不平を言うよりは先を見つめて進んで行くこと | 最強最後の十年を望む

不平を言うよりは先を見つめて進んで行くこと

受験生活というのは、あまり楽しくないことの方が多いと思います。

苦しいと表現したいことの連続と捉えている人もいるでしょう。

私はアルバイトしながら勉強をしなければなりませんでした。これは余計なことだと思いましたし、他の人達を羨ましくも思いました。

アルバイトで苦労をし、更に受験勉強でも苦しみを味わう生活を恨めしく感じて、心が折れそうにもなりました。

同じ様な境遇の方からメッセージを頂いたりします。そういう方は少なくないようです。

アルバイトは社会に出て体験することですから、いろいろと良いこともあり、悪いこともあります。すぐには解決できない悩みを背負うこともあります。

でも、みなさん頑張っています。
悩みながらも前を向いています。

私は、暗記力もなく頭もあまり良くないことは、高校までの成績でわかっていました。

家も狭く、静かな部屋で勉強というわけにもいかず、友人も少なく、将来を考えると暗澹とするほかありませんでした。

自分だけが不当な環境におかれているなどと考えれば、幾らでもそのような要素は数えられたのです。

ただ、体は健康でした。
そうした当時、何人かの病気を抱えながら受験生活を送っている方を知る機会がありました。

その結果、不足を言うのをやめようと思いました。

自分の環境に不足を言っても始まりません。負のエネルギーが体中を駆け巡り、精神が腐るだけです。

なんとかして、その不足をプラスにもっていこうと努力をするか、良い面のみを数えたり、希望だけを抱いたりして前を見ていくしかありません。

私は、頭があまりよろしくないので、人の二倍どころか三倍以上の努力が必要でした。

でも、三倍以上やらなければモノにはならないという欠点があると同時に、人の三倍以上やれば、人より実力が上になるということを発見したのです。

0か1ではなく、三倍以上という量を境に、0か100という感じなのです。

不平を言うよりは、先を見つめて進んでいきましょうということなのだと思い、苦しいことでしたが三倍の道を行きました。

 

三倍というのはエンドレスでやるということに近く、例えば問題集は何周でも繰り返すということです。

自分に不足やハンディがあることは、事実として逃れ得ないことなのだと思います。不平を言っても、解決することはありません。

ならば、挑戦の一手あるのみです。
入学試験の合否に不足は関係ありません。

不足ではなく、目的地に少し遠くから辿り着こうというだけです。


全てを引き受け、積極攻勢に出て、先を行く者を抜かしていくしかありません。

足りないものは何も無い、と無理にも思い込んでいました。