改葬にいたる経緯

3月11日の大震災の後、17日から29日までインドに出かけていた。なぜかということの説明は後にして、帰国するとすぐに妻が、お寺さんから知らせがあって、お墓が壊れてるみたいよ、という。封筒には写真が同封dされていて、みるも無残な姿になった墓が写っていた。

私の寺は水戸市酒門町の善重寺という寺で、父がとても大事に思っていた寺であった。父が渡し名義で建てた墓であった。

わたしはお寺に電話をして、4月早々に寺に見に行くことにした。

3月31日に、この碑は妻の誕生日だったが、朝から喧嘩になって、捨て台詞をはいて妻が仕事に出て行ったのだ。こちらはいつもののこととは言え、収まるのを待つしかないので、ふと思い立って、墓地を調べることにしてインターネットで、しらべはじめたら、本郷陵苑という東京の室内型の墓地のHPを見つけた。

これについては後で説明するけど、これはいいなぁ、思えて電話して内容を確認下と思う。

ご機嫌をとるために夕食は外へ出かけたと思う。そしてこの本郷陵苑の説明をして、それが良いということになった。話しが前後するが、以前からお墓を近くに移したいと妻と相談していたので、壊れた墓を直すより、こちらへ移すのが良いと考えた。今ならお金もある。

それで、寺にはその意向と、費用について確認することもあって、住職と話をしなければということで、電話して2日の時間をいただいたのだ。


4月2日に水戸に出かけて住職と話をした。このときがはじめてであろう。住職と話をしたのは。

まず、こういう墓を移すことを「改葬」ということを知った。

そのためには市役所の改葬許可書が必要で、それには住職の印が必要なのだということがわかった。

それで、墓を移すということは、檀家をやめるということで、寺によっては離壇料が必要なところもあるという。幸いこの寺はそういうことはしないといわれる。

次に、墓は言ってみれば墓地を所有物として購入しているわけではなく使用権を持っているに過ぎないので、墓地を移す際には、原状回復が原則となり、更地にしないといけない。それは石屋の仕事だけど、50万円必要だということがわかった。これは知らなかったので、新たな出費だ。さらにお経を上げてもらわねば鳴らないだろうから、そのお布施というかお経料をお尋ねしたところ、遺骨を運び出すときには、つまり水戸から持ち出すときにお経上げていただくので、10万、さらにお墓から遺骨を引き出すときにもお経を上げていただく。それが3万、計13万をお寺さんへ、50万を石屋さんへ払わねばならないことがわかった。

けっして簡単なことではないのだ。

これは2日に住職と話をしてわかったことであった。

そのときに本郷陵の説明をしたのだった。


本郷陵苑の説明をすると、言ってみればお墓の共同住宅見たなもので、倉庫に遺骨の箱を並べて、機械で拝むところへ移動してくるのだ。そ遺骨を入れる箱と、そのシステムを利用する権利が、〆て80万であった。これは所沢にお墓を買うよりも合理的で、しかもおまいりに来やすい。

4月3日に娘たちと本郷陵苑に出かけた。