ワンマンライブを終えて迎えた2011年。
年始から始めることがあった。
"短編小説をブログの中で発表していくこと"
と
"毎週火曜日23:00〜のインターネット生配信"
である。
こうなった経緯を書いていこうと思う。
ワンマンライブ後、吉本興業本社にてミーティングがあり
今後どう活動していくべきかを提案をしてもらった。
吉本興業には音楽レーベルがあり、当時はR&Cという名前で運営されていた。(今はよしもとミュージック?だったかな)
自分としては契約へ向けての話をしたかったものの、R&C側は前向きではなく…結局、活動の提案みたいな感じで終わった。
その頃のレーベル担当スタッフの方はNMB48の制作や現場で多忙な様子であった。
ワンマンライブに来てくれたスタッフさんの意見を頂き、
「萩原君の歌は、風景が浮かぶね。小説とか書いてみたら?吉本のブログアカウント作っとくからそっちでやりなさい。」
とのことで強行スタートになったのであった。
数日後、ラフブロという吉本興業運営のブログサイトにオフィシャルブロガーとして名前が入っており、サイトを作ってもらっていた。
ちゃんと「短編小説」「ブログ」とカテゴリー分けがしてある。
確かに自分は"物語を描くように歌詞を書こう"と楽曲を書いてきたので、抵抗はなかったがもちろん小説なんて書いたことなかった。
手探り状態で始めて一曲ずつ描写をイメージして物語を描いた。
インターネット生配信については、テレビ番組のゲストで出演した時に
"テレビとはいえ、一回出ただけじゃダメだ。レギュラー番組持たないと…"
という思いで、なら自分で作ろう!と。
そんな思いで1月からスタートしていった。
ちなみに2025年現在は
ブログは吉本興業のサイトが閉鎖してしまったのでアメブロで。
インターネット生配信はツイキャスで不定期配信という形にさせてもらっている。
(配信は今のところ再開の予定なし)
そして、もう一つこの年に行なっていたことがある。
それは
"マンスリーのレコ発ライブを東京と新潟で行う"
というもの。
未発表の楽曲1曲を収録したCDを¥100で毎月販売していった。
当時は東京で暮らしてたので、東京はやるとして、なぜ地元でもない新潟なのか?
これはホームとなる場所を東京以外に作りたかったのと深夜バスを使えばかなり安価に移動がでることからこの2ヶ所にしたものである。
インターネット生配信と短編小説の執筆は1月から、マンスリーのレコ発ライブは2月からスタートさせた。
そして
そのすぐ後…
3/11に東日本大震災が起こる。
⑧「遠くまで届くまで」へ続く
【LIVE SCHEDULE】
11/17(月)新潟.lagoon 20
「萩原大介ワンマンショウ2025〜新潟編〜」
12/14(日)京都someno kyoto
チケット予約はHPにて受け付けています。
↓
【official website】
https://hagiwaradaisuke.amebaownd.com
【YouTubeチャンネル】
https://www.youtube.com/user/hagiwaradaisukeFILM
【萩原大介 web shop】

