「もったいない」の心 | michiruの書斎

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年を取って、初めて分かることは多い(68歳)
 表現は、1に、事実にもとづき、2に、論理性があり、3に、人を幸福にするものでありたい(69才)。私の人生にはに浮き沈み、紆余曲折があった。だからと言って、どれが幸福で、どれが不幸だと言えなかった(70歳)。

 ノーベル平和賞を受賞したケニア副環境相、ワンガリ・マータイさんが来日された際、日本語の「もったいない」という言葉を知って、心を打たれ、今、世界にこの「もったいない」運動を展開しているそうです。

 終戦後、間もなく物資の乏しい時代に、小学生になった私は、校長先生から、一本の鉛筆の芯を少しでも長く持たせる書き方を教わりました。日本が裕福になるに連れ、このような心が、段々失われたようです。

飲食店などでは、毎日どれだけの残飯が捨てられていることでしょう。あちこちに修理すれば未だ使えそうな自転車が捨てられています。空き缶、空き瓶、紙類同じです。

 しかし、漸く私達は資源の無駄遣いに気づき、リサイクルに真剣に取り組み始めました。

 「もったいない」の心の実践です。

 しかし、「もったいない」にはもう一つの

意味があります。例えば「平和で、毎日食べるものも何不自由しない今の生活がもったいない」と言う様にです。

 このように「もったない」は節約と感謝の意を表す誇れる日本語です。