雨のち晴れの記 デリー空港

2012

613

デリー空港はさらに進化を遂げて、5年前にはじめてきたときの印象派どこにもなく、いまや世界中の大きな空港と肩を並べて見られる空港に変貌した。インド時間で13日のご膳130分ころだろう。ヒンドゥー語をききながら通路を行くとほっとする。

入国手続きも無事通過し荷物も無事届いていたので、3人でそろって出口に向かう。Bedi

のデリーのマネージャーのミスターシューマンの顔ない。空港内の出迎えでなく外かと思って出てみると、伊東ニマさんの親戚のヤンチェンがいた。預かり物があるので渡さねばbならない。一緒に来ていたお兄さんにミスターシューマンに電話をかけてもらい呼び出してもらった。建物の中にいたらしいが、気づかずにきてしまった。

無事あえてタクシーでダラムサラに向かえる。

ヤンチェンたちには別れを告げて、駐車場へ。空港の外も様変わりしていて、広大な土地にホテルや事務所などの建築物が建てられている。

ドライバーはアマンといい、35歳。ダラムサラにすんでいてデリーに客を送りきて、帰り車で我々を乗せていくのだ。無口のインド人。英語もほどほどしゃべる。私よりはうまい。マジュニュカジュラまでシューマンを送って、いよいよダラムサラへ向かうのだが、銅の変貌が著しい。

はっきり行って、途中ほとんど根むっていた。アムバラをすぎ、ヒマーチャルプランンデーシュ州(以後HP州)のウナに入るまで楽だった。ウナをすぎてからも 地方の幹線道路は拡張したり舗装が十分になされており、過去8回のインド旅行の中で一番快適であった。途中ほとんど休憩も取らずに走ったが、8時ころに街はわからないが朝食をとるために立ちよった街でハプニングがあった。

道路の向かいで、インド式の放棄を作っているたぶん低いカーストの家族がいた。

私は食事を済ませ、彼らを見に行く。子供らが寄ってきて写真を撮れというので、写真を撮ってあげる。まずしい一団だ。ほうきは30ルピーというので3本江川さんがダラムサラの知り合いのおばちゃんたちのために買った。そのグループの中のまだ若いであろう女性が私に右手を差し出して何かを訴えている。

「右手の手首を追って腕が動かない。仕事が出きなくなったからお金を恵んでほしい」といっているのだそうだが、右手を布で巻いている。そこへ江川さんがやってきた。早速その女性が右手を差し出すと、その腕を捕らえてマッサージをはじめてしまった。女性は途中痛みを訴える表情を何度もしたが、10数分江川さんが肩の付け根や手首、上腕などを見てあげると、腕を動かすことができるようになった。

ドライバーのアマンがいて、江川さんが、直るのには2ヶ月かかい、その間には毎日、朝昼、夕と肩の部分と腕の部分を5回ずつ力をいれずに毎日マッサージすれば直るからというのを、江川さんと私の英語をきいてヒンディー語に訳して彼らに伝えてくれた。

そしたら一人のおばあさんが、彼女の母親らしいのだが、それを私が娘にやるからおしえろという。ところがそのおばあさんもひざの部分が悪いらしくて、道路に座り込んで、江川さんは彼女にマッサージをする。そして、江川さんが言うには、血が十分に回っていないから冷えているので、冷やさないように布を包帯のように巻いて保護するようにとアドバイスをする。それをまた編まんがヒンディー語で伝えてくれる。いつの間にか人垣ができて、大騒ぎになっていたが、それでも30分以上過ごしただろうか。箒3本に10ルピーのおまけをあげて、インド初日から、奉仕の旅ははじまった。

子供達がお金をせがむが、アマンに人は生きることに一生懸命働いてお金を得ている。だれもお金をくださいなどといっては生きていないから、君達も働きなさいと、英語で言って、ヒンディー語で伝えてもらう。アマンも納得している顔をしていた。

車にねだりに北子供が一人いて、江川さんが残ったお菓子を渡したら、見せびらかして一人で食べていた。量も分けるほどもなかったからやむをえない。

我々は、その町を跡にして、ロワーダラムサラの見晴らしのいいレストランで食事をすることにして、走り続けた。午後1時30分にはロワーダラムサラについた。こんなに早く到着したのは始めてである。

ダウラダールというホテルのレストランで1時間休憩にして食事をする。

事後にロワーの店で買い物をする。古川さんがいつもの生地屋に行き、パンジャビスーツを作る。私はホーム2のためのゴミ箱になるようなものと、タオルを探したが飯野がなかった。ゴミ箱様には3つのプラスチックのバケツのようなものを買う。

ようやく午後4時半頃にTCVに到着する。通いなれた場所にもどってきたという感じがする。まずはオフィスにツェンキーさんをたずねて到着の報告をする。

荷物をピースハウスに置くためにバスケットコートにいた男のたちを手伝わせて荷物運びをする。部屋は用意されていた。

ツェンキーさんはわれわれに会えたのがうれしいようで、一気にいろいろ話をするが、まず、全体のわれわれの日程とダラムサラでの滞在期間を話して、次にダラムサラ滞在中の予定について、ツェンキーさんが作ってくれた予定を聞く。

その結果、14日から16日まではTCVの子供達、17日、18日はTCVのスタッフで、19日は退職スタッフと老人達、20日はフリーの日になった。

彼女のオフィスで話をして、さらにヘッドオフィスのロブサンに来たことの挨拶にいった。

翌日来ることだけ伝えて戻る。

そしてHome2に、私は出向いて、アマラに伊藤ニマさんの預かり物のレインコートを手渡す。さらに今回のホーム2でのテーマである清掃について子供らと話をし、オプレゼント日本製の箒を渡す。使い方を教える。

さらに土曜日と日曜日に来ることを伝えて、ピースハウスに戻る。夕食前に戻る。

7時からピースハウスでの夕食。

雨のち晴れの記     雨のち晴れの記

端で箒を作るインド人の家族              道端のジュース屋さん



雨のち晴れの記-TCV    雨のち晴れの記-ダウラダールレンジの山

TCVに到着  今日はチュパの子が多い      ダウラダール山脈の山