今回一番彼我を受けた菖蒲田の地区のバス停
ここは田んぼでした
5mははるかに超えて津波は襲ってきた
無残な松の木
流された家
ここも田んぼでした
一階
立派な松林もむざんです。
海浜公園も無残に
トラックが
子どものぬいぐるみ
ガードレールが渦を巻いてまがっている
5月26日-28日と宮城県の先代に近い七ヶ浜町という人口2万人の町に、ボランティアで行ってきました。正直私も年寄りの部類なので、若者のような行動はできません。何していいかわかりませんでしたが、チベットのサポートグループの仲間と二人の協力者と計5人で行きました。
最初は福島県いわき市小名浜に知り合いのNPOがかかわっているので、行こうと計画したのですが、われわれのリーダーが知り合いの人の依頼を受けて宮城県の七ヶ浜町ということになりました。
ところがその町がどこにあるのか、いままで聞いたこともない町なので、地図で探しました。
それで場所はわかったのですが、事前情報で、食べるものがない、家rが流されているから家庭用品が何もないという話を聞かされて、食器や衣類をあつめて持っていくことにしました。
自分たちの食事の心配、寝袋の持参など、わからないことだらけではあったのですが、ともかくいってみないと、と言うことで現地入りしました。現地のボランティアセンターの方と連絡をとって現地入り。午前8時半から受付でした。
一般ボランティアと専門職ボランティアに別れていて、われわれはボディケアーマッサージといことで、専門職に登録しました。
様子を見ていたら9時からその日の打ち合わせが始まり、必要な仕事が求められて、それに参加する人が求めに応じて参加します。いろいろの仕事があって、以前は被災現場の片付けなどが多かったと思うのですが、仮設住宅への引越しの手伝いとか、仮設住宅への配達とか、アルバム集めや写真の水洗いや整理の仕事、子どもたちの相手をする仕事や、仮設住宅の集会所のお茶くみ当番など、肉体仕事以外にもこまかく仕事が考えられていました。
ここは小さな町なので、名古屋のNPOが1年間、ボランティアを送り続ける活動をしていて、常時20人くらいのボランティアが入れ替わりで来るようです。土日は近くの人たちのボランティアがあり、私がいたときには宇都宮の高校生が校長先生と一緒にお昼の炊き出し支援にきてました。
物資はかなり集まってきていますが、配分にについてクレームも聞きました。ここでも行政の対応がスムーズでないように感じます。町がどのようなことをしているのかは見えてきませんでした。
町長さんの隣にすんでいた方とも出会いましたが、家は跡形もなく流されたそうです。
これからおいおい、個々での体験を書いていこうと思います。であった人たちのお話は、新鮮なうちに書いておきたいと思うのですが、どこまで出来るやら。
6月にも行く予定です。今日は行ったことの報告です。やはり3日間でも疲れました。まだ回復していませんね。昨夜帰ってきたばかりです。