とても充実していた受験生時に過ごした孤独のクリスマス
その昔、私がまだ学生だった頃、
在籍していた文学部という学部は男女比が2対3で
女子学生の方が多いのにも拘わらず、
毎年、私はクリスマスの夜、狭い場所でゴツイ男どもと肩を寄せ合い、
インスタント料理ばかりの手料理を作り、
雪景色を見ながら強風が岩や尾根を鳴らす音を聞きながら、
零度以下の冷え冷えとした中で、マズイ食事を無言で噛み締めていました。
学生時代、毎年のクリスマスは決まって雪の中で過ごすホワイトクリスマスでした。
翌朝に控えた辛く厳しい行動を前に敬虔な気持ちで床につきます。
命を危険にさらす紙一重の状況と困難に立ち向かうからです。
日本の中でも、最も厳粛なクリスマスだったと言って良いかもしれません。
冬休みを利用した、山岳クラブの冬山合宿でした。
受験生の頃、クリスマスなどというのは、どこか違う星での催しでした。
参考書、問題集、そして当時は電子化されていない辞書、和英、英和、古語辞典を入れた重く、不格好な肩下げ鞄を肩に、桜木町にある県立図書館に暗い表情で通い、閉館まで読めない英文に苦しみ、解けない国語の問題に頭を抱え、覚えられない世界史にジタバタしていたのです。
クリスマスの飾り付けやとりどりの光球は、当時の電球の光でも美しく輝いていましたが、私には無縁の世界が広がっていただけです。
私が過ごしていた夜はただ暗いだけではなく、暗黒の不安と恐怖が渦巻く、呑み込まれてしまいそうな広がりでした。
誰も助けてくれない、何もできない劣等生の独学は、ただの徒労に終わるだけのものでしかない、ということが見えているような気が常にしていました。
何度諦めかけただろう、
どのくらい考えただろうか、
それなのに何もわからない、
いつも同じ結果、ただの一度もうまくいかない、
読んでも読んでも、全くわからない、どうして、そうなるのかもわからない、
そういう日々を過ごして、いつの間にかクリスマスが周囲に訪れていたのです。
わからないままの抵抗を続け、クリスマスをいつものように独りで過ごした数日後でした。
箱根駅伝のコースになっている、図書館からの帰宅時に降りるバス停に下車して、暗闇の中を、まだ十分に田舎の雰囲気を残す横浜の道を歩いているときでした。
あれ、もしかしたら、
と、心の奥底からあぶくが一つのぼってくるような感じがしました。
この数日を振り返ってみると、押しつぶされるような不安はなく、
勉強は楽しいとはいきませんでしたが、
英文を読んでいたり、世界史の問題集をやっていたりすると
落ち着いていられるようになっていたのです。
まだそのあぶくはかたちにはなっていませんでしたが、体の重心が定まっていたように感じていました。
翌年の1月下旬か、2月の上旬だったと思いますが、こんどははっきりと、
もしかしたら、いけるかもしれない、
との思いが湧き上がってきたのです。
このとき私の合格への道程は、半分終わったと言っても過言ではないようでした。
孤独のクリスマスは、無駄ではなかったのです。
今、考えると、とても充実していた孤独のクリスマスだと思います。