中国の本質を考える前に、日本の本質を考える。

それは天皇制の問題に尽きる。

日本と中国を比較したときに、これは西欧と比較しても言えることだけど、まず地理的な違いと民族の違いが言える。日本は一様同一民族と称されるけれど、国民になったのは明治維新以後のことで、江戸時代は国民という意識はない。また日本国という意識は奈良時代からあって、天皇の統治時代は中国の統治制度を模倣して出来上がっている。

しかし、平安・鎌倉と武士階級の台頭が、その後の歴史を変えていく。中国も朝鮮も戦士階層が政権を担ったことがない。

このことが日本の文化を形成していき、中国と朝鮮との文化の違いになってくる。

日本は中国から官位制度や税制度など支配の仕組みを取り入れると同時に儒教を取り入れている。後に仏教を輸入した。その反面取り入れなかったものが科挙と宦官と革命思想だ。

天の思想は受け入れていて、天皇という制度カリスマを作り上げた。

日本と中国の支配者は「天」からその『民』を治める権威をいただくので、基本的に「大祭司」の立場にあるが、中国はその権威を「皇帝」自らのカリスマに与えており、日本は「天皇」という官位にカリスマを与えた。その違いは「天皇」は万世の血縁で維持され、中国は皇帝にカリスマ性がなくなれば、天に見放されて新しい人物が「皇帝」になって天意を担うという革命がおこることになる。

これはシナという大陸が多重民族であり、王朝の交代劇が幾度と繰り返されて、それを意味づけたり正当化するための論理として生まれてきたものと言える。

日本は小さい国土と単一民族的な構成から、官位カリスマとしての「天皇」を維持することが統治の目的になる。このことによって為政者は奈良時代からも有力豪族・貴族らの統治が行われていて、天皇の権威を守ることに政治が志向されていたkのように思える。

三人が触れている問題で、リーンカーンの有名な「by the people for the people」の論理の内の「by the people」という思想が「by the heaven」=「天皇」であり、それは中国とも同じなのだが、中合では「人」に、日本では「官位」にその権威が委託されたのだ

このカリスマ性支配というのは民主主義に対置する装置である。ウェーバーは「大統領」というアメリカの制度を念頭に置いて、世界を支配するであろう「官僚支配」に対する対抗軸として考えていて、その両方の組み合わせを見ていた。

西欧の帝国主義時代の「皇帝」の思想も「神権」の委託という発想からきている。

日本は「天皇」の直接統治ではなく、臣による政策で統治が行われてくるから、諸政策の失敗を天皇に帰すことができないから、とことん追求せずに終わらせてしまうという風習とでもいうのか、そういう文化を生み出してしまった。

こういう意味では個人のリスポンシビリティとアカウタビリティ、つまり遂行責任と説明責任がないがしろにされるという文化を創り出している。これは本来の民主主義から見るとグローバルな価値意識ではない。

日中戦争と言われるシナ事変の責任が問われないのもこの延長にあり、原発問題の東電や民主党政府や官僚のホッカムリの遠因はここにある。

この無責任さと説明責任を果たさない体質を日本は自覚的に変えないと、世界に受け入れてもらうのが難しい。政治の世界で国際間においていい加減な地位にあるのはこの体質のためだと言える。


日本の本質は、「天皇制」の維持にある。

では天皇制を廃すればいいのかという問題に置き換えられそうだが、天皇という装置を隠れ蓑にして過去、為政者が自己責任を明確にしてこなかったことが問題であって、制度上のこととして考えればその逃げ道をふさぐことができるだろう。

英国の政治形態と日本の政治形態は似て非なるものであるかもしれない。

今後日本がグローバルな民主主義的な価値観を持っていくならば、日本はリスポンシビリティとアカウタビリティを明確にしていく考えを徹底させないといけない。でないと意味不明な国になってしまうだろう。

その事態を導くのは「官僚支配」の結果であって、それを打破するためにも「カリスマ性」のあるリーダーが必要とされるのだ。


日本の政治思想「みんなで渡ればこわくない」は世界の共通思想ではないのだ。世界に対してわかりやすいメッセージを発信して、我々の政治行動が理解可能の、計算可能な形にすること、これが大事になる。

天皇制について自分の意見を言うのであれば、英国の王室と同様に、天皇になる人は大変だけど存続させていくことでいいのではないだろうか。

これんも変な話で、ローマ法王は自分でやめることができるけれど、天皇は自分でやめると言えないのだ。これって人権無視だ。もともと神様にしてしまったからだけど、生まれたときから「天皇」という官職カリスマを背負わされているのだから大変だと思う。

天皇機関説という説を美濃部博士が書いて不敬罪に問われたけれど、今一度見直すべきでしょうね。

日本人の無責任体質と追及をしない体質、これが我々が作りあげている文化の本質にある。

それは「天皇」という官職カリスマを守るために作られてきた体質だと言える。