6月24日(日曜日)
今日は日曜日で、元気ならホーム2に行くところだが朝から部屋でおとなしくしている。気分的にはまだ雰囲気が悪い。朝梅粥を食べたら、8時に朝食だと呼びにきた。
おきて5時ごろからPCルームでメールをチェックして、スカイプに裕子がオンラインと出たので通話する。今回は私の声が裕子のipadヴォリュームの操作で聞こえるのがわかってしばらく話しをする。旧式のipadなので裕子の画像は出ないが、私の姿を見ることができるので裕子も安心する。
朝 食のときにチベタンの男性ががやってきて挨拶をする。
O.Dorjee
Montessor Center DalaLama Institute of Higher Education
Hejjala,mysore highway Bangalore
子がTezin Tobjor といい、日本に高校と大学1年だけ行ったけど、メールでしょっちゅう金を送れといわれて、金がないからアメリカへ逃げたという。
彼とは色々と話しをした。
別れてしばらくしたら彼がやってきて、息子とスカイプで話しをしているから出てくれという。日本語で彼と話しをして、せっかく習得した日本語だから忘れないようにサンフランシクスコの日本人とお友達の友達を作るようにアドバイスした。
再びPCルームで映像の編集をしてYoutubeに投稿するが、なんと時間のかかること。
先ほど眠くなって1時間ほど寝てもどっても50%進行してるだけだった。挙句の果てにUPできませんでしたとさ。インドのネット状況を実感する。しかし大都市では違うかも知れない。
お昼は岡野さんが置いていったお菓子のような食べ物で済まして薬を飲み、ホーム2に行こうとして、ホーム1のタシツォに会いにに行く。そこは4月にきた子ばかりなのだが、ホーム2いた子と42のチミのお姉さんがいた。横山さんの里子と間違える。全員の写真を撮ってあげる。
そこで結構時間を食ってホーム2に行く。子供はまばらでさほどの用もないので覗いて帰る。ホーム7.8.9を通ってダイグランドに行くとタシラモが声をかけてきた。ここでアウトは思わなかったが大ホールでオペラの練習があるという。
そこへ連勝を見に行った。始まる前に彼女が持っているノートを見たらインドの経済とあって、ぎっしり書いているので、写真を写す。この子は美人だとつくづく思うのだけど、頭もよく、私と経済の仕組みとか、経済のことについてどう勉強するかなどを長々話しをしていたら、3時過ぎにやっと練習が始まった。
タシラモは大学に行きたいという。将来はジャーナリストになりたいのだそうだ。西欧人のスポンサーがいるといっていた。
子供らの演技の未熟さもあって、そう長く見てはいられないけれど、ストーリーはかなりわかりやすいと思う民衆劇で、なんと3時間も演じるのだが、それを4つのパートに分けてガールとボーイのホステルの子供達が別れて演じるのだ。28日の午後7時から始まるという。ビデオにとって1時間ほどで退出する。タシラモとタシツォの写真を撮ろうとしたときに電話が鳴って、なんと古川さんからだった。
無事昨夜レーに無事、到着18時間かかったという。5300mはやはりつらかっと言う。それで今日はレーの町を歩いているという。ラダックで携帯のシームを買おうとしたら外国人は1週間も待たねばならないという。ヒゥン・ヒマラヤに行ったら、上甲さんの旦那が2個あるから貸してあげるというので、今借りて電話してきたのだという。明日の8時にホテルを出てTCVの学校に行くということになっていると伝えてきた。このナンバーをナワンにも教えておいてという。
まあ、ともかく無事に着いてくれて安心した。
それからナワンの家に行き、ナワンはピースハウスに行ったといい、行き違いになった。やむなく戻ってツガェンキーさんの家に行く。
ツェンキーさんに先ほどの電話を名前をつけて保存してもらう。
二人のアンクルが来ていて、一人はお坊さん。ラビアンのお母さんとにぎやかだったがくたびれてしまった。
5時半になってツェンキーさんがチョーメンを料理してくれて夕飯になった。ナワンはピースハウスに洗濯物を届けて家にいるという。結局ナワンの家に戻り、古川さんに電話をしてもらい、カーラチャクラで出会ったレーの老人の名と電話番号を伝えてもらう。ナワンがピースハウスまで送ってくれた。
今8時だが、外ではピースハウスのアマラたちが集まってパーティだ。にぎやかな声がする。
ベディから電話がかかってきて、1台の車が帰ってきたよという電話だと思うのだけどほとんど意味不明。Okということであとはバイバイ。
古川さんからの電話で、昨夜レーについたけれど、峠越えは大変だったという。
韓国人の若い人たちと一緒であった。日本人グループは高山病対策の薬を飲んでいたので大丈夫だったのだけど、韓国人の一人が途中で具合が悪くなり、意識が朦朧となってしまったという。それでとても大騒ぎになったのだという。
江川さんが言うのには井上さんと古川さんが写真を撮り捲っていたという。写真は心配しなくていいよということであった。