今日は分け合って聖路加病院の建てたツインタワーにいってきた。仕事ではなく、チベット関連の事柄で、久しくいったこともないようなところへいったのだ。新富町の地下鉄の駅から歩いて6分くらいかな。

聖路加病院というのは以前名前は聞いていたけれど、言ったことがなかったが、3年ぐらい前だろうか、知り合いの人が入院していると聞いて見舞いに行ったことがある。受付のあるエントランスから病棟まで、すんばらしいホテルのような病院でしたね。

こんなとこにおいそれとは入院できないなぁと、つくづく実感しましたね。入院した人の実態はしらなかったけれど、優雅に仕事をしている人もおるんですよね。

以前、看護師に娘がなるといって、聖路加病院付属看護学校を受験した親の話をきいたことがある。なんでも看護師になるといっても、ここの看護師は頭脳明晰、容姿端麗が条件で、語学ができるのは当たり前、なんかランクがかなりちがうとか。並みの親では苦労するというお付き合いの世界らしい・・・・、建物見るとほんとに立派。

入院患者もお金に糸目をつけない人が多いのでしょうね。

日本の中の階級格差を見せ付けられながら、あの界隈を歩きましたね。

 

築地といえば料亭築地田村、まあ知らない人は知らないだろうけれど、つまり縁がないだけ、知っている人は当然どんな店だか知っている。夜の座敷にまともに上がったら大変だ。所詮庶民の行くところではないけれど、お昼の料理なら、いけそうだという。その店の2代目と同級生という女性と、裏口から入らせていただいて、老舗料亭の板場を見せていただいてしまった。

 

あまり詳しいことは差しさわりがあるだろうから遠慮するけれど、働いている人たちがやはり江戸っ子なんでしょうかね。言葉がやはり粋に聞こえるところがいいね。仲居さんが勤めに出てくるのだけど、みなかなりの年配者だが、どこか今のでれでれとした、女性たちを見ているよりはすがすがしい。

 

そういえば、今日昼前に、TVで落語の「いくよ餅」を聞いた。職人が浮世絵の花魁の絵に彫れて、親方から1年しっかり働いて、手元をためて会いに行けといわれて、まともに受けて働いて、吉原へ行く。その後、花魁の年季が明けて結ばれて、いくよ餅を売り出すという江戸話なんだが、そこに職人の労働倫理、つまり全うに働くことの尊さが落語になっているのだ。

 

ああ、日本の文化はやはり江戸時代に形成されて、その職人の労働意識が近代日本にむすびついているんだなぁと関心した私大なんだけど、この「料亭田村」の板場で、そういう雰囲気を感じて、すこしうれしかった。

もう江戸前というか、そういう粋なことがすくなくなって、あまりにも無粋なことが多くなっているから、こういう文化は残してほしいなと思ったね。

でもそういう日本古来の上質の文化に触れるためには、高額な元出がいることか。汗水たらして働かないといけないねぇ。

 

築地本願寺のことも書かないといけないか。初めて中に入りましたが、雰囲気がいいですね。どういいかをきちんと説明できないと文章表現としてはなっていないんですがね。

 

あの本願寺は昭和に建造されたのかな。外観はインドの寺院の雰囲気があって、石造りだから日本の寺院としては実にめずらしいもので。確か有名な方がデザインしたと思う。検索すればすぐわかるでしょう。

重厚な正面の階段を上がって、大きな正面のとびfらを開けて入ると、正面に阿弥陀菩薩立像の祭壇があり、その周囲は広い畳敷きで、僧侶がお勤めをするスペースになっている。その手前が柱のない左右に広がる一般信徒の並ぶスペースで、椅子が教会のように並べられている。祭壇の前にお香をたく台が置かれていて、一礼してお香を一掴み分焚いて、静かにお祈り、この場合は「南無阿弥陀仏」を9回唱えてから、一歩下がって一礼して終わる。

だれもいないような静寂の雰囲気は、イタリアの古い大聖堂にいるようで気分が良かった。時々ここにこようかな、みたな気分になった。

 

日本の仏教は、やはりいい。日本人の文化は、辺境文化で、西からやっt来た新しい文化を取捨選択して取り入れ、しかも独自の感性で作り変えていく特性がある。多くの地域を見ていて、これほどまでに独自の文化を創り出しているところは皆無であろう。

 

日本は決して伝統主義のままではないし、ラディカルでもない。中道のバランスのいい感性を持っている。中国人やインド人、欧米人もこの感性はないだろう。

辺境という意味ではチベットもそうであった。文化の受容という点からすると辺境であった。同じように鎖国的であったが、日本はオランダからの情報を得ていたのに、チベットは中国とモンゴル、ここに文化の変質の違いが出てきているようにも思える。

 

また文化論になってしまう。つまり世界で日本ほどいい国はないということなのだが、日本人がそれにまだ気づいていないということが問題なのだ。どうも明治維新の名残で西欧崇拝、日本後進説が残っている。欧米なんてもう正直言って魅力はさほどない。もう新しい文明を生み出す雰囲気は、正直ない。たぶん伝統主義的に回帰するだろう。イスラム圏は論外で、基本的には停滞文明だ。中国も王朝制に回帰shじて、民主化は望めない。分裂するだけで、ロシアのようになる。本とはそのほうがいいのだけれど、そうならないだろう。

 

 

料亭田村の帳場に「60歳、これから人生が始まる・・・」という書き出しで162歳までがんばれという教訓が書いてあった。細かいことは全て忘れてしまう。でも、70歳まだ未来がある・・・と書けば、左記は長い。そう100歳は通過点だとあったような気がする。

 

 

久々に築地界隈にたちよって、またこんなことをかんがえていた一日でした。