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ゴンザレスのブログ

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蔵前橋は隅田川に架かり台東区蔵前と墨田区横網を結びます。
蔵前の名は江戸時代、公儀の米屋敷があったことに由来します。
関東大震災後の国の帝都復興事業による復興6橋のうちのひとつです。

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鮮やかな黄色が川面に映える4連アーチ橋。

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護岸まで蔵のイメージです。

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バルコニーに佇み、のぼりくだりの舟を眺めるのも一興です。

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高欄に横綱の土俵入りのレリーフがありますが、国技館が両国に移る前は左手の建物、今は水道局ですが、ここが国技館でした。通りを隔てた反対側に「首尾の松」があります。
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落語では、「あくび指南」のなかに、本筋ではないのですが、「首尾に松あたりに舟をもやって」と言うくだりがあります。このちょっといじけた松の木、何代目でしょうか。
対岸の墨田区横網一丁目地区は、学校、庭園・公園、ホテル、病院などで占められています。両国国技館、東京江戸博物館もここにあります。

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旧安田庭園、無料で公開されています。向こうの建物は両国公会堂。さらにその向こうは同愛記念病院。

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横網町公園にある復興記念館。震災、戦災で大きな被害を受けた下町の様子が記録展示されています。安全な街作り、戦争の無い世界…そんなことを考えさせてくれます。


アクセス 都営地下鉄浅草線「蔵前」、JR総武線「両国」



神田川は井の頭池を水源に、善福寺川、妙正寺川と合流しながら東に流れ、ついには隅田川に注ぎます。その最河口にあるのが「柳橋」です。
橋のたもとに柳が植えられ、橋自体も緑色に塗られています。現在の橋は昭和4年に架けられた鋼タイドアーチ橋で、平成11年に中央区民有形文化財に登録されました。
現在でも川面に屋形船や釣り船が浮かんでいるこのあたりは、江戸時代から料亭や船宿が軒を連ね、明治のころは大小の料亭約百軒、六百人の芸妓がいたと言われています。
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橋長は38.3m、渡っている人と比べてもこじんまりとした橋だ、と言うのがよくわかります。デザインは永代橋を基本にしているようですが、こちらは女性的です。
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柳と橋と。
春の夜や 女見返る 柳橋  正岡子規
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落語では「船徳」で、にわか船頭の徳三郎が猪牙船で大川に漕ぎ出したのはこのあたりでしょうか。今は大きな屋形船が係留されたいます。
幸田文の小説「流れる」では柳橋芸者の世界が舞台になっていました。
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高欄にかんざしのレリーフがあるのも柳橋の花柳界にちなんだものでしょう。

柳橋まで来たら是非訪ねてみたいのは、江戸通りの両側にあるおもちゃの問屋街です。

アクセス JR総武線「浅草橋」


大川を境に武蔵国と下総国を結ぶ橋だから「両国橋」。
明暦三年の大火事のとき、逃げ場を失った多くの市民が浅草橋見附付近で犠牲になったことや、対岸の本所、深川地区の開発と言う時代の要請が橋建設の契機になりました。
最初の架橋には万治二年説と寛文元年説がありますが、隅田川(当時は浅草川)で最初に架けられた橋です。江戸四橋のひとつ(千住大橋を入れて江戸五橋ということもありますが、当時千住は江戸市中に入っていなかった)です。

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明治37年に架けられたトラス橋は震災後現在のゲルバー式の橋に架けかえられました。その際に出た廃材の一部で中央区の霊岸島にある「南高橋」が造られました。 ( 私的東京の名橋50選 その4参照)

中央に見えるのはテラスです。
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両国と言えば「相撲」でしょうか。
国技館(右)とそこに入るお相撲さん。
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もうひとつは、花火です。歌川広重は名所江戸百景に秋の部として「両国花火」を描きました。
落語では、花火見物で賑わう橋の上で、家路を急ぐたがや職人と馬に乗った武士の一団とが喧嘩になる「たがや」があります。
さきの歌川広重ですが、夏の部で「両国橋大川ばた」を描いていて、同じ場所を二度取り上げているのは両国橋以外にはありません。
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京葉道路、今も昔も文字通り東京と千葉を結ぶ幹線道路です。
墨田区本所側は相撲部屋・ちゃんこ料理はもとより、江戸東京博物館、赤穂浪士の吉良邸跡、回向院など見どころ食べ処いっぱいです。

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偉容を誇る江戸東京博物館


アクセス JR総武線「両国」、都営大江戸線「両国」