(承前)四 党性(党是)が人間性に取って代わり、人間性を消滅させる

中国共産党はレーニン主義の、つまり権威主義的政党として、結党時に、政治路線、思想路線、組織路線の三大路線を確立した。平易なことばでこの三大路線を説明するならば、思想路線とは共産党の哲学的基礎であり、政治路線で目標を確立し、その後厳格な組織でこの目標を実現するのである。共産党員ならびに共産社会の人民がまず求められるのは、絶対的服従であり、これがいわゆる組織路線の全てである。中国では、人々は、共産党員は普遍的に二重人格の特徴を持っているということを知っている。個人としては、共産党員は普通の人間性を持っており、一般人の喜怒哀楽を具えているし、普通の人々と同様、長所も短所も持ち合わせている。彼らは、父親であり、夫であり、親友である。ところが、これらの人間性の上に、共産党が最も強調する党性(党是)が君臨しているのである。党性(党是)は、共産党の求めるところとして、永遠に普遍的な人間性を超越して存在するものである。人間性は相対的、可変的であるが、党性(党是)は絶対的で、疑いや挑戦を受けるべきものではないのである。文化大革命時、中国人は父子が互いに傷つけ合い、夫婦が互いに闘い、母と娘が互いを告発し、教師と学生が反目するということが普通に存在した。それは党性(党是)が作用したからである。早期には、中共の高級幹部の家族が階級の敵として弾圧されても、その高級幹部自身どうにも救いようがないという事例が更に多く見られたが、それらも同様に党性(党是)の作用であった。この種の党性(党是)は共産党組織の長期にわたる訓練の結果であり、その訓練は幼稚園から始まる。幼児教育において、与えられた模範解答が常識や児童の人間性に合わないとしても、それがいい成績を得るための基準なのである。小・中・高、ひいては大学の政治教育において学生が学ぶことは、党が与えた模範解答に従わなければならないということであり、さもなければ、合格も卒業もできないのである。党員は、いくら個人的にどんな意見を述べようとも、一旦党員として態度表明するときには、必ず「組織」と一致しなければならない。この組織は、下から上へと統一され、最後にはこの巨大な集団のピラミッドの頂点まで統一していくのである。これが共産党政権の最も重要な構造的特徴、つまり絶対的服従である。今日、中共は完全に自身の利益を擁護する政治集団に変質し、もはや共産主義の追及する目標をなくしてしまっている。ところが、組織の原則は変化しておらず、絶対的服従という党性(党是)要求にも変化がないのである。この党は、全ての人類ならびに人間性の上に君臨するという方式で以って存在し、党の組織または指導者に危害を及ぼす、もしくは及ぼす可能性があると考えられる一切の人々は、その人が一般人であれ、中共の高級指導者であれ、即座に排除されるのである。




五 自然に反し、人間性に反する邪悪な生命体

天地万物はみな生成衰亡の生命の過程を持つ。


共産党政権とは異なり、全ての非共産党政権社会は、それが如何に独裁的、全体主義的であれ、社会には自然発生的な組織や自主性が存在するものである。中国の古代社会は、実は、二元構造であった。農村は宗族を中心とする自然発生的な組織であり、都市は同業組合を中心とする自然発生的な組織であった。そして、上から下への政府機構は、県レベル以上の政府関係機関の事務を管理するだけであった。


近代において、共産党以外の最も厳格な全体主義社会、例えばナチスドイツは、それでも私有財産権と私有財産を保持していた。ところが、共産党政権においては、これらの自然発生的な組織と自主性は全て徹底的に排除され、上から下への徹底的な集権構造がこれに取って代わった。前者の社会形態を、下から上への自然発生的に成長した社会状態であるというならば、共産党政権は自然に反した社会状態であると言える。共産党の中では、普遍的な人間性の基準はなく、善と悪、法律と原則が随意に移り変わる基準となってしまった。人を殺してはならないが、党が認めた敵は例外であり、両親には孝行しなければならないが、階級の敵となった両親は例外であり、仁義礼智信を重んじなければならないが、党が願わないときは例外である。普遍的な人間性は完全に覆され、だからこそ共産党は人間性に反するのである。全ての非共産社会の多くは、人間性に善と悪が同時に存在するという現実を認めた上で、固定した契約によって社会のバランスを生み出している。ところが、共産社会は人間性を認めないため、人間性の中の善も悪も認めないのである。これらの善悪の観念を一掃するということは、マルクスのことばに従って言うなら、旧世界の上層建築を完全に覆すということである。共産党は神を信ぜず、自然の万物も尊重せず、「天と闘い、地と闘い、人と闘い、その楽しみは尽きず」、大自然と闘い、人をほしいままに傷つけるのである。中国人は天と人が一体であることを重んじる。老子のことばを借りれば、「人は地に法り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法って」[7]おり、人と自然は連続した宇宙の状態なのである。共産党もある種の生命ではあるが、それは自然に反し、天に反し、地に反し、人に反しており、宇宙に反する邪悪な生霊である。



六 邪悪な憑き物の特性


共産党組織それ自身は、別に生産や発明創造には従事せず、一旦政権を取得すれば、国民の体に付着し、人々を操りコントロールし、社会の最小単位をコントロールしながら権力を保持し、権力を失わないようにする。そして同時に、社会の富の源を独占し、社会の財産資源を吸い取るのである。中国では、党組織が存在しないところはなく、党組織に管理されていないところもない。ところが、人々は中国共産党組織の財政予算を見たことがなく、目にするのは、国家予算、地方の政府機関の予算と企業の予算だけである。中央政府から農村の党委員会まで、行政役人は永遠に党の役人より地位が低く、政府機関は同レベルの党組織の命令に従う。党の支出は、均しく行政部門の出費の中から支払われることになっており、独自に支出するということはない。この党組織は、まるで巨大で邪悪な憑き物のようである。それは、影が寄り添うように中国社会の一つ一つの細胞に付着し、細かいところにまで入りうる吸血管で、社会の一本一本の毛細血管と一つ一つの細胞の奥深くにまで入り込み、社会を操りコントロールしているのである。この種の奇怪な憑き物構造は、人類の歴史上、社会の局部では現われたことがあるし、社会全体にも短期間現われたこともあるが、共産党社会のように徹底的に長期にわたって、しかも安定的に持続した例はこれまでになかった。中国の農民がかくの如く貧しく苦しんでいるのは、彼らが伝統的な国家役人の分を負担しなければならないだけではなく、国家役人と同数あるいはそれ以上に多い“憑き物役人”の分も負担しなければならないからである。中国の労働者がかくの如く大規模に失業しているのは、至るところにある吸血管が長年にわたり企業の資金を吸い取り続けているからである。中国の知識人が、自由を得るのがかくの如く難しいと感じるのは、管轄の行政機構以外に、至るところに存在するにも拘わらず何もせず、専ら彼らを監視している影があるからである。憑き物は、取り付いた人の精神を完全にコントロールし、自身の存在を維持するためのエネルギーを獲得しなければならない。現代政治学では一般に、社会の権力には暴力、富、知識の3つの源があると考えられている。共産党は、暴力を独占し、それをほしいままに使用し、人民の財産を剥奪し、最も重要なこととして、言論と報道の自由を剥奪し、人民の自由な精神と意思を剥奪することによって、社会の権力を完全にコントロールするという目標を達成するのである。この点から言って、中共というこの憑き物の社会に対する厳密なコントロールは、古今東西その右に出るものはいない。




七 自己を反省し、中国共産党の憑き物から逃れる


マルクスは1848年、共産党の最初の綱領文書となる『共産党宣言』の中で、「一つの亡霊、即ち共産主義の亡霊がヨーロッパをぶらついている」[8]と書いた。100年後、共産主義はすでにただ単なる亡霊ではなく、真に具体的な物質的実像を具えたのである。この亡霊は、前世紀の100年の間に伝染病の如く全世界にはびこり、数千万人の人々を虐殺し、億万の人々の財産ならびに彼らの本来自由であった精神と魂を奪い去ってしまった。共産党の当初からの原則は、全ての私有財産を没収し、その上で全ての「搾取階級」を消滅させることである。個人に属する私有財産は、民衆のすべての社会権利の基礎であり、多くの場合、民族文化の担い手としての重要な部分でもある。私有財産を剥奪された人民は必然的に精神と意思の自由も奪われ、最後には社会的、政治的権利を勝ち取るための自由をも失ってしまうのである。中国共産党は、自らの生存の危機のため、前世紀の80年代から経済改革を始め、人民の財産権利を部分的に返還した。それは、共産党政権という巨大で精密なコントローラーに最初の穴を開けたということでもある。この穴は、今日ますます大きくなり、共産党の役人全てが狂ったかのように、己のために人民から富を搾取するまでに発展した。この暴力と虚言によって自己の外見を絶えず変化させてきた邪悪な憑き物は、近年その衰退した兆しがことごとく表に現われ、すでに鳥が弓の音におびえ、鶴が風の音におののくように、ほんの些細なことにもおびえるようになった。そこで、更に狂ったかのように、富を搾取し権力をコントロールすることによって自らを救おうと試みるのだが、それが却って、危機の到来を更に激化させることになっている。


現在の中国は、繁栄したように見えて、実は社会の危機がすでに空前のレベルにまで累積しており、中共の習性に倣えば、再度過去の手口を使うかもしれない。つまり、再度、ある程度の妥協をして、六四天安門事件の当事者や法輪功(ファルンゴン)などの名誉回復を行うとか、ごく少数の敵を作り出し、暴力による恐怖の力を振るい続けるといったことである。中華民族は、100年余りにわたり直面してきた挑戦の中で、器の導入や制度の改良から最後の極めて激しい革命まで、無数の生命を犠牲にし、民族文明の伝統を大部分失ってしまい、それが失敗であったということが証明された。その後、全人民の恨みと憤懣の中、邪悪な生命体が虚に乗じて入り込み、ついにはこの世界で唯一依然として古い文明を継承している民族をコントロール下に置いたのである。未来の危機の中で、中国人は再度選択することを余儀なくされる。どのような選択をしようとも、中国人ははっきりと認識しなければならない。この現存する邪悪な憑き物に対する全ての幻想は、中華民族の災難を加速させるものであり、体に取り付いた邪悪な生命にエネルギーを注入することになるということを。唯一、全ての幻想を放棄し、徹底的に自己を反省し、決して恨みや貪欲な欲望に左右されないようにして初めて、この50年もの長きにわたり憑き物にうなされ続けた悪夢から完全に抜け出し、自由な民族の立場で、人間性を尊重し普遍的ないたわりの心を持った中華文明を再建することが出来るであろう


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[1]戊戌の変法、1898611日から921日までの間行われた約 100日間の改革のことである。当時清朝の光緒皇帝(18751908)は社会と制 度の全面的改革を目指し、一連の制度改良を行った。改革と対立しているのは頑固な保守派高官達で会った。超保守的な人達及び日和見主義者(御都合主義者)である袁世凱の暗黙の支持の下、西太后(慈禧太后)は1898921日、にクーデターを企んだ。改革熱心な若い光緒皇帝は強制的に皇帝の座を退かされた。西太后は摂政として政府を乗っ取った。戊戌の変法は新しい勅令及び改革を唱導するトップ6人の処刑によって廃止された。

[2]辛亥革命、中国の辛亥年(1911年)から由来する。辛亥革命により、中国を 統治した清朝が倒れ、中華民国が建国された(19111010日~1912212日)。

[3]五四運動、中国の近代歴史に於ける最初の大衆運動である。191954日に起きた。

[4]http://eserver.org/marx/1848-communist.manifesto/cm4.txtより引用。

[5]毛沢東が妻江青に宛てた手紙(1966年)。

[6]http://www.debates.org/pages/trans2004a.htmlより引用。


[7]
老子の道徳経第25章より抜粋。


[8]http://eserver.org/marx/1848-communist.manifesto/cm1.txt
より引用。

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<憑き物>という認識。まさに寄生虫を人民は飼ってる構造だね。それも吸血虫のようだ。共産党に対してこれだけの見方を提示した文章を見たのは初めてです。

実に当を得ていると言えるだろう。