先に答えや解答の考え方を参照して再挑戦する勉強方法の有効性 | 最強最後の十年を望む

先に答えや解答の考え方を参照して再挑戦する勉強方法の有効性

私が高校生の頃、それはもうかなり昔のことですが、とんでもなくできないバカな生徒でした。

百点満点のテストで三十点台を取ると大台に乗ったと喜んだものです。

そんな私ですが、勉強をしていなかったわけではありません。むしろ、かなりやっていたのです。

読んでもわからない英文は、わからない単語をきちんと全部辞書で調べ尽くしてノートに書き入れていました。

しかし、それでもわかりません。
単語を全部調べても、何が書いてあるかすらもわかりませんでした。頭の程度がかなり低い、バカだったのです。

そんな私ですが授業はきちんと受け、予習復習もちゃんとやっていました。

でも、実力は上がらないのです。
つまり、バカなのです。

ある日、読めない英文をなんとかしようと、その頃、英語の参考書コーナーには必ずあふれるほど置いてあった対訳の書籍を買ってきました。

自分の好きな本なら読めるだろうと、シャーロックホームズの「唇の曲がった男」を購入してきました。

横浜駅のダイヤモンド地下街にある、有隣堂トーヨー店という、今でも目を閉じると店内の雰囲気が思い出せる書店で買いました。
(突然のローカル話題で失礼致しました。年老いると、若い頃のフラッシュ的な思い出が咲くもので、みなさんもあと四半世紀以上も経ったら、この心もちが理解できるやうになると思います)

対訳ですから、訳があるので、バカな私にもわかるはずの書籍でした。

ところがです、
バカな私だったのですが、ヘンナまじめさがありまして、自分で訳してからでないと本の訳は見てはいけない、という頑なとも言える規則を適用して読み始めたのです。

単語を全部調べても英文を読めない者が、複雑な推理に加えて、調度品や裏通りを含めた街区の詳細な表現がある小説を読み進めてゆくことなど、完全に不可能でしかありませんでした。

単語を辞書で調べて訳そうと試みましたが、西洋貴族特有の長い人名やその役職の解説、アヘンの悪影響などの描写に全く太刀打ちできず、最初の三ページくらいで挫折しました。

辞書で調べる手間も面倒で、二度とその本を手に取ることはなかったのです。

その後数年して、同じ対訳シリーズに出ている「ラッセル選集」を購入して読み取るまで、対訳を読むことはなく、従って英文も読めることはありませんでした。

ラッセルでは、わからなければすぐに訳を見てしまい、英文の訳し方、読み取り方などを覚えるとともに、長い英文を読む頭脳体力も養成できたのです。

ヘンナまじめさを発揮することなく、英作文がわからなければ解答を見てしまい、英文の作り方を覚えてから再度書くとか、数学や物理の問題の答え方を覚えてから、同じ型の問題を解くなどという、先に答えや解答の考え方を参照して再挑戦する勉強方法の有効性を、存分に活用することができるようになっていたからです。

 

安易に解答解説を見ることの弊害も勿論ありますが、私の様に徹底的にデキないヤツには有効な方法だったのです。

できないのに、ヘンナまじめさを発揮して無駄に時間を使うよりも、答え方や考え方を先に見てしまい、同じ問題や同形式の問題、文章を読むことの方が、デキない者の勉強には効果があります。

デキる人でも、先に考え方や解答を知る、というこの方法が有効な場合があるかもしれません。

もし、何か壁に突き当たっていることがありましたら、先に参照してしまう方法を試してみても良いでしょう。

特に、私と同じくらい勉強が苦手な場合、わからないことに時間を多く使うより遙かに効果的だと思います。

わからないのに、とにかく考えなければならない勉強は現代文の解釈などには必要ですが、その他の場合では先に参照することが有効であることが少なくないと思います。