儒教というのは宗教社会学的に見ると、宗教的現象の一番最初のシャマニズムからいきなり理論構成されて、その他の世界宗教とはまったくその性格を異にする携帯の宗教になってい

儒教というのは宗教社会学的に見ると、宗教的現象の一番最初のシャーマニズムからいきなり理論構成されて、その他の世界宗教とはまったくその性格を異にする携帯の宗教になっていったと言える。

多くの宗教は現世と来世,つまり生と死の合理的な宗教的論理をつくる過程で、現世と来世の緊張関係を造り出している。

しかし儒教はこの緊張関係がみられないようにお燃える。

招魂再生の儀礼ー、ここから先祖の祭祀の宗教として儒教の宗教性は、その後変化することなく、日本までを含む東アジアの根をはった。現代中国でもその儀礼は続いている。つまり儒教の宗教性は日常性の中で綿々としてある。

ただ、日本はなぜ仏教に取り込まれているかと言えば、仏教の中国伝播の経緯に寄るのだ。このことを説明している文章をWebで見つけた。

 

「仏教は人の輪廻転生からの解脱を追求します。それにより人はこの世の煩悩を消し去ることが出来、仏になれるのです。輪廻転生とは、死により、そこで終わるのではなく、六道(天・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄)の世界で他者に生まれ変わり、それを永遠に繰り返すことです。したがって、死により人はそれ以前の世界との関わりを断絶されます。当然ながら、遺族とも関係なく、残された肉体とも無縁となります。すなわち、墓は無意味となります。
この仏教の基本と儒教のそれとは矛盾します。そこで、中国に入った仏教は儒教と衝突して、そのままでは中国社会に広げることが出来ませんでした。最終的には、儒教の招魂再生を取り入れることで、仏教は中国で生き延びることが出来ました。それは隋唐代です。このため、『盂蘭盆会経』を中国人は偽作しました。これによる儀式が盂蘭盆会、すなわちお盆です。木主は位牌に、柴を焚くのは焼香となります。そして、招魂再生は先祖供養となります。墓も必然となります。この中国で変容した仏教が日本に伝来された」ということになる。

 

日本では宗教としての儒教は仏教の中に取り込まれていて、その後日本では思想的学問として儒学、さらに朱子学として江戸時代に広く学ばれたわけだ。

中国でも宗教的な<神>をめぐる議論とか<救済>をめぐる議論、教団同士の抗争などというものは生じることなく、哲学的な儒学の分野での論争が繰り返されるようになる。

儒教は日本では儒学として哲学とか思想として議論されているけれど、その宗教性は仏教伝来時に儒教と妥協した招魂再生でというところにあらわれているのだ。お盆というのはそういうことだったのだ。

国と日本の仏教伝来以降の思想史を見比べたなら、日本は浄土真宗とか法華経の発展と教団の勢力が現世権力と緊張関係を作り、阿弥陀仏や観世音母に救済を願い、大乗的思想が鎌倉時代以降主流になる。

儒学は支配者、武士の精神面の修養の学問となって、深く日本に根差すものとなる。この日本の宗教史は西欧の宗教史と類似した性向を持っていて、さらに重要なのは戦国時代から江戸時代にかけて町民文化が形成去れ、その町民が救済宗教の担い手となったという流れだろう。

この日本の経緯と中国との歴史を比べたときにどういう違いが顕著なものとして来るのだろうか。

秦の始皇帝の時代、焚書坑儒の動きがあったけれど漢王朝で復活して、後に国教とされる。

それで中国にはその後、孔子が理想とした周王朝の封建主義は実現されず、全体主義的な始皇帝の法治主義がとられてきて、孔子の理想は江戸時代の日本で実現した?

中国の歴史を改めて考察することは、日本の文化の違いを際立セルことになるかもしれない。

中国の歴史に置いてみると、秦の始皇帝の時代に、焚書坑儒があったのは、その宗教性でなく、周など封建的政治体制を是として君主の徳を説いた孔子の思想が統一国家を造り出す時に目障りだったからだ。