九評共産党「第二評」中国共産党はどのように成り上がったか




法輪功の大紀元の社説のシリーズとして連載された<九評共産党>

その第2評、共産党の成り立ちについて論じていて、私の知らないことを学ぶことができる。以下、4回に分けて投稿する。



序文


「説文解字」によると、「党」という字は、即ち「尚(なお)黒(くろ)」の二文字からなる。「党」、「党人」など、中国語の.中では貶す意味がある。孔子曰く「君子は矜(きょう)にして争わず、群して、党せず」。「論語」の注解よると、党とはお互いの悪と不正を隠し合うものである。中国の歴史の中にある小さな政治集団は、「朋党」とよく呼ばれるが、中国伝統文化の中では、良くない概念であり、徒党を組んだ悪い仲間という意味である。「党を結び」というと、「私利を営む」ことが連想される。では、近代の中国で、「共産党」が現れ、勢いに乗り政権を奪い取れたのは何故だろう。



*知りませんでした。党の意味はそういう意味があったんですね


中国共産党が人々に植え付けてきたものは、「歴史が中国共産党を選択し、人民が共産党を選択した、共産党がなければ新中国も無い」というものである。中国の国民が自ら共産党を選択したのか、或いは、共産党が党を結び、私利を営み、国民に強制し、押し付けたのか、歴史の中で答えを探すしかない。清朝の終わりから中華民国の初期まで、中国というこの古い国が、外来の衝撃と内部の変革を経験し社会は混乱と苦痛の中にあった。その間、多くの知識人と仁愛ある正義の人々は国を救い世を救おうという思いで胸が一杯であったが、国難と混乱の中にあって彼らの憂患の意識は失望から完全に絶望へと変わっていった。国の病を治すためには手段を択ばず、中国以外のところで万能薬を探し、イギリス式が駄目ならフランス式、フランス式が駄目ならロシア式と、劇薬の使用さえ惜しまず、出来れば一日で中国を奮い立たせたかった。

「五.四運動」はその絶望感の産物である。ある人は無政府主義を主張し、ある人は孔子の学説をなくすべきと唱え、ある人は西洋文化を導入すべきと主張した。つまり、中国の伝統文化に否定的な態度を取り、中庸の道を捨て、焦って近道を選び、すべてを破壊すべきであると主張した。中でも過激派は国恩に報えないことに無念を感じる一方、自分の理想と意志を信じて疑わず、現実の世界がもう救いようがなく、自分だけが歴史発展の鍵を見つけたと考え、革命と暴力に情熱を注いでいった。様々な境遇により、人々はそれぞれの理論や学説、道にたどり着く。やがて、ある人たちはソ連共産党の代表者と出会った。暴力革命による政権の奪取というマルクス・レーニン主義が、彼らの焦る気持ちと共鳴し、国と国民を救おうという彼らの願望に符合した。このようにして、全く異質な、この異国思想は彼らによって古い中国に注入された。


*5・4運動とは1919年に第一次世界大戦後にドイツの山東省の利権を日本が受け継ぐことにベルサイユ条約で決められたことに対して学生らが起こした反日運動で、2011年以上のもの。これが中国革命の端緒に位置する。


中国共産党第一次代表大会に参加したのは十三人だったが、その後、ある者は死亡し、ある者は逃亡し、或いは日本に組し、または国民党に転向し、1949年共産党が政権を握った時には毛沢東と董必武(とうひつぶ)の二人しか残らなかった。これらの共産党設立者達が、ロシアから招いた“神霊(しんれい)”は悪霊であり、そして国を奮い立たせた薬は、猛烈な毒薬だった事を二人は知っていたのだろうか。当時、ソビエトロシア共産党(ボルシェビキ)は政権を取ったばかりだが、中国に対してすでに野心を抱いていた。1920年、ロシアは、シベリアに第三コミンテルン極東書記局を設立、中国などの共産党設立を担当し、管理していた。主管はSumiltsky(スミルツキー)、副主管はVoitinsky(ボイチンスキー)であり、陳独秀(ちんどくしゅう)らと一緒に、中国共産党の設立準備を開始した。19216月彼らが第三コミンテルン極東書記局に提出した中国支部の設立計画書は、中国共産党が第三コミンテルンの一支部である事を明記した。1921723日、Nikolsky(ニコルスキー)  Maring(マーリン)の監督の下、中国共産党が正式に成立した。その日から、共産主義運動は中国に試験的に導入され、党の生命がすべてを超越し、すべてを征服し、中国に限りない災難をもたらした。


一 中国共産党の形成は中国内外の悪の総集過程である


五千年の文明史を誇る中国に、外部から共産党と言う異質のものを植えつける事は、容易ではなかった。中国共産党は共産主義思想を用いて民衆と国を愛する知識人を欺瞞、その上レーニンが捻じ曲げた共産主義理論をさらに捻じ曲げ、それを根拠として共産党の統治にとって好ましくない全ての伝統と価値観を破壊し、党にとって不穏な動きをする、すべての社会階層と人々を消滅させた。

中国共産党は、工業革命を持ち込んで信仰を破壊し、共産主義を持ち込んで更に無神論を徹底した。また共産主義の私有制に対する否定、レーニンの暴力革命の理論も加えた。それと同時に、中国王朝制度の最も悪い部分を継承し、発展させた。中共の形成は中国内外の悪を少しずつ集合していった過程であり、その中で“中国独自”という九大遺伝子「邪悪、欺瞞、煽動、闘争、略奪、無頼、間諜、殲滅、制御」を完成した。この九大遺伝子は今も受け継がれ、更に力を増している。


() 遺伝子その一:邪悪――マルクス、レーニン主義を装う

当初マルクス主義が中国共産党員たちを魅了したのは「暴力革命による国家体制の粉砕と無産階級の政権成立」であり、これはマルクス・レーニン主義の根本的な邪悪のゆえんである。マルクスの唯物論は生産力、生産関係、および剰余価値の狭い経済概念で叙述されたものであり、まだ発達していなかった資本主義社会の早期で局部的、近視眼的な予言で資本主義の滅亡と無産階級の勝利を述べたが、既に歴史と現実がそれを否定している。マルクス・レーニン主義の無産階級の暴力革命と無産階級の専制は、強権政治と無産階級の主宰を主張している。

「共産党宣言」は各階級の対立と階級闘争を持って、共産党の歴史観と哲学観を述べた。無産階級が、すでにある伝統的道徳と社会関係を打破することにより政権を奪取することを目的とした。始めから共産主義は一切の伝統と対立する立場を取った。人間の天性は暴力を普遍的に排除するものであり、暴力の中で人間は更に暴力的になり、共産党の暴力学説が根本的に人類の天性によって否定されるものである。これまでにある思想、哲学、伝統のなかに見当たらないものであり、突然、近代に現れた恐怖の体系である。これらの悪しき観念の前置きは“人間は必ず天に勝つ,” ”人為的に世の中を改造する“というものである。共産党は“全人類の解放”、“大同の世”という理想によって、多くの人々を引き付け、社会に対する危機感と使命感を持つ人はたやすく共産党に騙された。

彼らは天道を忘れ、“人類のパラダイス”を作ろうという虚言の中で、功績を作り上げながら、伝統を蔑視し、人命を軽視し、更に自分の生命も価値のないものにしてしまった。人造の“共産主義世界”を真理と信じ、“満ち溢れる熱き血潮はすでに沸騰し、真理のために捧げよう”[1]、共産党はこの絶対的、荒誕な理念を用い、人と天のつながりや、祖先とのつながり、さらに民族伝統の血脈も断ち、共産主義に身を捧げようと人々に呼びかけ、それによって共産党の虐殺エネルギーを増幅させた。


*中国共産党の端緒・それから毛沢東の暴力と大衆動員への確信がレーニンなどのボリショニキから引き継がれたものということだ。