英文に嫌われても、いやがられても、しつこく喰い下がって自分のものとする
私が仮面浪人だった頃、なにしろ英単語が覚えられなくて、単語帳をあれこれとやってみましたが、どれも最初の三ページくらいで全て挫折してしまいました。
しかし、英単語が覚えられなければ、中心的な出題となっている英語の長文を読むことができず、英語のテストができなければ、入学試験で一番配点の高い英語で点数が取れないことになり、合格は絶対にできません。
つまり、英単語を覚えることは至上命令なのです。
単体の単語だけでは覚えられませんので、英文を読んで、その内容から推測しながら覚えることとしました。
これならなんとか覚えることができたのですが、お察しのように、入試に出てくる必要な数の英単語を覚えるためには、気の遠くなるような量の英文を読まなければなりませんでした。
わからなくても、訳と見較べて、とにかくたくさん読んでみました。
英語の先生やちゃんとした英語の読者には、すぐに訳を見てしまうので、インチキとも思える読み方です。それでも、とにかく逃げないで挑むことが大切なのだと思います。
当時は対訳シリーズが非常にたくさん出ていましたので、対訳ラッセル、ハーン、ドイル・・・などと読んで行きました。
少しできてくると、原仙作先生の英文標準問題精講をやりました。当時は、この難しいやつだけで、基礎編などはありません。
いきなりこの難しいヤツをやらなければならなかったのですが、やはり訳を味方につけて、なんとかこなしていったのです。
この、わからなくても、それでも訳を見て挑戦することが非常に良く効きました。
横浜の箱根駅伝コースの近くにある片田舎の家から2時間半くらいかけて、ある私大前まで通いながら電車の中ではとにかく英文を読んでいました。
大学での図書館で勉強中も、お昼に味噌ラーメンの大盛りを食べているときも、家でお風呂に入っているときも、トイレで大きい方を担当しているときも、とにかく英文ばかり読んでいました。
最初は、分厚い板に錐で無理に穴を開けて行く様に、非常に力のいる辛い作業でした。
しかし、そのうち英文を読んでいないと物足りなくなってきました。
スラスラ読めるようになったわけではありません。読んでいないと、逆に気が落ち着かなくなったのです。
何かを習得しようとして挑戦していて、こうなったらシメたものです。
そのまま、何でも手当たり次第に読むようになりました。
読めもしないのに、図書館にある洋書に手をだしたり、食卓にある輸入食料品のラベルを読んだり、何でも読んで単語を自分のものとしてゆきました。
時間があったら、とにかく英文を読むようにしていたのです。
寝る前にも寝床で読んでいました。
本当にいつも読んでいたのです。
今、時間が無いという受験生や仮面浪人と話していると、食事の後の休憩やバスを待っているときなど、いつでも英文を読めるじゃないかと指摘すると、
え、でも、という表情をします。
合格できる実力がまだないのであれば、英文集中作戦も悪くありません。
もちろん、休憩や気分転換も必要です。必要ですが、英文を読むことが気分転換になってくるのです。
今、私は一日の終わりにホームズものや日本の小説の英訳、宇宙や物理学などについての読み物を英語で読むことがささやかな楽しみです。
な~んて書くと、さも英文に堪能のように聞こえますが、違います。
わからないところは常に出てきて、後で単語を調べたり、ひどいときには無視したりして、内容だけはなんとかわかる、というくらいのお粗末なものです。
けれど、あの劣等生が今では、少しは読むことができるようになったのです。
時間を本当に有効に使うということを考えてみて下さい。
しつこく喰い下がるのです。