最近ジニ係数という経済格差の指数が問題になって、中国では.0.61という数字がだされた。通常4.4をこえると暴動や社会騒乱が起こる数値だという。それでも中国では騒乱も起きないし、共産党独裁をやめさせようとするような動きもないし、軍隊もクーデターを起こす気配もない。

つまり、取り立てて騒ぐ方がおかしいのではないかという気がしてきた。

中國というのは、過去に自ら何かを生み出すような、つまり歴史的に貢献するものを造り出したことがない。もしあるとすれば秦の始皇帝以後の中央集権による体制であって、科挙、宦官、家を中心にした氏族共同体、官僚の賄賂は制度であって、それが悪いという思想はない。

それと大事なことは司馬遷の歴史記述はあるけれど、学問という分野で客観性を追求する過去がない。つまり、中国において学問は支配者の管理するものであって、批判するものは学問になりえなかった。


客観的に社会現象を分析する科学的態度は共産党政権に置いて完全に破壊された。その傾向は皇帝支配の時代には、少しはあった<学問の自由>すらも奪った。それによって<真実>は常に権力者の側にのみあるものとなった。

言論の自由などは4000年の歴史の中に一度もないにしとしい。だから今の中國を近代社会的な尺度で見てはいけないのだ。ジニ係数の数値は過去の時代と変わらない数値なのだ。

富の偏在も4000年の歴史にあって、それを不思議に思わない神経が出来上がっているのだ。官僚がなぜ賄賂を受け取ってはいけないのか。それは西欧的近代の思想出会って、中国ではそれが礼儀であった。

世界が言うから習さんも言うけれど、中国では当たりまえのことなので、取り締まることなどできない。上から下まで権力につらなってれば、そのチャンスを生かすのが中国流なのだから。

我々は西欧的な、また仏教的な倫理観で中国を見ている。それが間違いなのだ。

彼等にとって、金を得られるときに得て、さっさと財産をもってよその国で安穏に暮らす。これが成功者なのだ。

この国には皇帝という権力者とその一族が、その支配の正当性に置いて人民を搾取していいのだ。中には立派な皇帝もいたけど、金持ちか貧乏人か、その二つの世界しかなかったのが中国だった。

そこへ毛沢東が貧しい人民にニンジンをぶら下げた。それに飛びついて一時は楽しい夢を見たけれど、結局は昔と変わらない状態になった。始末に負えないのは、暴力を否定しない風潮が植えつけられたのだ。文化大革命などと言って、法治国家ではありえない行動が許されて、若者たちが暴力をふるう行動を覚えたことだ。

この国は支配者とそれを取り巻く連中が、農民や弱者を食い物にして富を横領してきた。だから今の状態を嘆くことはなく、中国人である限り、常の事なのだと見つめてるから政府に対する暴動が起きないのだ。

共産戸が起きないようにしているのではなくて、だれもどういう国にしたらいいのかわからないのだ。

中國ほど化石化している国はない。どのように高層ビルが建ち、高速鉄道が走り、kぉ右側道路があっても、航空母艦をもっても、それは国民を守るものではなくて、軍隊が中国では常に皇帝の軍隊であったように昔の姿に戻ったということなのだ。

中国革命というのは、中国の近代化にとってその萌芽をつみとり、再び伝統主義的体制へ戻るまでの、人騒がせな騒ぎで、中国の近代化を遅らせた要因以外の何物でもない。毛沢東の死後、、そのバカ騒ぎを鎮めて、旧体制になることで中國は安定するのだ。


中國で起こっていることおかしいのではなく、清朝、明・唐などの時代の様相を見てると思えば納得がいくのだ。中国革命は<西欧>を学ぶ要素をつぶしてしまったから、外見的には近代的な装いはできても、その中身まで変化させることはできないで、結局は中華原理主義への回帰になっていく。

経済的な破状も恐れることではないのだ。貧しいものには関係なく、富んだものは逃げるだけだ。もともと国民意識などという近代国家を前提とした意識が支配階級にも人民にもないのだ。あるのは多民族の集合体として中華思想なのだ。

中国史上最悪の革命であったかもしれない。国民党が政権を撮っていたら、少しは近代化をなしえたかもしれない。まだ<学問の自由>は残されたであろうから、硬直的な思想で覆い尽くすことはなかったろう。


バブルがはじけても中国人はしぶとく生きていくだろう。この国には民主主義は生まれてこないのではないかとすら思える。

あまりにも近代科学を受け入れる素地が出来上がっていない。小学校の時から偏向教育をし続づける結果、、近代的な学問体系から取り残された偏った思想偏重の世界が生まれる。原子力や軍事科学や重工業的な科学の成果はそれを取り入れれば外側は、まねることができるが、その原理的な部分を理解することができない。たとえば高層ビルにしても、高速鉄道にしても、その取り入れた段階の技術はまねできても、その原理なり基本部分の化学が理解去れてないと維持八園・改良ができないことになる。

中国の状態はこれあら機械的化石化の方向にうごくかもしれない。あの高層ビルディングをどう維持し、50年後にはどのように対応するのかその技術が生み出せないで、また日本などから技術をかすめ取るしかないのだ。50年後に今のような活力があるかどうかはわからない。

とても怖い状況を想像せざるをえないのだが。