【大紀元日本8月8日】北京市の生活用水を供給する5つの水系の汚染はいずれも深刻であることがこのほど、環境保護部の調査で明らかになった。「大気汚染の問題よりも重大」だと専門家は注意を喚起している。地元紙・新京報が8日伝えた。
 環境保護部(省)の調査は北京市の5つの水系の50の河川を対象とした。すでに干し上がった9つの河川を除き、すべての河川は汚染物質が基準値を超えている。
 汚染物質のなかで、アンモニア性窒素汚染がもっとも深刻だという。14の河川は基準値を10倍以上上回り、基準値の75倍の河川もあった。有機物の含有量を示す酸素消費量やリンの総量も、すべての河川で基準値超えが確認された。
 深刻な水質汚染は汚水処理施設の欠如によるものだと同調査。特に、都市部と農村部が接する地域では、人口は急増しているが、汚水処理施設の普及率はまだ6~7割にとどまっている。汚水管整備も遅れを取っているため、多くの地域では、家庭や町工場からの汚水は川に垂れ流されている。
 調査を行った環境保護部の華北環境保護監査センターは、北京市の水汚染状況は「危機的」だとしている。専門家も「北京の地表水汚染は、厳密に言うと、大気汚染の問題よりも重大」だと指摘し、警鐘を鳴らしている。
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このニュースを見て、北京に行くのが怖くなった。

これは大気汚染よりも怖い話に思える。日本も以前河川の汚染に襲われたけれど、今ではそのような河川は日本から姿を消し、東京の水道水ですら美味しいと言われるほどになった。隅田川もきれいになって生き物が回帰している。多摩川にはアユがいる。

経済成長時期に環境汚染の問題があり、進歩的知識人たちが中心になって環境破壊問題を批判して、世論を喚起して今日のようなきれいな国土を守ることができた。国民全員が美しい山河を守ろうと努力したのだと思う。企業家も責任を認め環境問題に取り組み、さらに新しい技術を生み出して行った。

日本には<自然を守る>という根底の思想がある。っこの自然を悪くすることが<悪>であるという共通認識がある。この山河を我々の宝だという認識がある。科学と自然の調和、それを求めてきた。

dそれはそこに住む人たちの心のありようを表すものだと思う。われわれの住む山河が美しいのは、そこに住む人間の心が美しいからだと思う。

もしわれわれの心が欲得のためには自然を破壊し、山河を破壊しても構わないという思いでいたなら、このような自然を残すことができないだろう。

清流四万十川、さらに今年から6年かけて熊本でダムを撤去するという。これも自然再生への努力と科学的技術の進歩をもたらすだろう。

自然の驚異にさらされても、じっと耐えてさらに克服する道を探す努力、それでも自然への愛着と畏敬の念を捨て去らない。日本人を作ってきたのはこの日本の風土である。美しくて厳しい風土である。その風土・自然に対して生真面目に対応してきたのだと思う。

 

中国はこのような環境問題をどのように解決するのだろうか。このままだと大都市北京は太古の都市のように水の供給が得られなくなって消えてしまうかもしれない。まあ、そんなことはなくても、汚水処理施設の普及以前に、思想を替えないといけないだろう。衛生問題も田舎のトイレをみればわかる。

羞恥心をもたない民族と言うのは、世界にどれほどいるのだろうか。中国はその最たる民族であろう。

 

トイレ論として言うならば、トイレのドアを開けたままで用を足すのは、いまのところ中国人しかしらない。

チベット人も似ているところがある。

インド人の女性が中国人のドアを開けたままのトイレを見て驚いていた。イスラム圏では、羞恥心というのを感じることができる。トイレは個別である。

 

まあこの羞恥心のない神経から環境や自然を守ろうという思想は出てこないだろう。ごみを平気で川に捨てる。汚水を川に流す。そういう思想の変革をしない限り、この国の環境は悪くなるばかりだろう。

確かに外から眺める中国は近代的な装いに代わってはいるけれど、自分たちの<領土>はほしがるけれど、<風土>を守ろうとする思想は見えてこない。今チベットが破壊されている。その自然が守られないときには、その自然からのしっぺ返しが来るのではないかと恐れる。

未来の中國を予想することはとても困難だ。

 

だけど折があればもう一度中国を旅してみたい。中国人の生の菅を見てみたいと思う。だけど今度は腹をこわすかもしれないな。