大紀元社説シリーズ『共産党についての九つの論評』





序文

文化は一つの民族の魂であり、人種や大地などといった物質的な要素と同じく重要な精神要素である。

民族の文明史はその民族の文化発展史でもあり、民族文化に対する徹底的な破壊は、その民族の消滅であるとも言えるだろう。人類の歴史上、すばらしい文明を創り出した民族は、現在、その人種としてその子孫がまだ残っている.が、民族としてはその伝統的な文化が失われるにつれてだんだん姿を消してしまった。世界各国を見ると、中華民族は唯一五千年の文明を受け継いでいる。それゆえ、その文化に対する破壊はさらに大きな罪となるに違いない。

「盤古は天地を開く」[1]、「女(じょか)は人間を造る」[2]、「神農は百草を嘗める」[3]、「蒼頡(そうけつ)は文字を造る」[4]などの伝説は神が文化を伝える当初の様子を私たちに伝えている。「人法地、地法天、天法道、道法自然(人は地に法り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る)」[5]では、天人合一という道家の思想を文化に織り込み、「大学之道、在明明徳(大学の道、明徳を明らめるに在り)」。[6]二千年前の孔子は初めて学校を開き、儒家思想を代表する「仁、義、礼、智、信」を社会に伝えた。紀元1世紀、「慈悲済度」を訴える仏教は東へと伝わって行き、中華文化はさらに豊かになった。儒、仏、道三家の思想は互いに照り映し、盛唐時代、世界中の人々からそれぞれの素晴らしさが注目された。

中華民族は歴史上何度も侵略と打撃を受けたことがあるが、私たちの伝統的な文化は非常に強い融合力と生命力を持つため、その精華はずっと後代に伝わってきたのである。「天人合一」は私たちの先祖たちの宇宙観を表し、「善悪には報いがある」は社会の常識で、「己所不欲、不勿於人(己の欲せざるところ人に施す勿れ)」は人間の基本的な美徳であり、「忠、孝、節、義」は人々の人柄を為す基準であり、そして、「仁、義、礼、智、信」は人と社会の道徳を規範する基礎である。このような前提の下で、中華文化には誠(実)、善(良)、そして和(貴と為す)、(包)容などの優れた特徴が顕われた。人々が祭る「天地君親師」という位牌は、神(天地)を敬い、社稷(君王)に忠誠し、家庭(親)を大事にし、師道を尊敬するという文化が世の中の人々の中に深く植え付けられていることを示している。中華伝統文化は天と人の調和を追求し、個人の修養を重視し、人々が包容でき、発展でき、人間の道徳が守られ、さらに人々が正信を持つことができるように、儒仏道家の修煉信仰に基づいている。

人々を強制的に抑制する法律と違い、文化による抑制は柔和的で最も効果的なものである。法律は、罪を犯したら、どのような刑罰を与えるかということを重んじる。しかし、文化は道徳を育成することにより、犯罪を予防するという役割を大いに果たしている。一つの社会の倫理価値観は、その文化を通し、具体的に反映できたのである。

中国史上、伝統文化がその頂点に達した唐の時代は正に中華という国の国力がその頂点に達した時でもある。当時の科学技術も世界中で最も先端に立っていた。そのため、欧州、中東、日本から多くの学生が唐の都である長安に留学した。また、唐の周辺の国々は中国を宗主国として見なし、万国からの使者が中国に訪ねた。[7]秦の時代から、中国もよく少数民族に侵略されていた。その中に、また、隋、唐、元、清と他の民族がそれぞれ割拠していた時代もあった。しかし、それらの民族はほとんど漢民族化されたのである。「故遠人不服、則修文徳以来之(遠きが故に人服せずば、則ち文徳を修するを以って之を来たらしむ)」と孔子が言ったように、これは、伝統文化の強大な同化力の働きであると言えるだろう。[8]

1949年、中国共産党が政権を奪い取った後、国家のすべてをかけて私たちの民族文化を破壊し始めた。これは、共産党が工業化を進めよう、あるいは西洋諸国と同等に並びたいという熱意からの行動ではない。そもそも、イデオロギーの面から言えば、共産党の理論は民族の伝統文化とまったく正反対なものである。共産党の文化への破壊は実に、組織的に、計画的に、かつシステム化されたもので、国家暴力を基礎とするものである。共産党が設立されてから今までは、中国共産党は中国文化に対する「革命」を停止したことがない。共産党は確かに中国文化の「命」を徹底的に抹消(革)しようとしてきた。

さらに、中国共産党はこっそりすりかえるという方法を使い、古代から今日まで、人々が伝統文化を投げ捨てた後に起こった権力をめぐる陰謀に満ちた激しい戦い、独裁専制などをさらに広め、彼ら独自の善悪を量る標準や物事の考え方、言語方式を造り出し、人々に「党の文化」は伝統文化の継承であると認めさせた。また、彼らは人々の「党の文化」への反感を利用し、さらに中国真正の伝統文化を放棄させようとした。

これは、結果として中国に災難をもたらした。人々は道徳的な抑制を失っただけではなく、中国共産党に強制的にその邪悪な学説を注入されたのである。

一、どうして共産党は民族文化を破壊しようとしたのか?

(一)源は遠く流れは長いというほどの中華文化──信仰為本道德為尊(信仰を本とし、道徳を尊とする)

中国人の真正の文化は五千年前に黄帝によって造られた。そのため、私たちは黄帝を「人類と文化の祖」と呼んでいる。実は、黄帝は中国道家思想の「黄老之学」の創始者でもある。孔子は「志於道、据於徳、依於仁、游於芸(道に志し、徳に据わり、仁に依り、芸に遊ぶ)」や、「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」[9]と話したように、儒家思想は道家から強い影響を受けた。また、天地、陰陽、宇宙、社会と人生規律を記述する『周易』は儒家に「群経の首」と呼ばれた。その中の予測学は、現代の科学技術さえできないものである。仏家思想、特に禅宗思想は少しずつ学識者に影響を与えてきた。

儒家思想は伝統文化の中の「世に入る」という部分であり、家庭倫理を重視するものである。そのため、儒家思想の中には、「孝」という考え方がほとんどを占め、曰く「孝は百善の先と為す」。孔子は「仁、義、礼、智、信」を主張すると同時に、「孝悌也者、其為仁之本歟?(孝悌は、其の仁の本なる歟?)」としている。

家庭倫理は自然に社会倫理と発展した。「孝」は大臣が君主への「忠」と拡大でき、いわゆる「其為人也孝悌、而好犯上者、鮮矣、(其れ人にして孝悌を為し、而して上を犯す者鮮(すくな)し)」とも話していた。[10]

「悌」は兄弟関係を表し、それは友達の間の「義」へと広げられる。儒家は家庭の中において、父はやさしく(慈)、子供は親孝行を行い、兄は友好的で、弟は恭しくなければならないと主張している。また、その中の「慈」は君主の大臣に対する「仁」に広げられる。「修身、斉家、治国、平天下(身を修し、家を斉しくし、国を治め、天下を平らげる)」と言ったように、家庭の中の伝統が保たれれば、社会倫理も自然に維持できる。[11]

仏家思想と道家思想は伝統文化の中の「世を出る」という部分である。仏、道教文化は普通の民衆生活への影響が至る所にあるというほど強いのである。道家思想と深く関係しているのは、漢方医学、気功、風水、占いがある。そして、仏家の天国地獄、善悪に報いがあるなどという思想や儒家倫理を加えて、中国伝統文化の核心を構成したのである。

儒、仏、道、この三種類の信仰は中国人に一つの極めて安定した道徳体系を造り上げたのである。「天が変わらなければ、道も不変である」。[12]この道徳体系は社会が存在し、安定でき、協和できる基礎である。

精神的な面から言えば、道徳はとても抽象的であるが、文化は人々にその道徳体系を分りやすく表現するという重要な役割を担っている。

中国に有名な書物が四冊ある。『西遊記』[13]自身は、神話である。『紅楼夢』[14]の冒頭の大荒山無稽崖で空空大士、渺真人や通霊宝玉の間の対話は、同作品における多くの謎を解く鍵である。『水滸伝』[15]の冒頭では、「洪太尉が誤って妖邪に走った」と話した。この神話は水泊梁山の百零八将軍の由来を説明している。『三国演義』[16]では始めに、天災が警告を示し、また、最後に「紛紛世事無窮尽、天数茫茫不可逃(紛紛たる世事は無窮にして尽きず、天数茫茫として逃がれる可からず)」いう天命観で結論を結んだ。また、『東周列国誌』[17]や『説岳全伝』[18]などはみな同じような物語で始めている。

これは、決して作者達が言い合わせたかのように書いたのではない。それは中国の学識者の自然界や人生に対する基本的な認識が同じだからである。彼らの作品は後代の人々に大きく、しかも強い影響を与えた。そのため、中国人が「義」について話すとき、どのように「義」を解釈するかを考えるのではなく、「義薄雲天(義薄くして天に雲)」と言う関羽(『三国演義』の人物)や、そして、彼に関連する「屯土山約三事(土山を屯して、三事を約す」、「白馬之囲(白馬の囲い)」、「五関を過ぎ、六将を斬る」、「華容道」、最後に麦城で失敗して、「義不屈節、父子帰神(義節に屈せず、父子神に帰す)」などの物語を思い出すのである。「忠」について話すとき、自然に岳武穆が忠誠に国のために戦ったこと、諸葛亮「鞠躬盡瘁,死而後已(献身的に力を尽くし,死ぬまでやりぬく)」などの物語を思い出すのである。

伝統的な価値観の中で「忠義」に対する賛美は作家たちが書いたすばらしい物語を通じ、人々の前に完全に現れている。抽象的な道徳説教は、文化の方式によって具体的に、また形象化された。

道家は「真」を、仏家は「善」を、そして儒家は「忠恕」、「仁義」、「外略形跡之異、内證性理之同、……無非欲人同帰於善(外略形跡異なれども、内証性理は同じ・・・人欲せずとも同じく善に帰す)」を重んじる。[19]これはまさに「儒、仏、道」の信仰に基づく伝統文化の最も価値のある部分である。

伝統文化の中で「天、道、神、仏、命、縁、仁、義、智、信、廉、恥、忠、孝、節」などを貫いている。おそらく文字を読めない人は多くいたかもしれないが、彼らは伝統的な演劇や評書などの文化形式を通じ、伝統文化から価値観を得ることができた。従って、中国共産党による文化の破壊は、直接に中国人の道徳を破壊し、社会を安定する基礎を破壊したこととなる。