雨上がりの朝 届いた短い手紙
嬉しいご招待を受けました。
嘗ての講習生の結婚式です。
私が足を踏み入れたことのない、川沿いに聳え立つ高層ビルの47階で開催というのも驚きですが、
招待から参加意志の確認、お祝いの祝儀決済など、すべてオンラインで実施というのも昭和の結婚式しかしらない私には驚きでした。
確定申告をオンラインで済ませて便利になったと思っていたら、結婚式にもデジタルとオンラインの波が押し寄せ、時代の波に翻弄されている昭和時代人としての自分を改めて感じさせられました。
横書きのノートに芯の太い2Bか4Bの鉛筆で、両端に7文字くらいの幅をあけ、中央揃えの様にして国語現代文の記述式解答を書いてきた講習初日、
私は、「こんなんで、本当に、大学に合格する気なのかいな」と呆れ、驚き、そして暫く身動きもできず、言葉も発することができませんでした。
初めて会い、講習内容などの説明をしたときも、「このような人間に、大学は受からない」と心の奥底から声が響き渡り、
「初見の印象だけで決めてはならない」と自分に言い聞かせようとするのですが、「これじゃ無理だろ」という推測は動きませんでした。
ところが、彼の頑張りは予想外のもので、また、お母様の懇切丁寧なこれまでの説明や、その真心、心情も響いてきて、「是非にも合格させてやる」という決意が生まれてきたのです。
昭和時代の特訓、つまり地獄の特訓が平成時代に始まり、彼はそれによく耐え、翌年の春は暖かいものとなりました。
しかし、その後に彼が接してきた教育の凄さというものは私の想像を超え、昭和時代の古い教育者では思いもよらない発展を成し遂げたのです。
大学、社会人を通して彼は自分を鍛え上げ、私の見る目を変えてしまいました。
子供として見ていた私が、つい先日待ち合わせの場所で会った容貌は、以前とは全く異なる表情と雰囲気をもたらし、私の中のふくよかで、おっとりした、少年より子供という感じの嘗ての講習生は、鋭さを備えた隙のない青年に育ち上がって、私を威圧してきました。
威圧感さえ受けてしまった私は、どうかすると敬語が出てきそうになり、こんなにも人間は変わるものかと、大学と会社で教育担当であった先生や上司の方々、そしてご友人達の指導と影響を思わずにはいられませんでした。
ともあれ、この春、楽しみな結婚式に行って参ります。
今から、待ち遠しいです。