。それはこの国の歴史、人々に誇りがもてるからだ。そしてその一員として自分も終わりたいと願うからです。


やはり静かに多くの犠牲者の冥福を改めて祈ろうと思う。