7月17日に初めて靖国神社に訪れました。

以前にも参拝したようには思うのですが明確ではありません。当時というかつい最近まで靖国神社とA級戦犯問題とに対して否定的でした。戦争そのものに対して否定的であり、左翼的志向の列に列なった発想を維持していたのだが、この年齢になって見方を変えた。

その原因は中国と韓国にある。あまりにも非科学的な、非歴史的な、非社会学的な論理と政治的なご都合主義に出くわして、学問的良心から二国の言い分に異を唱える根拠を求めていくうちに、自分のインテリ染みた思考が許せなくなった。

もともと共産党国家そのものの欺瞞性をソビエトやその衛生国に見ていたし、ヒトラーとスターリンと比べたら、ヒトラーの方がまだ許せる。レーニンの後にどうしてこういう独裁者が出てくるのか・・・

私の青春時代の学問には夢があり、ロマンがあったように思う。

あれから半世紀たち、世界の情勢は変わった。ソビエトが崩壊し、EUが生まれ、中国はもがいていた。やはり天安門事件は中国の運命を変えた事件だったのだ。

民主化は葬られて一党独裁の政治体制を維持するために反日教育を繰り返し、いわれのない難癖をつけてきた。民主党の野田首相時代にとんまな外交政策をしてくれたおかげで、中国の本質があからさまになったし、尻馬に乗って韓国が跳ねた。

おかげで私自身は自分の考えを見直す機会を得た。インテリぶって評論している場合ではないとつくづく反省した。

ウェーバー的な歴史の見方から今一度20世紀を、そして日本の歴史を振り返る。父の時代を振り返る。

自分たちが学場されてきたものが、アメリカ的な戦勝国側の見方であり、なぜ日本が「大東亜戦争」と故障したかすらも省みることなく、太平洋戦争と言い表してきた。

それでは父たちがしのいできた時代は、単純に悪の時代だったのかということ、以前はそのように考えた。軍部の独走と。

しかし、あらためて世界を見ることができて、振り返るとそこには日本人の主張は何もないではないか、ということに気づかされた。

父や叔父が大陸や南方であのような戦争をしたのは、よその国を支配するためなのか。

いやおうなしに中国と韓国の日本への非難は、もう一度自分たちの歴史を振り返るきっかけを与えたのだ。そしてあらためて靖国神社とは何であるかを考えさせた。

ネットの中で中国人の書き込みで日本をたずねた中で靖国神社に参拝して遊就館を見て、日本の多くの戦争を知ったというのを見た。靖国神社を毛嫌いしていかないのは良くない。そう思い、九段下から歩いていきました。

賛同の鳥居の大きさと、あの広さにあらためてびっくりした。ちょうちんの飾り付けの片付けをしていた。7月の大祭があった後だ。神社にあらためて参拝した。私の親戚にはここに祀られているものはいない。もし祀られていたら、長いことそのような左翼的な思いは抱かなかったかもしれない。

そして遊就館を見た。

これは軍事博物館だ。入口に零戦が展示されている。零戦はないと思っていたので驚いた。

全体を駆け足で見た。時間がなかったからだ。でももう一度ゆっくり身にこようと思った。ここはやはり一度は見ないといけないだろう。その感想は人それぞれだが、ぜひ見ていただきたいと思った。

原爆を2発もこうむった代償をわれわれは忘れてはならないし、特攻隊戦死者、その他多くの戦死者の霊が犬死であってはならない。

彼らの死に意味をもたらすのは後世の人間の役割だ。

今日の新聞に中国海軍の船が日本の外洋を走り、宗谷岬をぬけて日本海に入り、ロシア軍艦隊と演習をしたとある。さらにイージス艦を多数建造し、さらに航空母艦をもち、軍事力で日本やアジア諸国を威圧しようとしている。パワーポリティクスをソ連に代わり実施しようというものだ。

尊敬や敬愛のもてない国が、面子にこだわって軍事力を見せ付けようとしている。

これからが本当の対決時代になるだろう。中国の書き込みには日本を占領して日本省にしようというのもある。戦争を仕掛けるほど馬鹿ではないと思うが、時代錯誤もはなはだしい国が隣国にあるということに変わりはない。戦勝国歴史観を捨てて、日本人の歴史を書くためにも靖国神社に足を運んでほしい。

右翼であるというよりは、これは中道だと思う。そして何よりも社会歴史科学的でありたい。