「健康でなければ始まらない」「健康にいつまでも働こう」

このような言葉をよく耳にしますが、私たちは健康というものにこだわりすぎてはいないでしょうか。本当は健康であるとか健康でないとか考えていない状態が健康なのではないでしょうか。

 

 確かに健康であることは幸せであり、健康であるからこそ自分の満足する人生を送ることができるという側面もあるでしょう。現代社会は、水も食物も空気も質が良いとは言えないので、食べるものを無添加、無農薬に近づけ、より自然なものを取り入れるというのは、素晴らしい試みであると思います。そうした試みはこだわりというよりも、ごく自然な生き方であると思います。

 

 それとは反対に、社会や企業、専門家が「これが健康な食べ物です」「この食事法をすれば健康になれます」と宣伝をすれば、それが自分の心と身体に合うかどうかということを考えずに、それがあたかも唯一の正解であるように受け取ってしまう人がたくさんいます。

 

好きであらゆる健康法を収集している人ならいいのですが、健康というわかりやすい言葉を使って、広められている食事法や運動法にただ振り回されている人があまりにも多い気がするのです。そうした健康法というのは、健康に結びつく面もあるのかもしれませんが、自然な生き物であり日々変わっていく人間を、「この健康法が良いから毎日やるんだ」「この食べ物が身体に良いから毎日食べるんだ」という固定的な考えに留めてしまうこと、そして自分自身をそうした健康法でコントロールしようとすることは、自然でないために後々

問題を起こすこともあると思うのです。たとえ、その健康法が正しい知識であってもです。

 

 食生活一つとってみても、私たちは「この食べ物は体に良い、悪い」とちっぽけな頭で勝手に判断をしていますが、昔から食べられてきた自然の食材には食べられてきた意味があるはずです。その良い、悪いという基準も今は正しいとされているけれど、時間がたてば変わってしまう曖昧なものなのです。

 

人間の身体というのは完璧につくられています。寒い日には暖かいものが食べたくなったり、味の濃いものを食べ続けたら味の薄いものを食べたくなったりするように、その時、自分に必要な食べ物を身体は教えてくれているのです。そうした心と身体の声を聞かずに、頭の理性を使って食べるものや食べ方などを自分の思い通りにコントロールしようとするから、自分の中で矛盾が起こり病気になるのです。コントロールしようとすること自体が自然ではないのです。

 

 現代社会で生きる私たちに必要なのは、頭で「あの食べ物は身体に良い、悪い」と判断することではなく、「自分の心と身体はどんな食べ物を欲しているのだろうか」と問いかけてみる態度なのではないでしょうか。そうした自然な人間のあり方が、一番の健康法なのではないかと思います。ここまで読んでいただきありがとうございました。

 

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