思うような合格を得られなかった場合には、転んだ勢いで起き上がる必要があります | 最強最後の十年を望む

思うような合格を得られなかった場合には、転んだ勢いで起き上がる必要があります

もうすぐ私大試験の最後の受験だという人も少なくないかもしれません。


これからが本番だと、国立二次試験を射程に入れて突き進んでいる人もいるでしょう。

これから、どのような進路を取るにしても、大切な時期を迎えていることは確かです。

国立へと向かっている人は、最後の仕上げのために必要なことを必要なだけ、時間を燃焼する勢いで集中してやり遂げて下さい。

既に合格の決まった人については、おめでとうの他に言うことはないでしょう。

もう春の真っ盛りかもしれません、羨ましいことです。新しい光を浴びて、開かれた未来を堪能して下さい。

残念ながら、これまでとこれからの発表で希望の通りにならなかった場合、落胆と悲嘆を越えて、なぜそのような結果になったかの分析と今後についての冷静な方向付けをして頂きたいと思います。

冷たい言い方かもしれませんが、そうなってしまった理由が必ずあるはずなのです。

それに気がつくことが、今後に有益な効果をもたらしてくれますし、転んだ勢いで起き上がる必要があるのです。

まだまだ先が長いみなさんです。
失敗を今後に活かす使命があると思って下さい。

順調に運んでいくよりも幾つかの失敗を重ねて、それに打ち勝ってきた人達には実力と魅力があるものです。

失敗に打ち勝つことと打ちのめされ続けることとの違いは、心の些細な差でしかありません。

失敗の中に浸ろうとするか、浸らずに這い上がっていこうとするかの意識の差です。そのまま落ち込むか、それをやめるかの差で、右へ行くか左へ行くかの差と大差はないのです。

けれど、その差を埋めることが簡単ではないというとことが厄介なのです。

あれだけやってきたのにとか、周囲に顔向けできないとか友人との差が開いたとか、たくさんの周囲の事情が簡単な意識の転換を拒むのです。

落ち込むことへの吸引力はとても強いものですし、魅入られてしまうかもしれません。

でも、そんな状態を続けてばかりいられないのも事実です。新しい方向を見極めて、正しい進路を取らなければなりません。

何をするにしても、まず、失敗の原因を探りましょう。


同じ失敗を二度以上してはつまらないからです。
けれども、このことはかなり困難かもしれません。

それは、敗因分析が面倒で、いやなことだからです。

自分の欠点を自分で暴くのですからあまり旨くできませんし、かといって他人に暴かれるのは腹の立つことです。

しかし失敗の要素を見つけ出し、それを潰していかなければ、また同様な結果を招いてしまいます。それは、入試などの試験に限らず、他のことにも影響してくるかもしれません。

考え方や、やり方に問題があるからかもしれないからです。公平な目が必要となり、鋭い洞察力も必要な分析です。

不合格の一番の反省点は、過去問がどれだけできるようになっていたかです。

どのような勉強方法を取ろうとも、過去問ができるようにならなければ合格は難しいでしょう。

過去問を解けるような勉強方法をしていたか、ということが失敗要因探索の第一ステップだと思います。

これまでの自分の分析をしてみて下さい。

スタートはそこからです。

 

転んだ勢いで起き上がりましょう。