殷王の墓の発掘

 

殷王朝の大きな墓を発掘(1934年)

王の棺の周りに殉死者や生前使われた道具などが埋葬される。始皇帝の墓はこの大規模版。

そこで殷の人たちが死後の世界についてどうなるかについては、その後研究する人がいないので不明だという。ただ「甲骨文字などを見ると、祖先の王たちはそのまま滅びずに、残った霊魂は恐ろしい力をそなえていたらしい」「祖先の霊の気にいらぬことがあると、子孫たちに病気を起こさせたり、いろいろの祟りをしていた」ので、霊魂はこの「宇宙のどこかに生存して」いたので、王の殉死者はこの霊に使えるために葬られた。(p97)

その王墓の周りに首のない痛いが埋められた墓があって、その骨を見ると乱雑に放り出されていて、それらは王墓に頭だけを埋められた人々の墓だという。

「きっとこの人たちの霊魂は死後にも一人前の人間として生活することを許されなかったのであろう」・・・「こうした事実から考えると、貴族以外の人間はまったく生前も死後も一個の人間としての扱いを受けていなかったことがわかる」

 

この先祖崇拝と霊魂の復活という発想はエジプト宗教の発想と同じように見えるが、特に霊魂の復活という発想とミイラ作りのエジプトとお骨への執着というのはおなじ考えだろう。ところがエジプトはそこから多神教としての理論を発想させて祭司集団や神殿という発想、さらにアクエンアテンの一神教への変革みたいな神教上の理論的な変化をもたらしたけれど、中国の場合はそのようにならなかった。

秦の始皇帝の墳墓は殷王朝の墳墓の踏襲であり、その根底にあるのが先祖崇拝のアミュニズム的な宗教としては高度に発展しなかった。

つまり形而上学的な思考が発展しなかったところに特徴がある。

 

中国人の思考回路が形而上学的な分野になぜ向かなかったのか。むしろそれが問題のように思える。その傾向は4000年の歴史を西欧やインド・アラブエリアときわめて対照的な文明を形成したといえるだろう。

上の貝塚さんの指摘の中で貴族以外は生前も死後も一個の人間として扱われていないという指摘は、現在の中国の情況にも当てはまるように見える。

共産党員以外は人扱いされない。

 

さてそこで加地さんが指摘してることだが、中国は亀甲から占ったり、象形文字を経て漢字を作り出したので、《はじめにロゴスあり》ではなくて、《はじめに物ありき》という即物的態度が作られているという。

そして風土から現世を肯定的に捉え、現世に長く生きながらえることを願望したという。

その過程で、形而上的なことよりも現世的な事柄に執着する態度が生まれたという。

 

中国人の《儒》という職業的シャーマンが顧客を獲得するためにその商売をいたすとしたら、顧客の求めに応じるようにふるまう。

祖霊を祭るという意識は、その家族や共同体、血縁関係の共同体に禍が起こった時に、その禍が先祖霊の仕業として解釈されるレベルからはじまる。氏神様というのは氏という血縁関係の守護神として意識されるわけで、日本にも古来からあったと言える。このレベルは世界中で共通のことと言えるだろう。

たぶんこの氏神様から、地域の神様や民族の神様に昇華していく段階で祭司集団や、教団が生まれてくるのだろう。

エジプトの場合地域神が、政治的支配の拡大で併合されていくプロセスがあるけれど、中国の場合、そういう地域神という概念を持たない。とても特異な歴史過程を宗教史上に持っているように見える。

言い換えれば、秦の始皇帝の時代にはすでに儒教的宗教性が背景にあって、その「聖人」概念や「長寿」概念が始皇帝の行動に実践されていたと思える。それでいて政治的判断から焚書坑儒が起こったのは、孔子が州の時代の封建制度を理想としていたからでしょう。

 

奥が深いな。中国の古代史は。