雨のち晴れの記-ペマ女史と 雨のち晴れの記

ペマ女史と            ヘルセンターでマッサージ

   

雨のち晴れの記-ホームの部屋
  ホームの部屋で

6月15日(金曜日)


ご膳5時過ぎに目覚めたので、ホーム2に出かけてみる。ホーム2の子供達は起きて外や部屋の中の掃除をしていた。インンドの箒は安くて使い慣れているから、みなそれを使っている。

落ち葉を払うのではなく土ごと払うので埃が舞う。溝を掃除しているが堆積した土をさらわないと水が流れない。道具も自分達で作ったごみ取りである。

掃除ひとつをしつけるのも先は長い。道具をそろえることが困難なのだ。金がかかる。

屋上にゴミ箱代わりの大きなかごが3つおいてあって、中を見ると使わない洋服が無造作に捨ててある。これらは世界中から4送られたものであったr制服のズボンであったりだ。4これらを廃品回収して再利用する方法を考える。もちろん雑巾になる。中にはタオルもすててあった。

食事風景は変わらないものだが、テーブルの上にお茶をいてもふき取ることもなく、パンくずも散らかったままだ。テーブルの上をきれいに食事するには、テーブル布巾が必要だ。テーブルマットを使えば4意識も変わるだろうか。それに食事前に手を洗わない。掃除のすんだ後の手で食べ物を触って口に運んでいる。食べ終わった後の指を吹くものがない。ハンカチを持つ習慣もない。これらの一連の所作を見ていて、この子供達にどのような衛生観念を植え付けるのがいいのか考えてしまう。日常生活の文化的な違いというのをどのように克服していくか、課題である。

本箱もだらしなく横積みになっているのを整理した。実際にやってみせる。15歳に16歳になるとガールスホステルやボーイズホステルに移り住む。15歳以下の子供らになる。言葉も伝われない部分が多い。

手を洗うには石鹸を常に与え名けれbさならない。費用の問題が立ちはだかる。

アマラがスモールツェリンの結婚式が7月2.3日にチョクランサールのコミュニティで行われるという。参加しないといけない。チベタンの結婚式は2度目になる。ヌブラバレーの予定を変えよう。

ピースハウスに7時前に戻り朝食をっ済ませて、この日記を書いて9時になるのでヘルスセンターへ行くように二人に声をかけるが、30分ほど遅れてヘルセンターにつく。子供達が大勢待っていた。男子24人、女子25人であった。ツェンキーさんが名前を聞いて名簿を作る。

どちらにしても49人を午前中で済ませるのは大変だ。昨日と同じようにナワンとツェンキーさんと女性二人の4人でスタート、あとからペンテルさんが加わって5人マッサージをする。

お昼過ぎになって、ツェンキーさんに電話がかかってきた。

「グンジサン、アマラからランチにきませんかと言われている」という。

アマラというからホーム2のアマラか、などと思っていたら、

「ジェツン・ペマ・ラ」という。

まさかと、思ってて聞き直すと、ツエンキーさんが

「早く行かないと行けない、ヘッドオフィスに行きましょう」という。

江川さんと古川さんに告げると、周りの人たちも早く行きなさいという。残った成都pは5人くらいであったので、ナワンらがいいからという。

「写真を撮ってきてね」という。

急な山道を駆け上るように急いでヘッドオフィスに行く。テラスに食事の支度がしてあって、応接室にを見る若い首相とペマさんとイエシイさんとTCVの理事長とディレクターがいて、彼らは食事を済ませていたが打ち合わせをしていた。

ややしばらくして、ペマさんが現れて、江川さんや古川さんを向かいいれてくれる。私も同様にしてくださって感激のひと時。部屋に招き入れられて、新首相にペマさん自らが江川さんのことを紹介してくださる。光栄なことだ。そしてテーブルで食事をするように進められて品のいいチベット料理をいただいた。

新首相と打ち合わせをしていたが席を立たれてお帰りになるという。私達も食事の途中だが起立してお見送りする。ペマ女史はこれからデリーに出かけてしまうので、もう会えないという。

「江川さんは秋にまた来て、2人のモンクにあなたのマッサージを教えて上げてくダサい。そうすれば法皇様にいつでも二人ができるから」と言われて、車に向かわれた・

お別れの握手をさせていただく。イェシーさんはまた戻るから言われてお見送りにでる。

戻られたイェシーさんとお話をする。

最初は交通事故の話。このマックロードガンジーで交通事故にあって車ごと落ちたそうなのだが、奇跡的に無傷であったのだ。車は大破したようだが、周囲の人が見ていてすぐに助けてくれたという。二日間くらいは休んだと言われた様に思うが、体はまったく心配ないという。奇跡だ。

その話の後で、我々の今回の訪問の予定を話す。ダラムサラに1週間いてクルーとパトリクールを訪問してラダックのレーに行き、チョクランサールのTCVを中心にして、コミュニティでマッサージのデモンストレーションをすると説明する。

イエシーさんは手配はできていますかと聞かれたので、ロブサンが全部やってくれたと答えて、さらにレーでは法皇様の宮殿のゲストハウスに止めていただけるようですと説明すると、あすこはいい場所だからといわれた。さらにラダックから来た江川さんの生徒が一生懸命マッサージしているとレーの校長の話をする。またアロマに使うオイルの話しで、ラダックのものはよいのだといわれる。

我々は今回、ラダックでマッサージのデモンストレーションをして、もしラダックの人たちがこれはいいものだと認知されて、自分達もマスターしたいと思われたら、講習のプランを立ててくれれば、我々はそれにしたがって行動したい。大事なのは自発な要望に倉庫とですとわれわれの考えを言うと、それはいいことですと答えてくれた。

さらに、江川さんの望みは、無医村の小さなコミュニティにマッサージのできるヘルパーさんを配置することですと伝える。そのためにもあなたの理解と協力が必要だと述べる。

イェシーさんも賛同してくれた。

どして、この活動は続けることが大事であると述べる。

それから生活環境を変えてクリーンネスの問題に取り組む必要性を訴えた。埃を吸うことで小さい子供の気管支系の病気が多いので、生活習慣が違っても、それを取り上げて検討する必要があることを述べた。日本式の外と内側との履物を取り替える生活で、埃を少なくする仕組みをみんなで考えたらどうかと述べた。

さらに、VTCについて私の持論を述べた。職業訓練校は、今のチベット人にとって職業を得るために需要な組織である。この学校をTCVの大きな学校と同じ数を作る必要があると考えると訴えた。今でもインドで仕事を得るのは難しいけれど、良質の労働者を作らないといけないし、日本の企業での雇用の促進などをお願いする必要や、日本企業と接触しないといけないと提案する。

イエシー先生も日本人のリタイヤーした人たちを先生として招くなど必要だと言われる。

そこで、ぜひ日本に留学した学生を、その後TCVで採用して我々日本人との意思の緒通を図る必要があると訴えた。

さらに話題は日本におけるチベット人へのサポーターの問題に触れ、チベット教育基金の助安さんのことにも及び、TCVと教育省は一部意見が異なる部分はあっても対立することなく両輪で動いていると述べられる。次回教育基金のグループがダラムサラ訪問を計画するので、そのときにはイェシーさんと懇談してくださるようにお願いした。

サポーターの多くはダライラマさんしか見てなくて、チベット人社会や子供達のことを考えてくれて活動するグループは少ない。我々はユニークなグループだと述べて、お互いに笑いあった。

東京事務所のことについても、私の意見として十分に機能しているようには見えないと述べた。富士山登山のこともご存知であった。ただ個人的な意見というにとどめた。

かなり複雑な話しをイェシーさんと英語で話しをした。ヒアリングは古川さんに頼る。

でも、今のチベタンの抱える問題をストレートにイェシーさんとこれほど率直に話せたことははじめてであるし、大変緊張もする。イェシーさんは60歳だという。私はラダックで誕生日を迎えて67歳になるけど、これから先も活動を続けたいと述べて、話しを終える。

その後、江川さんはヘルスセンターに戻り、私と古川さんはヘッドオフィスへ。

ロブサンンにKullu DaySchool への寄付金を渡してもらう。古川さんにお金のことは頼んだ。そして私はイエシーさんが信頼するTCVの副理事長の部屋に行き、昨日のインタビューの映像の正しいのをコピーする。

そこでまた、二人で話しをすることになった。

私はVTCの問題を取り上げて、イェシーさんに訴えたことを再び論じた。そしてインドで就職することの重要性を話すとともに、パン製造の問題を取り上げて、TCVの店のパン屋を100件に増やすことを述べた。それは彼にははじめて聞くことであった。チェーンストア理論を紹介して、オペレーションの技術や雇用の促進などに役立つ例として語った。

それからこれからビジネスをはじめたり、就職する子供達にビジネスとは何かなどを教える講座が必要だとも訴えた。

具体的には商売でのサービス面について、動作を入れて説明し、お客とは何かを考えることを教えていないと訴えた。

彼もこどもたちがTCVを卒業して後の問題を取り上げて、その困難なことに直面していることを認める。

さらに作業場のクリニングとクリンネスの問題を取り上げて話題にした。

私は最後にこれらのことは仏教をこの世での実際の生活の仲で実践するマインドの問題だといい、そのマインドを切り替えないと、この新しいシステムに対応できないと締めくくった。

彼ともかなり真剣に話しをして、私がかんがえていること、認識していることが間違っていないと確信する。これからも子供達の将来のために、提案をしたいと私は訴えた。

これらのことをストレートに話す外国人は少ないだろう。

彼は私との対話を楽しんでくれた。レポートを出す必要があるだろう。

私が副理事長と話しているときに、古川さんはロブサンと話をして、ロブサンの悩み事を聞いていた。外国人の多くがここに来て支援をすると言って帰るのだが、その後なしのつぶての人がかなり多いのだという。誰をしんじていいのかわからないことが多くあるそうだ。そういう意味で我々は継続してやってきてくれることで、みんなの信頼を得られていると思える。



古川さんはツェンキーさんの事務所に行き、お金の清算を済ませていた。

ツェンキーさんのドルマところへ男の子が呼ばれて起こられている。後で理由を教えてくれたが、スポンサーに手紙を一度も書かないのだという。子供のレベルの問題を訴えた。卒業しても真剣に仕事を探す子供と、いい加減に過ごす子供と、子供の側に問題があるケースも多いと率直に語る。

そういう問題を我々に語り始めてくれたことがうれしい。



再びツェンキーさんとヘルスセンターに戻る。

結局6時までヘルセンターでマッサージをする。最後はドクターを見つけて、マックロードへ行くという先生を座らせてマッサージした。この医師とも話しをしたいと思う。

何十人マッサージをしたか、わからないけれど、今日も大奮闘であった。

私はソーイングコースの部屋を見に行った。教室はきれはしが床にたくさんちらかっている。この下手には箒がない。これを見てまずクリンネスの問題は教師から指導sディなければならないと考えた。先の長い戦いになりそうだ。



夕方7時にピースハウスに戻る。夕食を済ませ、今日もお湯が出ない。シャワーはない。

二人の重要な人と会話をしてだいぶ疲れた。11時には寝てしまった。