今からは、合格に必要なことを必死にやるとき | 最強最後の十年を望む

今からは、合格に必要なことを必死にやるとき

センターリサーチはあくまでも統計的な予測でしかありません。

どんな予測でも、未来のことが確実にわかるわけではないのてす。
的中率は公表されていませんが、誤差は小さくはないと思います。

A判定だからと喜んでいても、期待通りにならなかった例は、そんなに珍しいことではありません。

今、受験生がやることは、次に待ち受けている私大一般試験と国立二次試験に向けて、合格の確実性を増すことです。

そのためには、祈りでもなく、気の持ち様でもなく、ひたすら実践あるのみです。

まだ間に合うのか、
今からやってどうにかなるのか、
ではなく、

この今からやって、間に合わせるのです。
やればやるほど実力は上がって行きます。

去年のこの時期、急遽小論文のある大学を第一希望に変更した受験生と、国語現代文が全くといって良い程できない多浪生と、この一月中旬から2月の試験直前まで短期集中講習を敢行しました。

前者には小論文の過去問の嵐を体験させ、後者には地獄の特訓を課したのです。

間際ですが、平時と変わらず1日は24時間あり、1時間はちゃんと60分あります。

当たり前ですが、間際だからといって時間が短くなったり、重力が大きくなって動きが遅くなるなんていうことはありません。

この大事な日々を有効に効果的に、そして実際的に勉強して、合格に必要な知識、解き方、読解力などを練り上げるのです。

過去問が解けるようにするわけてす。

センターリサーチの結果に、いつまでもつきあっているヒマはありません。

いくらやっても合格確実とはなりませんが、努力をやめてしまったら、合格を勝ち取ることはできないのです。

上記の前者については、さすがに小論文対策が遅すぎたかもしれないと最後まで不安でしたが、第一希望を含め、受験した国立と私大のほぼ全ての大学に合格を貰いました。

後者の多浪生は、本当に間際になってもできたり、できなかったりを繰り返し、やれることは何でもやったのに、どうしてできないのだろうと天を仰ぐこともしばしばで、またダメかもしれないと思いながら試験会場に送り出しました。

予想通り自己採点は、良く使われる『事故採点』となり、ああ、終わったなと思いました。

あれだけやったのに、なぜなのか、どんなことをやればよかったのかと、沈み込む毎日を発表まで過ごすことになりました。

発表の日、発表開始時間を過ぎても連絡は来ませんでした。

さもあろうと、慰めの言葉をさがしては、その空虚な響きに落胆を重ねるばかりでした。

しかし、彼は合格していたのです。
奇跡ということがこの世にはあるのか、
恐らく事故採点は間違えていたのでしょう。

半日泣いていたそうです。

この二人の例はあまりにも間際過ぎますが、ひたすらな実践の効果と力強さをあらわしていると思います。

この非常に大切な時期に諦めたり、神頼みしていてはいけません。

合格目指して、突き進むのみです。