いやいやながら負のエネルギーで精神を腐らせるよりは溌剌とした積極性で凌ぐ | 最強最後の十年を望む

いやいやながら負のエネルギーで精神を腐らせるよりは溌剌とした積極性で凌ぐ

受験生ですから、受験勉強だけをやっていれば良いのですが、生活しているとそうもいかない場合があると思います。

突然の訃報によるお葬式への参列などから、友人との付き合いでクラス会や何らかの会合への参加や、兄弟の世話、家業の手伝い、大掃除など、勉強とは関係のないことをしなければならないこともあるでしょう。

なぜ年末だからといって掃除なんてしなければいけないのだ、と思うことがあるかもしれません。

 

私は毎年そうです。
ありのままでいいじゃないか、窓なんて汚れるものなんだからと面倒に思ってしまいます。

対人関係でつまらない時間を取られることもあるでしょうし、生活のために事務手続きなどをしたり、年賀状を書いたりすることもあるでしょう。

受験生だからといって、受験勉強に専念できる時間ばかりとは限らないと思います。

それらが必要なこと、或いは避けて通ることができないことなら、いやいやながらやらずに積極的にこなしてしまいましょう。

マイナスイメージの心を持つと勉強にまで悪影響を及ぼすことがあります。

平常心を保つか、一歩進んで積極性をもつことにより、立ち向かうエネルギーが生まれ、生活にも、勉強にも、よい影響を与えることになるでしょう。

私は仮面浪人であることを誰にも言っていなかったので、ヒマな大学生として、親戚がやっている山寺の年末年始の準備に、暮れから正月にかけて一週間以上、新潟の雪深い山寺の大掃除と年始の準備、年始客の接待に駆り出されました。

受験直前のシーズンとして非常に大切な時期を、朝早くから深夜まで、広い境内や本堂の掃除、食器の準備、薪割り、障子の張り替えなど、毎日忙しく働かなければなりませんでした。

時間が自由になるのは睡眠時間のみです。

幸い大きな寺だったので、離れた奥の部屋に寝床を取り、降り積もる雪がときどき屋根から落ちる音を聞きながら、その年のいらなくなったカレンダーの裏に世界史の問題集の解答を書いたり、古文の問題をやったりして三時くらいまで起きていました。

暖房はありません。
カレンダーの紙の冷たさを今でも覚えています。

布団にくるまって問題集をやるか、英文を読む毎晩でした。

なんと苦しい受験生活だと思うかもしれませんが、当時の私は楽しいとは感じなかったものの、充実した時間を過ごしているという満たされたものを感じていました。

たんぼの中の無人駅から三十分以上歩いて山の入口に入り、山道を歩いて到着する寺は今でも携帯の電波に不自由し、つい少し前まで水道は山の水を利用していた江戸時代のような生活をしていました。

そんな環境の中で友人もいず、寒さに耐えながら鉛筆をナイフで削って勉強するという日々に、なぜか昔の修行者みたいな充実を感じていたのです。

根が単純だからかもしれませんが、一日の大半以上を手伝いに費やしていながらも、しんしんと降り積もる雪の深夜、独り寒さに耐えながらカレンダーの裏紙に書いて勉強している俺、みたいなものに酔っていました。

自分では望まないことなのだけれど、どうしても避けられない余計なことは、寧ろ積極的にこなすに限ります。

いやいやながら負のエネルギーで精神を腐らせるよりは、溌剌とした積極性で凌いで、勉強にも良い効果を与えるようにしましょう。

気分転換だと思ったり、私みたいに修行しているのだと独り納得したりしてもいいのではないでしようか。

何事も柔軟に受け入れ、挑戦のエネルギーにしてしまうのです。

場合によっては辛く、煩わしいことに手を染めなければならないかもしれません。

でも、逃げられないのであれば、受験のためになるべく早期に解決するために、積極的に対処していくしかないでしょう。

煩わしい用件や病気の治療、悩み事の解決など合格のために必要ならば、逃げることなく、先送りすることなくさっさと片付けてしまいましょう。

それが結局合格への近道になるのだと思います。