加地さんの本「儒教とは何か」の冒頭、はじめにⅰ~ⅶまでの間に書かれていることで、日本の葬式が、実は本来の仏教とは違っていて、

「死者の穢れ――これは日本古来の死生観であり、神道にツながっている」

「日本人は死者をけがれたものと考えてきた」

「現在ごく普通に行われている仏式葬式の中に、実は儒教や神道の考えが色濃く流れている」

「そして一方、儒教と言えば、ただ単に倫理道徳としてしか理解されず、しかも古い封建的なものという、否定のおまけまでついている」

だから儒教とはなにかを根本から問い直すと加地さんは言う。

 

儒教って宗教なのにその宗教臭さが臭わないのは、儒教そのものが高度に論理的に体系づけられて不可思議な部分がないからかもしれない。

宗教というのは世界と人間と不可思議なものをどう合理的に解釈するかということによる。

儒教の変なところは魂の救済とか、絶対者とか神様がどんなだとか論じられていないし、どう信仰せよとも書いてない。ほんとにどこが宗教なのと問いたくなる。

 

加地さんは宗教の定義として、「宗教とは、死ならびに死後の説明者である」という。もっと簡潔にして納得がいくので、この定義を受け入れよう。

「死後」の説明ができるのは宗教だけであるという。確かに仏教、キリスト教はそうだ。エジプトの宗教もその典型だ。ユダヤ教徒イスラム教はわかりにくいけど、救済を求めることから死後を語っていると思う。はて儒教はどうだろう・・。論語というのは旧約のレビ記に似た内容なのかな・・

論語は、易、詩、礼、書、楽の五経を前提にして書かれている。孔子以前の原始儒教の聖典と言えるのだろう。儒教は孔子がそれらをもとに一つの宗教体系に作り上げた孔子教だという。もーせがユダヤ教をまとめたように。

加地さんの本「儒教とは何か」の冒頭、はじめにⅰ~ⅶまでの間に書かれていることで、日本の葬式が、実は本来の仏教とは違っていて、「死者の穢れーこれは日本古来の死生観であり、神道につながっている」「日本人は死者をけがれたものと考えてきた」「現在ごく普通に行われている仏式葬式の中に、実は儒教や神道の考えが色濃く流れている」「そして一方、儒教と言えば、ただ単に倫理道徳としてしか理解されず、しかも古い封建的なものという、否定のおまけまでついている」

だから儒教とはなにかを根本から問い直すと加地さんは言う。

儒教って宗教なのにその宗教臭さがにおわないのは、儒教そのものが高度に論理的に体系づけられて不可思議な部分がないからかもしれない。宗教というのは世界と人間と不可思議なものをどう合理的に解釈するかということによる。

儒教の変なところは魂の救済とか、絶対者とか神様がどんなだとか論じられていないし、どう信仰せよとも書いてない。ほんとにどこが宗教なのと問いたくなる。加地さんは宗教の定義として、「宗教とは、死ならびに死後の説明者である」という。もっと簡潔にして納得がいくので、この定義を受け入れよう。「死後」の説明ができるのは宗教だけであるという。確かに仏教、キリスト教はそうだ。エジプトの宗教もその典型だ。ユダヤ教徒イスラム教はわかりにくいけど、救済を求めることから死後を語っていると思う。

 

第3章で加地さんが儒教の成立を解説する。

儒教のもとはシャーマニズムのシャーマンの存在。儒教に成立に先立つシャーマンの活動を《源儒》といい、その原儒の上に儒教は成立したという。

殷は紀元前1400年ごろから1000年頃まで続いた王朝で、その後、周(西周)が771年まで、引き続き東周が紀元前300年頃まで続き、紀元前600年ころから紀元前221年に秦の始皇帝に統一されるまで春秋時代が続く。儒教は殷以前の王朝からのシャーマニズム的宗教儀礼が、紀元前550年以降に孔子によって体系化された。

儒家思想の成立は孔子の時代(紀元前551年~479年)からその弟子たちの活動で紀元前400年ごろまでに整備されていく。儒教の祖として孔子が位置づけられる。しかし、それ以前に原儒と加地さんが言う状況があった。紀元前500年頃というのはローマ共和国の時代で400年頃にはペルシャ戦争が起こってギリシャが歴史の舞台に立っていた時期である。

ということは、東西の違いはあれ、人間の営みとしては、かなり高度の文明の時期であったということだ。

インドではこの時期に仏教が起こる。

ユダヤ王国が滅ぼされてバビロンの捕囚が586年から538年まで続き、この時期にユダヤ教が確立されてくる。

アジア、特に中国大陸は、中原を中心にして広大な範囲での歴史の展開で、西洋の地中海を挟んだ領域での古代歴史と、その出発点からして対照的な変化を生み出すことになる。

古代西洋文明が地中海を囲む範囲で展開されて、いくつもの地域での文明が産み出されて、それがローマ帝国という形で統一される。

中国は、同様に各地での文明が存在していたのを秦という帝国にまとめられていく。

世界史的な視点で見ると、西洋と東洋とそのはざまにあるインドが紀元前200年頃まで、そう文明が併存していて、それが大きな権力のもとにまとめ上げられる時期だったと言える。インドはアショーカ王が大陸を統一する。

しかし、その後の展開が、東西の歴史と文明の形成が違っていくことになっていくのだろう。インドではヴェーダー教(ブラーマン教)への批判として仏教が起こり、やがてヴェーダー教がヒンズー教に再構成されていく。ユダヤ教からはその批判としてキリスト教が生まれ、さらにイスラム教がアラブの部族的信仰と結びついて作り出されていく。

その点、儒教は孔子以来、破壊されることなく、批判されることなく綿々と今日まで受け継がれてきている。その異端として道教があるとされるが、ともかく中国にあっては思想史において西欧とはまったく異なる様相を見る。西欧にあってはユダヤ教・イスラム教との緊張関係、カソリックとプロテスタントとの緊張関係があり、仏教ではその後大乗と小乗との変革があった。しかし、儒教にはそれに類する緊張がない。確かに秦の始皇帝の時に儒家の迫害(焚書抗儒)が行われたが、儒教はほろびなかった。

宗教としてもその歴史的な側面からみても共産主義の時代になっても生き延びている。これはまさに怪物君だ。こう見るとますます、この宗教はいったい何なのかと疑いたくなる。

再び加地さんの解説に戻ろう。

原始儒家=職業的シャーマンであって、その儒家は<孝>という独自の概念を生み出し、「この孝を基礎にして家族理論を作り、さらにその上に国家理論を造り出し、一つの体系的理論を構成した。」「シャーマニズムを基礎として政治理論までを(更に後には宇宙論・形而上学も)有している理論は、おそらく世界で儒教だけだろう。」

この「シャーマニズムを基礎として」いることが宗教のレベルで言うと、神とか救済とか禍とか原罪などという宗教的な高度な理論を生み出さずにいる原因だろう。

つまり加地さんも言うように「シャーマニズムは限定的で、いろいろな神霊を招き降ろすのではなくて、圧倒的にその多くは自己の先祖の霊で・・・・・、一般的には自分の血縁者、つまり祖霊を招き降ろすのが原則である。」

それ故に、その職業的シャーマンはいわゆる教団宗教のように、宗教行事を独占するのではなくて、各家族自身が行う儀式として普遍化する。」

「つまり、儒家では、祖霊への宗教的行事を筆頭に、家において冠婚葬祭を行うので、いわゆる教団宗教の行為は日常的であり、人々には宗教と気づかれないできた」のだと言う加地氏の理かがある。