序文
20世紀、90年代初頭、旧ソ連を始めとする社会主義の陣営が崩壊し、約百年も続いた共産国際運動が失敗に終わった。しかし、中国共産党は一つの異例として残り続け、しかも世界人口の五分の一を占める中国を統治している。ここに避けて通れないある問題が存在する。つまり、今日の共産党はまだ共産党なのだろうかという問題である。 まず、今日の中国において、中共を含めて共産主義を信じている人はもういない。五十数年間「社会主義」を唱えてきたが、今は株式制、私有制、外資企業を導入し、労働者を最大限に圧迫し、共産主義の理想と相反する道を走っている。しかし、それと同時に中共は引き続き共産党の絶対的な指導権を握って離さない。2004年改定された新憲法の中には、相変わらず「中国各民族の人民は引き続き中国共産党の指導の下で、マルクス・レーニン、毛沢東思想、鄧小平理論及び「三つの代表」など重要な思想に導かれ、人民民主専制と社会主義の道を歩んでいく」という内容が盛り込まれている。 今日の共産党はあたかも、「豹は死んだが、その皮はまだ残っている。」[1]のように、中共に継承され、共産党の統治を維持している。では、中共が継承した共産党という皮、この組織は、その本質はいったいどういうものなのだろうか?
一、共産党の邪教的特徴 共産党の本質は実はほかでもなく、人類に危害を与える邪教なのである。 共産党は自身が宗教であると自称していないが、宗教的色合いを濃く持っている(表1参照)。立党当初、共産党はマルクス主義をこの世の絶対的な真理とした。マルクスを精神上の神様として崇め、共産主義という「この世の天国」をもって党員を惑わし、生涯共産主義のために身を投じるよう仕向けたのである。 共産党は正教とはっきりした違いがある。正統な宗教は皆神を信じ、善に向かい、人々の道徳を育成し、その魂を救うことを目的としている。これに対し、共産党は神を信じておらず、しかも古来の道徳に反対している。 共産党の行いは、それが邪教であることを証明している。階級闘争、暴力革命と無産階級専制を共産党の教義とし、残酷な暴力と虐殺によって成り立つ、いわゆる共産革命を引き起こした。共産党政権の赤色テロは一世紀ほど続き、世界半数の国家に影響を及ぼし、数千万人ないし一億人にも及ぶ人々の命を奪った。このような人間地獄を作り上げた共産党こそ、この世の最大の邪教である。 共産党の邪教の特徴について、以下六項目にまとめることができる。 (一)教義を作り上げ、己に反対するものを消滅させる 共産党はマルクス主義を教義として信奉し、それを「破ることのない真理」だと標榜している。共産党の教義の中に仁愛、寛容はなく、高慢で自尊自大以外はない。マルクス主義は生産と科学がまだ立ち遅れていた資本主義初期の産物であり、人間と社会との関係、人間と自然との関係についてまったく正しく認識していなかった。このような異端邪説は不幸にも、国際的な運動になり、百年にもわたってこの世を害し、結局実践によって間違いだらけであることが証明され、人々に棄てられた。 レーニン以来の共産党の指導者たちは共産党邪教の教義に新しい内容を加え続けてきた。レーニンの暴力革命の理論から、プロレタリア独裁下で革命を続行する毛沢東の理論、更に江沢民の「三つの代表」まで、共産党の歴史上この類の邪説が溢れている。これらの理論が実践の中で絶えず災難をもたらし、しかも前後矛盾しているのにも関わらず、一貫して正確であると標榜し、国民に学習するようにと押し付けてきた。 自らと異なるものを消滅するのは、共産党邪教が伝教する際に最も有効な手段である。共産党邪教の教義と行為があまりにもでたらめなため、暴力で自らと異なるものを消滅することによって人々に受け入れてもらうしかない。中国共産党は政権を奪取したのち、「土地改革」の中で地主階級を、「社会主義の改造」の中で資本家を、「反革命粛清運動」の中で民間の宗教勢力と元政権の人々を消滅し、「右翼反対運動」の中で知識人を黙らせ、「文化大革命」の中で伝統文化を根こそぎ破壊し、人々が「毛沢東語録を読み」、「忠字舞を踊り」、「朝指示を仰ぎ、夜報告し」などの儀式や運動により、共産党邪教が名実ともに天下を取ったのである。その後、毛沢東及び鄧小平の後、共産党は「真・善・忍」を信じている法輪功は共産党から国民の心を奪うのではないかと決め付け、法輪功を消滅させようと思った。それゆえ、大虐殺を目的とした迫害を起こし、今でも事態は収まっていない。 (二)教主崇拝、唯我独尊 マルクスから毛沢東まで、共産党の指導者の肖像は高く掲げられ人々に礼拝させ、指導者の絶対的な権威に対する如何なる挑戦も許されない。毛沢東は「赤い太陽」、「救世主」になり、彼の話なら「一言に一万言の力がある」とされていた。「普通の党員」である鄧小平はかつて皇帝の親のように中国の政治を司っていた(院政を敷いた)。江沢民の「三つの代表」は句読点を入れてもわずか四十数文字でしかないのに、まさに笑い話のようだが、中国共産党中央委員会第四次全体会議は「社会主義とは何か、どのように社会主義を建設すべきなのかという問題に答えを出し、どのようにどのような党を建設するのかの問題にも建設的に解答し、マルクス・レーニン主義、毛沢東思想、鄧小平理論を継承し更に発展させたものである」とまで標榜した。 スターリンは罪のない人をむやみに殺し、毛沢東は文化大革命という大災難を発動し、江沢民は法輪功を弾圧しているなど、この全ては教主独裁によるものである。 中国共産党は『憲法』の中で、「中華人民共和国の全ての権力は人民に属している。人民が国家権力を行使する機関は全国人民代表大会と地方の各レベルの人民代表大会であり」、「如何なる組織または個人も憲法と法律を超える特権を有してはならない」[2]と規定したにもかかわらず、『党章』の中で中国共産党は「中国特有の社会主義事業を指導する際に核心であり」、党を国家と人民の上に乗せた。人民代表大会常務委員会の委員長は四方八方で「重要な談話」を発表し、人民代表大会が「最高」の国家権力機関であり、「党の指導」を堅持しなければならず、中国共産党の「民主集中制」という原則に基づき、全党は中央に従うべきであると言っている。はっきり言えば、「人民代表大会」が堅持しているのは「一党独裁」であり、しかも立法という形で「共産党」の「一党独裁」を保証している。 (三)暴力で洗脳、マインドコントロールを行い、緻密な組織を作り、入ることはできるが出ることができない 共産党という組織は非常に緻密で、党員になるには二人の紹介者が必要で、入党したら、党に永遠に忠誠であることを誓わなければならない。党員は党費を納め、党の定期的な勉強会に出席しないといけない。党の組織は各レベルの政権に存在し、各鎮、村、町内に党の組織がある。党は党員、党務だけではなく、非党員まで同様にその管轄下に置かれている。なぜならば、全ての政権は「党の指導を堅持しなければならない」からである。共産党教会の「神父」、即ち各レベルの党委員会の書記らは階級闘争の時代に、何をしても素人だが、人間を懲らしめることだけを最も得意としていた。 定期的な勉強会にある「批判と自己批判」は、長い間使われてきた普遍性のあるマインドコントロールの手段である。共産党は歴史上、数度にわたり、「党の粛清」「風紀を整える」、「裏切り者を探し出す」「AB団を殺す」、「党を正す」など周期的に暴力手段をもって党員の「党に対する意識」を養い、党に永遠に逆らわないようにしてきたのである。 入党すれば、共産党に身を売ったと同じである。国の法律の上に更に党の綱紀がある。党は党員を除名することができるが、個人としての党員は離党しようと思ったら、多大な代価を支払わなければならない。離党すれば、党の裏切り者になる。更に、共産党邪教が天下を統治していた文化大革命の時代に、党から死ねと言われたら、生きることができず、生きろと言われたら死んではならない。自殺したら、「自絶於人民」(自ら人民との“連帯”を絶った)と言われ、家族にまで被害を及ぼしてしまうのである。 党内の決定などは密室で行われ、党内闘争はこの上ない秘密であり、党が発行した文章は機密文書である。悪いことをしたら暴露を恐れ、何かあったらすぐ「国家機密漏えい罪」で異議を唱える人を懲罰する。 (四)暴力を吹聴し、殺戮を崇め、教えのために死ぬことを奨励する 毛沢東は「革命はお客さんを招待することではなく、文章を書くことでもない、絵を描いたり花の刺繍をしたりするような上品なことではない。革命は暴動であり、一つの階級がもう一つの階級をひっくり返す強烈な行動である」と言っていた。[3] 鄧小平はまた、「二十年の安定のためなら、二十万人を殺してもよい」と述べた。 江沢民は「肉体を消滅させ、名誉を毀損し、経済から断ち切る」と話した。 共産党は暴力を吹聴し、今までの政治運動の中で、数え切れないほどの人間を殺し、「敵に対し厳冬のように冷酷無情であるべきだ」と国民を教育してきた。赤い旗は「烈士の血によって染められてできたものだ」とされている。共産党の赤に対する崇拝は実は血に対する崇拝である。 共産党は英雄を手本として立て、党のために命を捧げることを奨励してきた。延安で阿片を生産する竈で死んだ張思徳について、毛沢東は「彼の死は泰山[4]より重い」と評価した。あの気が狂った時代に、「苦も死も恐れない」「命を捧げる勇気と高い志を持つために、日も月も新たにすることをも辞さない」などの豪言に実は物質の貧困に追い詰められたときの狂気が入っていた。 七十年代の終わり頃、ベトナム共産党が出兵し、中国共産党が育ててきた、極悪非道の「クメール ルージュ」政権を覆した。中国共産党はいくら不満であっても、中国とカンボジアの間に直接の陸上輸送ルートがないため、直接軍隊を派遣することができなかった。したがって、中国共産党は「対ベトナム自衛反撃戦争」の名の下で、ベトナム共産党を懲らしめるため、中国とベトナムの国境で戦争を起こし、数万人の中国兵士がこの共産党の間の闘争のために尊い命を捧げた。彼らの死は実は国家領土の主権とまったく関係はない。数年後、中国共産党はただの一曲の歌「血に染められた風采」をもって、無意味に犠牲になった若い生命が「革命英雄主義の精神」に対し捧げられたとして片付けた。しかし、1981年百五十四名の兵士の命を失って奪還した広西法 2003年、「SARS」が流行っていたとき、中国共産党は若い看護婦たちを「第一線で入党させ」、そして病院に彼女たちを閉じ込め、感染された患者の看護をさせた。これらの若い人を最も危険な第一線に行かせ、これを機会に共産党の「苦も死も恐れない」輝かしい姿を打ち立てようとした。しかし、この時江沢民は死を恐れ、側近を率いて北京から上海へ逃れ、SARSから逃げていたのである。 (五)神の存在を否定し、人間性を扼殺する 共産党は無神論を宣伝し、宗教は人間を麻酔させる「精神的なアヘン」であるとし、自分の統治範囲内で全ての宗教を消滅し、またはそれを征服した。そして、自らを神のように仕立て、共産党邪教で天下統治を実現させた。 共産党は宗教を破壊していると同時に、伝統文化をも破壊した。共産党は伝統、道徳、倫理を封建、迷信だと言い、革命の名の下で排除した。文化大革命の中で、多くの夫婦は互いの弱点を暴露しあい、学生が先生を殴ったり、親子が反目したり、紅衛兵が罪のない人をむやみに殺し、造反派は物を壊したり人を殴ったりするなど、中国の伝統文化に反する醜悪な世相を造った。これはまさに、中国共産党が人間性を扼殺したことの結果である。 建国して以来、共産党は強制的に少数民族を共産党の指導に従わせ、豊かな民族文化もこれによって喪失し、または変異してしまった。 1989年の「天安門事件」の時、「人民の子弟兵」は北京で惨殺を繰り広げ、国民は政治に対して完全に失望し、その後人々はお金に目が眩むようになった。 1999年から今日まで、法輪功に対して残酷な弾圧を加え、「真・善・忍」を敵とし、それにより社会の道徳は著しく低下した。 新しい世紀に入ってからも、新たな立ち退きや金品の搾取によって多くの民衆は路頭をさまよう生活を強いられ、陳情する人は激増し、社会の対立はますます激化した。[5] 大規模な活動が多発したが、軍隊と警察の暴力と武装鎮圧の餌食とされた。「共和国」のファシズム的本性は突出し、社会にもはや道徳は存在しない。 以前「ウサギは巣の近くの草を食べない」ということを良いこととされてきたが、最近は人を騙す時、親戚友人などを騙し、「親しい人から利益を取る」と言っている。以前中国人は貞操を最も大事にしていたが、今は「貧しい人が軽蔑されても売春婦は軽蔑されない」というようになってしまった。医者や教師は最も尊敬されていた徳のある人だったが、今は病院では患者のお金を騙し取り、学校は手を緩めることなく学生からお金を搾取している。中華民族の人間性と道徳が全滅した歴史が、ある民謡によって如実に表現された。「五十年代、人間は助け合う、六十年代、人間は懲らしめあう、七十年代、人間は人を嘲る八十年代、人間は自分のことしか考えない、九十年代、人間は騙しあう」。 (六)武力で権力を奪い、経済を独占し、政治経済に対して野心を抱いている 共産党が設立された当時の趣旨は武力で政権を取った後、国有制と独占的な計画経済を実施するというものだった。共産党の野心の大きさに驚かずにいられない。普通の邪教の蓄財レベルはそれとまったく比べることができない。 共産党が統治している社会主義公有制の国の中では、通常の国家機構の上に権力のもっと大きい党の組織、つまり各レベルの党委員会とその支部が設置されている。党は国家機器に憑依し、直接各レベルの政府から費用を集める。共産党はあたかも吸血鬼のように、国と社会から数え切れない程の財産を奪うのである。 二、共産党邪教がもたらす危害 「オーム真理教の地下鉄サリン事件」「ライフサイエンスの集団自殺」「人民聖殿教九百人信者の集団自殺」などのことを言うと、皆鳥肌が立ち、憎悪の念を抱く。しかし、共産党という邪教はそれより千万倍の人々に危害を加えてきた。なぜならば、共産党邪教には通常の邪教がまねできないところがあるからである。 |
大紀元社説シリーズ『共産党についての九つの論評』