ついに儒教の原典に行く。論語を読んでみる。改めて読んでみて、日本人の精神を構成しているものは儒居であると言い切れる。

日本人と中国人の違いは何かと言えば、日本人は論語の教えを実践し、中国人は論語学ぶことで良しとした。今では捨て去った。

 論語を倫理学として、また実践学として読む前に宗教の教義として読むとどうなるか。

 実に面白いことに気付いた。

 

論語巻一の学而第一

 1 学びて時にこれを習う・・・の一説は、この学ぶということの意味は儒教の競技を学ぶことであり、その協議を学びに遠くからも来る人がいる。そして「人不知而不愠、不亦君子乎」の句。

この解釈は人知らずしてうらまず、またはいからずとも解釈するが、それは自分のことを理解できないひとがいても、受け入れるのが君子というものだと説く。つまり寛容の度量をもつものを言う。

 この時に《君子》という概念が、儒教の目指す究極のもの、仏教的に言えば《悟りを得た人》にあたる。そしてこの句の最後が「それでこそ君子というものだ」(不亦君子乎)と言い切って、孔子自らを言う。

 

儒教とは、その教義を学ぶことにおいて、それぞれが《君子》という境地に至ることを目指す宗教であり、学派というよりも教派なのだ。

 この学而の冒頭の句は、孔子の心構えを説いているのだ。

 

我、十有五にして学に志し・・・」の為政第二の句は、これは悟りを得たことの宣言である。

 十五歳にして儒教を学び始め、三十歳で《儒》または《儒者》として自覚して行動し、40歳で迷いをなくして悟りの道を歩み、五十歳になって天命、つまり己の使命を自覚し、60歳になって人々を慈愛の心でみることができ、七十歳にして自分の心と一つになって、《君子》になった。ということを述べたのだ。

「六十歳にして耳従う」とは周囲の人々を受け入れることができるようになった、という意味に解く。あるがままに物事を受け入れる心構えになったことだろう。

 

論語を改めて仏陀と重ね合わせてみると、その宗教的思想、つまり、魂の救済が、個人の修練により、「悟り」を得て〈菩薩〉になることと、倫理的規範を実践して〈君子〉または〈聖人〉になることであって、その二つの宗教の倫理的規範は類似しているところが多い。にも拘わらず二つの宗教の救済の違いは、仏教は《彼岸》を求め儒教は《現世》に求めていることだ。

 

仏教は現世で倫理的規範を実践し、徳を積めば、儒教も同じことを言って、徳を積むことが救済の必須条件なのだが、その救済の状況が儒教は強く現世において実現されることを目指す。

他方仏教は彼岸での実現を目指す。

儒教には天国とか浄土・極楽という彼岸の国が考えられたのだろうか。

魂の永遠的な存在は両社に共通する。その魂の回帰や輪廻についての呪術的神秘的な要素を払拭して論理的合理性のもとに統一したのが孔子の革新性だと言える。仏陀もほぼ同じ革新性を持つと思う。

両者とも更に共通していることは実的敵宗教であったことだ。

 その実践的な場面が儒教の場合、とても政治的であったが、仏教は宗教的な方面作用した。

 とても面白いと思うのだが、日本人の思想経営に大きくこの儒教の倫理的規範が取り入れられて実践されてきた。そして《君子》概念は日本語ではどいうことに置き換えられたのだろうか。

 

しかし、日本人の根底にある道徳価値観など、《人》として、言う時の理想像はこの君子概念に行きつくだろう。

 

ウェーバーも中国が近代資本主義を生み出せなかった要因を中国の歴史に奥を認めるけれど、日本より近代資本主義を取り入れる能力がなかったわけではないと結論付けている。

 こうしてみると、中国で生み出された儒教と、インドの仏教と日本の神思想との混合思想になって、日本人は宗教に対して寛容なところがあって、それはインドと似ているけれど、その行動規範となった倫理観の多くを儒教に負っていて、その日々実践を美徳とし、精神の修養という仏教的行動に移し替えているところに特徴があるのだと思う。

やはり日本人は古来よりいいとこ取りが上手な特性を持っている。

 儒教の実践という江戸時代から明治時代、昭和にいたるまで息づいてきた精神構造がいち早く近代資本主義を実現させる市民階級を造り出せたというのが明治維新後の日本の歴史なのだ。

 

 中国も朝鮮も儒教の形式的受態に終り、実践的に精神化することができなかった。

 これは日本が地理的に大陸と離れており、古代中国の偉人たちを理想的に描き上げていた辺境的文化の結果であろう。日本人は強く中国の文化に憧れていたから、形式をまねることでなくその教えを実践しようとしたのだ。

 武士道の多くは儒教を基本とした朱子学や陽明学に裏付けられるのだろう。ただ日本が中国と異なる思想を造り出した面は《天命》による革命思想を受け継がなかったことと、先祖崇拝の宗教生を天皇制のなかで受け継いだことである。

 天皇制というのは祖霊崇拝思想の長きに及ぶ実践であり、その君子の行為が民に害を及ぼすという孔子の宗教性を、そのまま体現しているのだ。

 これは思わぬ方向に問題が展開しているが、これは日本と中国の文明的なつながりの大きさを認識させることになる。天皇制を批判するのはどうでもいいけれど、儒教の実践を綿々と国という形で実践していたとしたら、これはすごいことだ。

 皇室の行事、礼法がどのようなものであるかは詳しくは知らないけれど、かなり儒教的礼法にのっとっているのではないか。1000年以上に及ぶ君子の祖霊崇拝なんて、世界にありえない。

日本人が天皇制を廃止しないのは、儒教のせいである。

 こうしてみると今の中国は、まったく無思想、無倫理な国家・民族に成り果てているように見える。

そこに見えるのはウェーバーが分析した家産制国家による国家規制的資本主義そのものである。

もし、中国が中華原理主義としての儒教の復活があったとしても、その倫理性と〈君子〉的救済論が、結果として現世での成功者としての富・長寿思想に打ち勝つ革新がなされなければ、このままてのつけようのない国が瓦解するかもしれない。

 しかし、日本も同じ道を歩みかねない。日本のこれからの道は、仏教による、又はキリスト教による、阿多は日本字的なデモよいが、倫理性の維持である。

 日本原理主義があるとすれば、それは軍国主義ではなくて、儒教的・仏教的倫理感をベースにした日本的な美意識のへの回帰だろう。

聖徳太子の「和をもって十歳となす」という第一条は論語からきている。

 いま中国雄見ていて憤りを感じるのは、尊敬できる人物が失せた民族ということだ。中国が大国でないなどと言うつもりもないし、歴史上そういう国だった。にも拘わらず、20世紀以降、世界に貢献する思想的指導者を生み出さないばかりか、21世紀にむけて新しい思想をアピールしているダライラマを、メダカのようなまなざしで迫害し続けてることだ。

 

金銭に目がくらみ、精神的目倉となって、世界に新しい指導理念も打ち出せず、先進国がすてさった帝国主義にしがみついて大国ぶっている僻み根性こそ、挑戦と似たり寄ったりの状況だ。それが悲しいのだ。

 「無明」という仏教の根本のことばがある。まさにそれだし、儒教にもそれにあたるものがあると思う。

 中国人が論語読みの論語知らずに陥っている状況に見えてきた。