今の私には中国のことを考えているのが一番楽しい。なぜならこれほどまでに面白い歴史の生々しい展開を客観的に見ていられることはそうあるものではない。日本の歴史がこの大きな大陸と海を隔てて長いことよき煮つけ悪しきにつけからまった歴史を作ってきた。

ただそこで出来上がってきた人々の性格、思想の違いのいかに大きいかを改めて知ることができる。

そして世界史の中に置いてみると、この二つの国がどのように変容していったかは、推理小説を読むように筋を終えれば面白いのだ。

ただ前提がある。我々は過去において中国は偉大な文明を持ち、権力と富をもち、西欧とは全く異なった世界をつくっていた事には敬意を持たなければならない。その過去との歴史と20世紀以降の現代の歴史もその線上にあって、その時に言えることは「中国革命」がどういう文化を創り出したかということの評価に尽きる。

 

過去近世以後、革命と名のつくものを振り返ると、東洋に会っては中国革命のみであって、革命は西欧の産物である。本来の《革命》思想は中国のものであって、それは王朝の交代を意味するものであった。

その歴史から見れば、近代的社会科学を受けていない自由な学問的土壌がない社会にあっては、歴史を見る見方を変革する新しいものは創出されず、言い換えれば西欧的な科学思考を取り入れられず、ウェーバーが学問の世界で強く集中していた「価値自由」のもんだいがない限り、儒教的知識と毛沢東的思想の枠の中で、社会・経済・歴史を分析するしかなく、つねに自己中心的中華思想を根底に持つ限り、西欧的な思想風土を理解することはできないだろう。

おし中国でウェーバー的研究がなされるようになったら、びっくり仰天してしまう。そういう意味からすると日本が早くからウェーバーの学問を取り込めたことは、マルクス思想を絶対化した国に比べて学問の自由があった。経済の近代化のもんだいの時に、声高に言われることはないけれど、この《学問の自由》こそ、近代化の要因のひとつだ。日本は天皇制に関する研究で美濃部さんが「天皇機関説」を説いて、不敬罪に問われたけれど、それでも天皇制を科学的に分析する態度があった。

その学問の自由を奪うものが《政治》である。

政治が自由であることにおいて、学問の自由がある。日本が作り出したものは、西欧のキリスト教支配の中から学問の自由を造り出してきた西欧科学の学問体系を、日本でも実現させた素地をつくったということだ。この素地を創出できないかぎり、真の意味で近代化はない。そういう意味においてはイスラム世界と中国は群を抜いて、非近代である。

ウェーバ-がシナ的化石と評したのは、中国が持つ思想的土壌を分析したからだ。彼らの文明の特徴は「伝統主義」お際立った携帯である。それは資本主義経済も、政治体制も、思想も生活様式も、その外観はかわってもつね「伝統主義的」であることによって、中国文明を維持するのである。その他方がイスラム文明で、共通するものは暴力の日常化である。

 

中國とイスラム世界は原子爆弾をためらいなくし使用する可能性をもつ。また外観は近代的な建築物で満たされるだろうけれど、その根底にあるのは伝統主義への回顧である。

日本はアエセアン諸国に対して「学問の自由」を輸出することが必要だ。日本は西洋の近代的思考を身に着けてきた。それと伝統的思考も理解している。西欧にも伝統主義はあった。その伝統主義を打ち破ってきたところに近代的学問が生まれてきた。そのことをアセアンの国々の人たちに伝える役割があると言える。

中国の学者がどのように言おうと、今の体制下にあっては「価値自由」と「客観性」はないに等しい。それと西欧の歴史を、そのものとして理解する素地はないだろう。常に自国の歴史が優れた歴史だという政治的配慮が入るから、正しい認識は生まれてこない。それは韓国・朝鮮にもいる。イスラムの国々も同じことだ。

その意味でインドの世界において学問というのが実用的な分野から、さらに社会科学的な範囲で自由な態度が取れれば、もっと発展する可能性がある。彼等には歴史を現実のものとして受け止める態度があって、それと価値判断を切り離す思考上の素地がる。この差は中国と比べたときに大きいものとなる。中国は所詮物まね大国で、根は伝統主義の塊である。インドは変わりゆく可能性を秘めている。ヒンズー教の伝統主義が「学問の自由」を閉塞させない限りにおいてではあるが。

学問・真理の神さまが生まれ、多くの神々と併存していくことによって阻害されることがないかもしれない。インドは中国を見極めた次の課題です。