山の高貴な美しさと残忍さを厳しく教えた冬のグランドジョラス北壁 | 最強最後の十年を望む

山の高貴な美しさと残忍さを厳しく教えた冬のグランドジョラス北壁

冷たい風に吹かれると毎年思い出す、仮面浪人としての受験について影響を受けた忘れられない登攀記についてのご紹介です。でも、内容は受験には全く関係ありません。万が一、興味と時間があれば読んでみて下さい。

ヨーロッパアルプスに三大北壁というものがあります。
アイガー、マッターホルン、そしてグランドジョラスにある三つの北壁です。

北半球にある山岳の北側斜面は、日照時間が少なく、北風によって削られた荒々しい壁となることが普通です。
その中でも、特に登攀困難な壁が、上記三つの壁だというわけです。

他にもこれらに負けず劣らずの岩壁はいくつか存在していますが、御三家のように有名なのが、これら三大北壁で、その中で最も難しいと言われているのが、このグランドジョラス北壁です。

グランドジョラスはフランスとイタリア国境に聳え、4208メートルのウォーカーピークに達する北壁は、高度差1200メートル、実際の登攀距離は約2000メートルにもなり、モンマレ氷河から垂直の美しい直線を一気にウォーカーピークの絶頂へと突き上げています。

この北壁は、三大北壁の中でも最後まで陥落しなかった困難さを誇り、その冬期登攀が世界でまだ二回しか成功していなかった頃、登山後進国の日本から冬期第三登を狙った若者達がいました。

二回目の成功から七年もの間、成功者が現れなかったという難しさを知った上での登攀計画です。その登攀記が下に掲げる『グランドジョラス北壁』です。

登攀隊は予想もできなかった大寒波のために北壁の中で足止めを喰らい、食料も尽き、下界では絶望視されながらも、奇跡の登頂、そして生還を果たすのです。
凍傷のために、リーダーの小西政継は手の小指一本と足の指十本全てを、帰国後に入院した病床で切断することになります。(厳しい寒気の中では体温の届きにくい末端から凍傷に犯され、重度になると切断せざるを得なくなるのです)

嵐に取り巻かれ、食料と装備の乏しい中、絶対に諦めないその姿勢と行動力は、受験生の頃の私を鼓舞してくれました。今回は、この本の内容をご紹介させて頂きます。

 

 

同じように鼓舞される方も、もしかしたら、極めて少ないかもしれませんが、いるかと思うからです。但し、内容を見ずには買わないで下さい。かなり専門的な岩壁登攀の知識がいるので、興味がなければ全く面白くありません。アマゾンの書評などを参考にして、書店で実物を見てから購入して下さい。

山登りが好きじゃないと、なかなか感動は難しいかもしれません。では、お時間と興味があれば、以下からの内容を読んでみて下さい。

『アルプスで最も難しく、最も美しいグランドジョラス北壁・・・人間に真の勇気を与え、山の高貴な美しさと残忍さを、厳しく僕に教えた冬のグランドジョラス北壁』
こう回想した著者の北壁登攀は、天候さえ順調なら、さほどの困難もなく終わったかもしれません。
冬の北壁は死と紙一重の限界線を行く危険極まりない冒険だと知ってはいても、過酷なトレーニングを課して、それを乗り越えてきた彼等にとって、登攀成功はほぼ確信されていたからです。

北壁登攀を開始した後、下界との交信で天候情報を得ていた彼等は、好天の予報に気を良くして絶頂に向かってザイルを伸ばしてい行きます。
しかし、順調に登攀していた彼等を、ヨーロッパで20数年ぶりという大寒波が襲うのです。

下界のサポート隊との交信は、寒気のため電池の調子が悪いのか、または磁気の状態がおかしいのか完全な不能に陥り、なんの情報も得られず、あと二日から三日は好天が続くという最後の交信情報を信じて、彼等は登攀を継続します。
「冬の北壁における嵐の中の登攀は、単なる登攀ではなく、生への凄まじい脱出であることを僕は良く知っている。これから数日間、北壁が猛吹雪と化すならば、我々は是が非でも下降すべきである」
と著者も言っているように下降すべきだったのですが、好天の予報しか知らないため最大の難関である、灰色のツルムという岩場を越えてしまいます。

この岩場を越えてしまうと、あとは頂上に抜けるしかありません。そこを下降することは、技術的にたいへん困難だからです。岩壁は、登ってみるとわかりますが、登るより下りる方が大変なのです。
なぜなら、体勢を低くして、見えないところを見えるようにして下りて行かねばならず、そのために両手に体重がかかり、かなり無理な動きをしなければならないからです。

彼等は猛吹雪の中を進むしかなくなったのですが、一日にほんの数メートルか、或いは全く進めないこともあり、食糧と燃料を節約しなければならなくなります。
雪を溶かして水を作るための、そして暖房をするための燃料、ただでさえ少ない食糧、それは昼食が飴一つだったりするのですが、それらを長期の戦いのために切り詰めなければなりませんでした。
ツェルトという簡易テントの中に閉じこもって、何日続くかわからない嵐を耐えるためです。

簡易テントと言っても、垂直に近い岩壁ですから、壁に吊したテントの中で岩角に腰掛けたりして苦しい体勢で過ごしています。横になることはできません。

そんな中で予測不能なことが起こるのです。
「食事が終わり、ほっと一息ついた時だった。隊員の一人がザックから凍りついた半身用のシュラフを引っ張り出した途端、暗闇の空間へ何か落ちていくのが感じられた。
すぐさま調べてみると、生への保証として最後まで大切にとっておいた食糧袋がないではないか。しまったと思ったが、もうどうしようもないことだ。
袋の中身はインスタントラーメン一個、アルファ米(インスタントの米)一袋、コンソメスープ一袋、餅のひとかけらではあるが、今の僕たちにはとっては何物にも替え難い食糧なのである」

「やり場のない悔恨がむらむら湧きあがってくるが、落とした隊員は決して悪気があってやったことではない。黙って俯いている本人は、この失敗を誰よりも強烈に感じ、仲間たちに深く謝罪していることだろう。
生命を賭けた、心の通い合った仲間ならば、ののしることよりも、しょうがない、諦めようぜとやさしく語りかけてやることだ」

「この追い詰められた場面で、このくらいの心のゆとりが持てなければ、最後の地獄の関門は突破できまい」

彼等は、あんず、ナツメヤシ、バナナなどのドライフルーツが各三から四個と、チューブ入りミルク一本だけの食糧で、何日続くかわからない荒天の中を六人で頑張り抜くことになったのです。

連日続く嵐の中で、毎朝願うことは決まっていました。
「快晴への祈りを込めて、まだ薄暗い朝の北壁をツェルトからそっと覗き見る。風雪が気狂いのように吹き荒れていた。中央ク―ロワールの大垂壁には激しいスノーシャワーが落下し、くり広げられる白魔の乱舞には、死神の住む地獄の美しさが漂っているようであった」

「ツェルトを再び閉じる僕の胸は、またか、という深いため息をついたが、数分後には突き進もうという燃えるような闘志に変わっていった。
今の僕たちはもうどんなに疲労困憊していても、空腹であっても、そしてまた恐ろしい凍傷の危険があっても、停滞(嵐のためテントに閉じ籠っていること)は絶対に許されないことだ。
活動源の食糧が既に一口のドライフルーツだけになっているし、好天の望みどころか北壁の罠に完全に嵌っているからである。
停滞は僕たちを次第に不安のどん底に押し込んでいくものであり、最終的には氷の罠からの脱出を不可能にしてしまうだろう。
敗北、凍死は絶対に拒否せねばならぬ」

こう決心して、一口のミルクと三粒のあんずで一日の行動を開始します。
「人間というものは、誰しも仮面をつけて生活しているものだ。
直接生命の危険のない都会生活やごく一般的な山行の中では、真実の人間性とか勇気といったものは、この仮面の下に隠れてしまい、滅多に見られるものではない。
しかし人間は、生命の危険或いは極限状態に陥ってしまうと、この偽りの仮面が剥がれてしまう。誰しも恐ろしいものは恐ろしい、身に危険がふりかかれば避けたい気持ちが起こるのは当然のことであろう」

著者は、凍傷で指を切断しなければならなくなる危険を冒して、生への脱出の挑戦を続けます。
「手の指が欲しいなら、指をさし出そう。足が欲しいのなら、くれてやろう。
しかし、呪わしいお前は必ず叩き潰してやる。
もうこの登攀には、登攀自体の喜びや楽しみといったものはなくなっている。
命を守るための真剣勝負であり、勇気と力、肉体と精神のすべてをふりしぼり、北壁と力ある限り敢然と戦うのだ」

しかし猛烈な嵐のために、一日に僅かしか進めないこともあり、ほとんど停滞しているのとかわりありませんでした。
こうして5日間の吹雪と闘い続け、6日目の朝を迎えます。

「12月31日、北壁の上に紺碧の大空が広がっていた。
昇る太陽の光を浴びて、氷雪の峰々はバラ色に燃え、その穏やかなたたずまいが北壁の白い地獄を吹き消してくれた。
今日こそウォーカーピークだ、仲間たちの気持ちはこの言葉に集約されている。陰惨な大絶壁から一刻も早く抜け出したいのだ。全員が無事に勝利へと驀進している。
ほのかな喜びが胸いっぱいに広がり、僕は目にしみ込むような青空に向かって思い切り深呼吸した。
この青空が冬の北壁での困難と危険、そして生への真剣な闘いに終止符を打ったようである」

ところが、ろくに食べていない彼等の体ではその日のうちに頂上に出ることはできず、ちっぽけな氷の出っぱりの中で六人が身体を寄せ合い、震えながら夜を過ごさねばなりませんでした。

「すべての生物が死に絶えるような凄まじい寒気・・・・両足の指先はさっきから無感覚になっている。変色した手の小指をそっと噛んでみる。第一関節から上は、もう僕の肉体から完全に分離した一個の物体と化していた」

こんな極寒の夜を過ごした次の日は元旦です。
晴れていました。
彼等はやっと垂直の岩場から解放されるのです。

「絶頂に飛びだすと、気持ちの良い太陽の輝きがあった。
陽射しのない陰惨な北壁で過ごした11日間、久し振りに浴びる太陽だった。

墜落の危険が全く無い、広々とした雪の大地に、安心して足を置けることはなんという安らぎであろうか。
暖かい陽光を全身に浴び、無言で目を閉じている仲間たちは、今何を思い、何を考えているのだろう。

もちろんそれは喜びであり、幸福であるかもしれないが、
まず生命の匂いを嗅ぎ、張りつめた緊張感をゆっくりと解きほぐしているのであった」