日本と朝鮮と7-8世紀から10世紀にかけての動きと10世紀から16世紀にかけての歴史の違いをどのように見るか。



7世紀ごろ唐から律令制度を朝鮮も日本も導入して、支配体制を安定させようとした。

朝鮮は960年の高麗の統一まで新羅や百済などが併存していた。

日本は奈良時代で大和朝廷が統一を果たしている。

日本で律令制度は、古代の天皇制度において確立されたけれど、日本では902年の後醍醐天皇による班田が最後になって、その後貴族を中心とした荘園制へと移行していく。

つまり天皇家の家産的支配体制が封建制的体制に変わっていく。

他方朝鮮は、中央官僚制度とともに律令制度を維持していく。

高麗王朝での武班による支配、崔氏政権時代が日本のような武士階層の社会に生まれ変わらずに、元に支配されてからはさらに文班による中央官僚的な支配体制をつづけた。

この元の支配下に併合され、元王朝の皇帝に妃を送ることで血縁関係を結んで体制を維持した。

その後、元が倒れ、明朝になって、李王朝が確立されても、その体制は変わることなく、律令制度が維持された。

律令制度は社会的な身分制度をともなっている。

良人農民と賎民、とくに奴婢は家の財産と同じように扱われた。日本では9世紀後半から10世紀にかけて班田制が名目的になって、律令制度は消滅すると同時に奴婢が消えていくが、朝鮮は両班制度の下に20世紀まで続いたのだ。



20世紀に中国の清朝はいざ知らず、朝鮮は古い停滞的な身分制度を20世紀まで李氏朝鮮王朝が体制として維持してきた。この体制が打破できなければ近代化などあり得ない。

コリアは経済史の一般理論的な部分を考証すれば、自力による近代化など不可能と言える状態だったのだ。



高麗王朝の1076年に両班制度の経済的売らづけとなる田紫科の改定をもって中央官僚制度が成立される。中国を見習った体制を作った。これで高麗王朝の安定が図られて経済的に発展していく土台ができた。

しかし、契丹、宋、金、元、明に服従することで国を奪われずに保つのだ。つねに属国としての立場である。



朝鮮の歴史は20世紀まで「奴婢」という奴隷を維持したのだ。「奴婢」というのは家財として売り返される。

<賎民のうち、公奴婢と私奴婢は売買の対象とされるなど、奴隷として位置づけられていた。このように、律令制下では奴隷制が存在していた。>(日本の律令制度下にあって)

どのようにコリアが朝鮮の近代化の力を日本が奪ったなどという理屈は、どこを見ても成り立たない。

日本は平安時代で、「雅」の日本文化を作り出し、それ以前には日本文学の古典期でもあった。さらに、10世紀から元寇の時期までに、仏教文化を開花させている。

それに比べると高麗時期に青磁の陶器の発達、寺院の建立、印刷技術の発明など朝鮮文化が華やいで見えた時期でもあったが、元に服従し、さらに仏教を禁止することで、文化的遺産を残すことがなかった。



日本海によって大陸と続いていなかったことが、朝鮮と日本の歴史を分けた要因でもあるが、朝鮮の悲劇は元王朝に飲み込まれたことだろう。

豊臣秀吉の朝鮮出兵は、元寇の際に先兵となって日本を襲った朝鮮への仕返しもあったのかもしれない。このところは調べる必要があるだろう。

朝鮮出兵を反日の原点に据える風があるが、ようよく歴史も見直す必要があるあるだろう。

朝鮮経済史のいい研究書があったら読みたいものです。


世界各国史「朝鮮史」山川出版1987から。

「賎民身分に属して、高麗社会の最下層に位置づけられ、政治的社会的にさらに低劣な処遇を受けたのは奴婢である。・・・彼らは戸籍の主体になりえず、財産と同一視されて、売買・質入れ

贈与・相続の対象とされた」p116

1020、21年ごろに契丹の侵略を受けながら、いま世界遺産になっている「大蔵経」の彫板が開始され、87年に完成している。

寺院が多くの土地と奴婢を贈与され、また寄進・投託・兼併などの方法で所有地を増やし、高利貸しなど活動をして肥大化していったので、李成桂が権力を奪取して李氏朝鮮王朝を打ち立てたときに、仏教勢力を排斥したのだ。(p117)


最近朝鮮の歴史を改めて勉強してみると、この民族の歴史はユダヤ人以上に不幸な歴史と言えそうだ。ユダヤ人も虐げられた歴史を持つけれど、文化と自尊心というものを持っているように思える。パレスチナ問題は善く思わないけれど、歴史における悲惨さが、その質において違うように思える。

逞しいのではなくて、どこか卑屈な歴史とでも言えそうなものがある。滅んでも戦わないで生きながらえてきた民族の歴史はどこか弱々しい。

虚勢を張れば張るほどみじめなものに見えてならない。真実を極めることのできない人たちが、形式的なメンツを繕うとする行為が歴史を造り出しているとすれば、みじめだ。高麗までの歴史、そからの歴史をみなおしてもらいたいものだ。