朗読「銭形平次」
「橋場の人魚」、ただいま準備中です。
( 2021.7.10に公開致しました)
まずは、UP前の 予告編、登場人物紹介。
「橋場というところは、いちおう江戸の場末のようですが、
吉原という不夜城を控え、向島と相対して、
今戸から橋場へかけて、なかなかの繁昌であったことは
想像に難くありません。
その橋場の中ほど、
伊豆屋は質両替の組頭として、
古い
では、予告編、登場人物のご紹介からです。
橋場の人魚 登場人物紹介
神田の平次
明神下に住む岡っ引き。
通称・銭形平次。
八五郎
平次の一の子分。
通称・ガラッ八。
お静
平次の女房。
徳兵衛
伊豆屋の主人。五十年輩。
菊次郎
伊豆屋の総領。二十一。
釣舟で出かけ、百本杭で死体が見つかる。
徳三郎
![カメ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/010.gif)
元吉
伊豆屋の下男。
お銀
水神の森の茶屋。
菊次郎が入れあげていた。
お松
お銀の茶屋の茶くみ女。18、9歳。
三輪の万七
年輩の岡っ引き。
今回は名前のみの登場。
と、いうわけで 7月ですねえ。
例によって、“この時期にちょうどいいお話”
…と探してみまして、
「彼岸も過ぎ桜も散り仏誕会が近くなって
の「橋場の人魚」に致しました。
といっても、
彼岸が過ぎ桜が散り…
そして「仏誕会」って花祭りのことでしょうから
4月8日…
今の季節よりはもう少し早い時期な気もしますが、
旧暦4月8日なら、
現代だと5月の下旬くらい?
まあ、それでも もうちょっと前の時期な気もしますが、
“まあ~ まだ早い気もするけど
毎日蒸し暑いし、
ちょっと水遊びでもしてみたい今日この頃”
ということで、水辺のお話にしてみたということで。
というかですね、“人魚モチーフ”の話って
個人的に好きなのですよ。
タイトルにある通り、
「橋場」辺りで起こる事件です。
橋場の伊豆屋の総領(跡取り)息子・菊次郎の死体が
両国の百本杭で見つかるところから
お話が始まります。
当時の隅田川(大川)には
橋の他に、舟で川を渡す「渡し」が何か所かあって、
橋場には「橋場の渡し」がありました。
ちょーーーど、
「乗合舟」のときに 行ってみてるんですけど、
今の白髭橋の辺りですね。
参考までに、「乗合舟を巡る旅」のときの地図をどうぞ。
そういえば、
時代物の中では 隅田川のことを「大川」と言いますね。
それでついつい 今回使用の挿絵には
「大川」と描きましたが、
実は 「橋場の人魚」本編の中ではずっと
「隅田川」と書かれている。
いつもは 胡堂先生、「大川」と書いてらっしゃるのに
今回はずっと 「隅田川」で通されているので
これは意図的なものなんだな、と思いつつ調べたところ、
詳しくは 隅田川の下流、
吾妻橋辺りより下流の隅田川を
「大川」と呼ぶことがあった、ということらしい。
まあ、そういう意味では、私の絵の方も
吾妻橋…浅草辺りから下流のあたりに
「大川」と描きましたので、
間違ってはいないということに。
つまり、「橋場」って、吾妻橋より上流にあるから
そのへんは「隅田川」なんだな。
ではでは、また参考までに
「乗合舟を巡る旅」のときの写真を少し貼っときます。
というわけで
今回も しばらくお付き合いのほど、
宜しくお願い致します!
次回につづく!
【(一)の語句解説など】
(一)
【落首】 らくしゅ
風刺・批判などの狂歌。辻や河原などに看板を立て匿名で公開した。
1 紙幣を入れて持ち歩く入れ物。札入れ。財布。
2 鼻紙・薬品・つまようじなどを入れるもの。
江戸時代に流通した
江戸幕府に仕えた一万石以下の武士で、
御目見得以上の旗本と、
【橋場】 はしば
現在の台東区橋場1丁目~2丁目あたり。
橋場の渡しがあった。
岸に近い水中に波除の杭が多数打ち込まれた場所。
時代物によく出てくるのは、
隅田川が東両国にかけて大きく湾曲したところにあったもの。
流れの関係でよくいろんなものが流れ着いたんだとか。