辻仁成という人をご存知でしょうか?
ご存知の方は"小説家"というイメージの方が強いかもしれない。
この人はECHOESというバンドでボーカルをしていたミュージシャンで、音楽活動と並行して小説家となった方です。
「音楽が終わった夜に」というエッセイでバンド時代の話が赤裸々に語られています。
かなり面白いので、よかったら是非読んでみてください。
さて、
ECHOESのことを思い出していたら…自分のバンド初期の頃の逸話を思い出したので
今日はその話を書きます。
思えば色々ありました。
自分は18歳で東京へ行き、とりあえずバンドを組みたかったので必死にメンバー募集をしました。
バンド時代の話はこのブログでもたくさん書いてるので、今日はちょっとレアな話を…
(もしかしたら初めて書く内容かも)
まず最初に募集のチラシで連絡してくれたのは
ドラムの女の子で…あまりしっくりこなかった。何回かスタジオに入ってみてから会わなくなった。
次に連絡してくれたのはベースの女の子Tさん(なぜか女の子が続いた)。
この子の知り合いのドラムとセッションをしたりする機会もあって、前のドラムの女の子よりは長く演奏はしたものの。
やはり会わなくなった。
で
本格的に自分の曲ができ始めてから知り合ったのがまた別のドラムで。
G君という、非常にタイトで良いドラムを叩く男だった。
彼はとても華があったし、自分の曲も気に入ってくれていたようで2人でよくスタジオに入ってたり、だらだら話したり割と長く続いた。
そのすぐ後くらいにベースの女の子の加入希望があって3人編成のバンドになり、何度かセッションをする。
が、3ヶ月くらいだろうか…経った頃に急に手紙が届いて。
"申し訳ないですが、もう一緒に演奏することができなくなりました。ごめんなさい。"という内容で、いまだにこの真相は謎。電話しても出てくれなかった。。。
(一つ謎なのは手紙が届く直前のリハーサルで彼女はとても良いフレーズを弾いていて、見違える程上手くなっていたこと。今となっては謎。)
またG君との2人編成に戻るも
ある日"今やることないからやってるだけ"みたいなことを言われ、流石に頭に来たのでそれきり会うのをやめる。
それから少しして
次に連絡してきてくれたのが
2007年の解散まで一緒に演奏することになるベーシスト藤原君だった。
しかもなんと…最初の頃にセッションしたベースの女の子Tさんとたまたま友達だったという。
…とここからcublic-settsというバンドがスタートするわけです。
バンドメンバーのオーディションとか、
本当めちゃくちゃやったし
何十人の人と会ったか分からない…ので
他にもたくさんの逸話があります。
またそのうち書こうかなぁ。
というわけで
今日はECHOES「ZOO」カバー動画をアップしました。是非聴いてみてください。
インスタグラム(毎日更新中)
LIVE SCHEDULE2019
4/29(月・祝)京都second rooms(昼公演)
〜ワンマンライブツアー2019〜
2/23(土)東京ナカノステレオ※終了
3/23(土)新潟クラフトカフェchillin'mama※終了
4/20(土)三重ガーデンカフェ ボヌール※終了
5/24(金)大阪Arc
萩原大介ワンマンライブツアー2019ファイナル
〜お客さん100人呼びます大阪単独公演〜
OPEN18:30/START19:30
adv.¥3000(+1drink)
door.¥3500(+1drink)
チケット予約、詳細はコチラ
↓
https://hagiwaradaisuke.amebaownd.com
↓
https://hagiwaradaisuke.amebaownd.com
萩原大介初の公式Tシャツ