二 残忍極まる殺人手段

中国共産党が行ったことは、全て権力奪取と権力を維持するためである。そして、殺人が権力を維持するための重要な手段であった。殺人方法が残忍極まれば極まるほど、殺される人数も増える。そうすることによって、更に多くの人々を脅かすことが出来る。このような恐喝は、戦争時代より以前から既にあった。

(一) 抗日戦争における華北の暴行

米国第31代大統領フーバー氏が、世界に向け雷震遠神父の著作『内部の敵』[10]を推薦した際、「この本の中で共産主義の恐怖に満ちた行動が、そのままむき出しにされている。全世界で広がっている共産主義と言う悪魔勢力について、本当のことを知りたい全国の皆さんにこの本を推薦する」と語った。

雷震遠神父は、著書の中で、中国共産党はどのような暴力を用いて民衆を恐喝するかについて、幾つかの物語を述べた。ある日、中国共産党は、ある村の全ての村民を村の広場へ集まるように指示した。子供も先生達に率いられて広場に集まった。彼らに13名の愛国青年が首を切られるのを見てもらうのが目的だ。でっち上げの罪名を読み上げられた後、共産党は既に恐怖で顔面蒼白になった教員らに、子供達と愛国の歌を歌うように命じた。歌声の中に出てきたのは踊り子ではなく、刀を手に持つ首切り人であった。『首切り人は、身体が丈夫で力が非常に強い凶悪な共産党青年兵だ。彼は一人目の犠牲者の背後に立ち、両手で幅の広い鋭い刀を持ち上げ、目にもとまらぬ速さで、スパッと切り落とした。首は地面に音を立てて落ち、鮮血がほとばしった。子供達の歌声はヒステリックになり、乱れた泣き声となった。教員らは拍子をとって音を整えようとしたが、混乱の中で鍾が鳴った』。

首切り人は刀を連続13回振り、13人の首を切り落とした。その後、中国共産党の兵士達が13人の遺体を切り開き、心臓などを取り出し、食すために持ち帰った。これらの行動は、全て子供達の目の前で行われた。「子供達は恐怖で顔面蒼白になり、何人かが嘔吐した。教員らが子供達を叱りながら、集合させて列を作って学校へと戻った」。

以降、雷神父は、子供達が強制されて殺人を見に行かされたのをよく見かけた。子供達はこのような血だらけの場面に慣れるまで、何度も同じ事を繰り返し見せられた。子供達は次第に麻痺し、中には殺人を見た刺激によって、快感を得る子供さえ出てきたほどであった。

中国共産党は殺人が恐怖に満ち、刺激的なものでなくなったと感じた時、彼らはあらゆる残虐きわまる拷問を考え始めた。例えば、大量の食塩を食べさせ、受刑者が渇ききって死亡するまで水は一滴も与えないでおく。又は、衣服を剥ぎ取り素っ裸にして、一面に砕かれたガラス破片の上を転がさせる。又は、真冬の凍りついた川に穴を開け、受刑者をその穴に放り投げ、凍死或いは溺死させる。

「山西省ではある共産党員が非常に恐ろしい刑罰を考えた。ある日、彼は町でぶらぶらしている時に、あるレストランの入り口で足を止めた。彼はご飯を炊いている大きい鍋をしばらく見つめていた。その後、彼は幾つかの大きい鍋を取り寄せた。反共産党の者を何人か捕まえて来て、いい加減な審判をし、鍋に水をいれ煮立たせた。審判終了直後、三人の受刑者は衣服を剥ぎ取られて鍋に放り込まれた。人間を生きたま茹でて死なせた。…平山で、私はある父親が生きたまま皮を剥ぎ取られて死亡したのを目撃した。彼の息子は、共産党によって、強制的に自分の父親が残酷に処刑されるのを見せられた。共産党は父親の身体に酢と酸類のものをこぼし、一枚の人間の皮が瞬く間に剥ぎ取られた。皮は背中の上部から徐々に両肩まで剥がされて行った。全身の皮が剥がれ、頭皮だけが残された。彼の父親は全身の皮を剥ぎ取られた後、数分後に死亡した」。

(二)「紅八月」赤色の恐怖と広西省人食い事件

中国共産党は、政権を手中にしてからも、暴行を慎む意思は全く見られず、文化大革命の時、このような暴行は更に発展し拡大された。

1966年8月18日、毛沢東は天安門城門で「紅衛兵」の代表と面会した。宋任窮の娘宋彬彬は、毛沢東から「紅衛兵」の腕章を授けられた。毛沢東は彼女の名前の由来が「上品で礼儀正しい」と言う意味を知り、彼女に「武力も必要だ」と言った。彼女は以降自分の名前を宋彬彬から「宋要武」に改名した。

意気込みに燃えた「武装闘争」がすぐに全国で展開された。これら中国共産党により無神論教育で育てられた若い世代は、何一つはばかる事はなく、恐れる事もなかった。共産党の直接指導の下、彼らは毛沢東の指示に従い、愚かにも、狂気じみた大胆不敵な悪事を働いた。むやみに人を殴打し、人の家財を奪い取るなどのことは全国に亘り多発した。多くの地区は「黒五類」(地主、資本家、反革命者、悪人、保守派)に対し、「根こそぎ抜き取る連座」の絶滅政策を取った。大興県が最も典型的な地区であった。8月27日から9月1日まで県内の13公社、48大隊に対し、前後325人を殺害した。年齢は、最年長で80歳、最年少はわずか生後38日だった。計22戸の世帯が全滅させられた。

「生きたまま人を殴打して死なせることは日常茶飯事。沙灘町で、“紅衛兵”の男子グループが鉄のチェーンと皮のベルトを使って、ある老婆を身動きできなくなるまで殴り続けた。そして、女子の“紅衛兵”が老婆のお腹の上を飛び跳ねたりして、老婆が息を引き取るまでお腹を踏み潰し続けた。…今回の運動の中で、崇文門付近にある“地主の老婆(独居の未亡人)”の家を“家宅捜査”した。紅衛兵は近所の各戸の人に熱湯の入っている魔法瓶を持って来させ、強制的に彼女の首に熱湯を注ぎ、首に火傷をおわせ、首の肉が煮え切れるまで止めることはなかった。数日後、家に放って置いた死体はウジに満ちていた。…当時の殺人方法は多種多様で何でもありであった。棍棒で人を殴ることも、鎌で人を切ることも、紐で絞め殺すこともあった。赤ん坊に対しては、更に残忍な手段を用いた。赤ん坊の片足を踏み押さえ、もう片足を強引に引き裂き、生きたまま二つに引き裂いた」。(遇羅文『大興虐殺調査』より)

大興虐殺より更に野蛮な事件は、広西省における人食事件であった。鄭義氏はそれを三つの段階に分けて分析した。[11]

一、初期段階:人目を忍んで行い、恐怖に満ち気味が悪かった。某県のある案件記録は、典型的な場面を記している:深夜、殺人犯らが殺人現場へ行き、死体から心臓を取り出したが、経験が無い上に恐怖の余り間違え、肺臓を持ち帰ってしまった。やもなく、再び殺人現場へ行った。…料理が出来た。家から酒を持って来た者、おつまみを持ち寄って来た者らは、かまどの消えかかった明かりを頼りに、声も出さずに食べ物を貪った…。

二、上昇期段階:日増しに、勢いが増している。この段階になると、心臓を取り出す経験は相当ある。その上、人肉を食べたことのある先輩ゲリラ隊員の伝授もあり、技術はできている。例えば、生きている人の胸部を切開するため、あばら骨の下部を、ナイフで「人」の形に切り、腹部に向けて足で踏みつければ(被害者がもし木に縛り付けられているならば、ひざを用いて腹部を目がけて押し込む…)、心臓と腹部の内臓が自然と飛び出す。先頭の者は心臓、肝臓、生殖器を切り取り、残りは他の者に、自由に分配させる。赤旗は風に翻り、スローガンが大きく響き、盛大で勇壮な場面なのである。

三、 群集全体が狂気じみた段階:特徴は一言で概括できる:人食い集団。例えば、武宣市では、まるで伝染病が氾濫した時、死体を食べて目を赤くした犬の群れのようであった。人々は人肉を食べる。気が狂ってしまったように食べまくる。何かするとすぐに人を引っ張り出して「批判闘争」を行う。そして、批判闘争の後は必ず彼らを食べる。一人が倒れれば、息を引き取ったかどうかも構わずに、大勢の人が群れをなして押し寄せる。それぞれが事前に用意してきた包丁やナイフを倒れた人を目がけてどこの部分でも構わずに人肉を切り取る。…ここまで来ると、一般の群集も人食いの流れに巻き込まれて行く。ほんの僅か残された罪悪感と人間性も、「12級台風の階級闘争」によって、綺麗さっぱり吹き飛ばされてしまう。人食いの疫病は武宣市を席巻した。最頂点に達した時の形式は、「人肉宴席」と言っても、全く誇張ではなかった。人の肉、心臓、腎臓、ひじ、関節、関節の筋を…蒸す、煮る、焼く、炒める、餡かけにする、油で焼くなど、盛りだくさんの料理を作り出した。そして、酒を飲み、拳を打ち、論功行賞を行う。まさに人食い最高の時期に達した。最高権力機構である「武宣県革命委員会」の食堂でさえ、人肉を調理したことがあるのだ!

これら人食い宴会は、決して民間での自発的な行為ではない。全体主義組織としての中国共産党の社会に対する制御は、一つ一つの細胞まで浸透している。背後の中国共産党の煽りと操縦がなければ、このようなことは決して起こりえない。

中国共産党は自らの賛歌で、「旧社会[12]は人を鬼に変え、新社会は鬼を人に変える」と唱っている。それぞれの人食い宴会が反映したこととは、中国共産党は人を更に残忍非道な者に変えることができるということだ。何故ならば、中国共産党自身が残忍非道の悪魔より凶悪だからだ。

(二) 法輪功(ファールゥンゴン)迫害

今や中国人もまたコンピューターと宇宙飛行の時代に入り、私生活でも人権、自由と民主について語ることができるようになった。多くの人々はにあった恐ろしくてぞっとする、気味悪い暴挙は既に過去の出来事と思い、中国共産党は文明のコートを着て、世界と共に行動する時代になったと思っている。

しかし、現実はそうではない。中国共産党がある団体は彼らの拷問と虐殺を恐れないと知った時、あらゆる手段が更に狂気じみたものとなった。そして、その残忍な迫害を受けているのが法輪功(ファールゥンゴン)なのである。

紅衛兵の武装闘争と広西省の人食いは、相手の肉体を消滅させるのが目的である、数分間あるいは、数時間で一つの命を断ち切るというものである。それに対して法輪功(ファールゥンゴン)修煉者に対する迫害の目的は、彼らに「真・善・忍」の信仰を放棄させることが目的である。しかも、残忍な酷刑は常に数日間も、あるいは数ヶ月間、数年間も続いている。統計によれば、既に一万人の法輪功(ファールゥンゴン)学習者がこのために命を失った。

九死に一生を得た法輪功(ファールゥンゴン)の修煉者は、彼らが受けた百種類を超える拷問の数々を記録した。以下にその中の幾つかの例を挙げる。

ひどく殴打する手段は、法輪功(ファールゥンゴン)学習者に対して最も多く使用される拷問の一つである。警察官や獄吏らは、学習者をその場で直に殴打する他に、受刑者らにも学習者を殴打するように指示する。一部の学習者は、ひどい殴打によって耳が聞こえなくなったり、耳が裂けたり、耳が切れて取れたり、眼球が飛び出たり、歯が折られたりした。又、頭蓋骨、脊髄、肋骨、鎖骨、腰椎、腕、足の骨はひどい殴打によって折られたり、切断されたりした。又、男子学習者の睾丸を強く握りつぶしたり、女子学習者の陰部を強く蹴ったりした。学習者が屈服しなければ再び刑にかける。学習者らは皮膚が裂け、傷口の肉はぱっくりと開き、血だらけになり、元の形に戻らず変形するまで殴打され続ける。更に、塩水をかけ、高圧スタンガンで電気ショックを与え、血の生臭さと肉を焦がした臭いが悲鳴と共に交じり合う光景は、人の心が引き裂かれるほど強烈なものがある。又、屈服させるために、ビニール袋を頭に被せ、窒息する恐怖の中で殴打し続ける。

電気ショックは、中国の強制労働収容所で最もよく使われる拷問の中の一つである。警察官はスタンガンで、学習者の最も敏感で弱いところ、口腔、頭頂部、胸、陰部、女子学習者の乳房、男子学習者のペニス、肛門、太腿、足の裏などに電気ショックを与える。一部の警察官は、身体の至るところに電気ショックを与える。又、一度に数本のスタンガンを同時に学習者の身体に当て、肉を焦がした臭いが出るまで当て続ける。電気ショックを受けた学習者の身体は黒紫色を呈す。一部の学習者は頭頂部と肛門に同時に電気ショック与えられた。警察官は一人の学習者に対して10本、あるいはそれ以上のスタンガンを同時に使うこともしばしばあった。更に電気ショックを与える時間を長くした。このスタンガンは通常数万ボルト以上である。電流を連続して流す時には青い光を放ち、耳障りなピシピシという音が出る。電流は人の身体に当てた瞬間、一気に火傷をしたような感じで、同時に蛇にでも咬まれたような感じがする。電撃される度に、蛇に咬まれたような激痛が走る。そして、電気ショックを受けた箇所は、すぐに赤くなり、肉が裂け、焦げて膿が出てくる。更に高圧のスタンガンによって、電気ショックを受けた場合は、まるで頭頂部を鉄鎚で、勢いよく叩かれたように凄まじいものである。

また、タバコの火を手、顔、足の裏、胸、背中、乳頭に当て、ライターの火で手、陰毛を焼き、加熱して赤くなった鉄線を両太ももに押し付ける。赤く焼かれた木炭を学習者の顔に押し付けて焼く。あらゆる拷問で虐待され瀕死状態になった学習者を生きたまま焼死させた後に、外部に対して「焼身自殺」として報道する。

女子学習者に対しては、胸及び乳房、下半身めがけて殴るのである。スタンガンを乳房と陰部に当て、電気ショックを与える。更にスタンガンを膣に入れて電流を流す。また、四本の歯ブラシを一束にして、女子学習者の膣に強引に入れ、歯ブラシを強くこすり回す。火かき棒で女子学習者の陰部を引っ掛ける。女子学習者の両手を手錠で後ろ手に掛け、電線を両方の乳頭に通し電気ショックを与える。女子学習者の衣服を剥ぎ取り素っ裸にし、男性牢屋へ入れ、男性犯罪者らに凌辱させる。

「恐怖の拘束服」[13]を法輪功(ファールゥンゴン)学習者に着せ、両手は後ろで交差させ縛る。更に後ろで交差させた両腕を両肩の上を通って胸の前まで引っ張る。両足を縛ってから、窓の鉄棒に宙吊りにされる。口を布で塞がれ、耳にヘッドフォンを付けられ、法輪功(ファールゥンゴン)を汚す録音を延々と聞かされる。この酷刑を受けた者は、その場で両腕に傷害が残る。先ずは両肩、両肘、両腕の箇所の筋が切れ、骨に亀裂が生じる。拷問の時間が長ければ、背骨も裂けて折れる。学習者は生きたまま痛みを嘗め尽くして死んで行く。

また、学習者を汚水、あるいは糞尿の中に全身を浸させる「水の牢」という酷刑がある。他には、先が鋭く削られた竹串を学習者の指先に差し込む。天井とほとんど隙間の無い狭い棚の上、又は、冷たい床に寝かす、至る所に赤、緑、黄色、白のカビが生えている部屋に入れられ、シェパード犬や毒蛇、蠍を使って学習者を咬ませる。神経を破壊する薬物を注射させるなど、その他奇奇怪怪な虐待手段が山ほどある。