受験勉強の苦境から脱するために必要なこと、自分の周りに壁なんてない
受験勉強が苦しい時というのは、わからないことがあるけれど、どうして良いかわからないとき、が多いのではないでしょうか。
問題がわからない、英文の読み方がわからない、ということもあるでしょうし、
もう一歩踏み込んで、試験時間内に問題が解けない、英文が読めない、ということもあるでしょう。
過去問をやり始めると、試験時間内に解けないとか読むことができないことに加え、
特殊な問題型式にどう対処して良いかわからない場合があります。
例えば英語ですと、
自由英作文、内容要約などの記述系に加え、文法の誤り指摘問題、名詞を動詞や形容詞に変化させる問題、指定された英単語を使って英作文をする問題など、いろいろとあります。
自由英作文や要約問題などは、それに対応した問題集や対策が書かれた参考書などがあります。
けれど、自由英作文に対応しようと思ってその対応書をやろうとしても、高度過ぎて自分にはわからないとか、そもそも普通の英作文さえ書けないから、自由英作文なんてできない、という人もいるでしょう。
(私がそうでした)
そして、対策書が全く無い場合もあります。
そんな場合、どうすれば良いのか、毎回の正答率の悪さを自分で体験しながら、途方に暮れることもあると思います。
そして、手つかずのまま、実力ももちろんのこと上がらないまま、入試を受けて、結果は予想された通りとなる。。。
という結果を見ることになります。
多くの場合、人間は未知のこと、わからないことに対して尻込みするようにできているようです。
特に私はそうでした。
できないと自分でも自覚し、周りからもそのように見られていましたので、困難な壁にぶち当たるならば、もう負けるしかありませんでした。
しかし、後戻りのできない仮面浪人のときに、できなくてもやらざるを得ない状況を体験し、自分の周りにあると思っていた見えない壁は、その通り見えないのですから、全く無いことを悟りました。
読めない英文は、跳ね返されながら和訳と対照しながら読んでいるうちに、なんとかなり、
覚えられない世界史は、問題集をエンドレスで繰り返すことでなんとかなりました。
後年、早期退職して趣味的に受験生を教えるようになってからぶつかったのが、私達の受験生時代にはなかった自由英作文でした。
これには参りました。
私達の時代は読めりゃあいい、難しい英文を訳すことができれば良いだろ、
という思想が主流でしたので、英作文が出てもせいぜい二行程度の、構文さえわかれば解けるものでした。
それすらできなかったのですから、自由英作文なんてできるわけがありません。
参考書を買ってきても、できないと思っているのですから、サッパリです。
しかし、教えている受験生が入りたい大学には必ず最後に自由英作文が出ます。
そんな大学や学部が珍しくない時代になっていました。
では、どうしたら良いのか、
受験生時代に「なんとかした」様に、またなんとかしなくてはなりません。
このなんとかする、ということの大部分は、できないものからは逃げない、
ということが第一です。
そして、逃げないということは、対処の仕方がわからなくても、
その問題をやり続ける、ということです。
このことは、簡単そうで、実はとても難しいことです。
できないと考えていたら、やってもわからないからできるわけはない、無駄だと結論して決してやろうとはしないからです。
しかし、これでは進歩はありません。
挑戦しないと前には進めないのです。
でも、やってもわからないから仕方ないではないか、
と思うでしょう。嘗ての私もそうでした。
しかし、
読むことができない英文を何度も読み返しているうちに読むことができるようになった、
世界史の問題集を解き続けている内に過去問に対処できる知識がついてきたように、
自由英作文もやり続けたのです。
皆さんが推測するように、もちろん同じ問題をやり続けても、当然ながら書けないものは書けません。
しかし、どんなにバカでも、そのままやり続けても、仕方がないし無駄だと思います。
で、どうしたか、
いつものやり口ですが、解答を見て、それを参考にします。
ところが、その模範解答は英語の得意な実力が有り余る先生が書いて、恐らくは母国語が英語の、英語については堪能過ぎる現地人が見直して印刷されているものなのです。
そんなの私に書くことができるわけはありません。
どうしたらいいんでしょう。
私にはごく簡単な英文しか書くことができません、
そして暗記力が無いので五百とか七百も英文なんか覚えていられません。
でも、大学に入るためには必要な対処なのです。
で、良く問題を見てみると、大抵の問題は問題文に対して賛成か反対かを二つ程度理由を挙げて書けば良いようになっているのです。
仮にそうなっていなくても、その方向に無理にもっていけば良いと考えました。
0点は取らない、という戦略です。
何も書けなければ零点ですが、何か書けば点数を貰える可能性がある、という消極戦法でした。
半分程度の部分点でも貰えれば良い、という考えで、賛成と反対の型を作り、絶対に文法的な誤りは犯さない、ということに気をつけました。
小学生の意見を中学生レベルの英文で書く、という思想で、型を作り、自分で書いた文章を引き立てるために、前後に付け加えられる表現、
What is important is that, it has always been said that,
Needless to say, especially,
などを付け加えた、冗長な英文を作って、独り喜んでいたのでした。
このやり方ですと、英文としては内容の無い、無駄な文章が多いものになりがちですが、何も書けないということはありません。
このようにして、自由英作文に対して、ほんの少し前進できたのです。
というわけで、何を言いたいかと言いますと、逃げないで、その問題に立ち向かえば良いということです。
完全な解決には至らないかもしれませんが、試行錯誤の新しい挑戦が見えて、やがてなんとかなると思うのです。
逃げないで、立ち向かうということ、
最初は苦しいかもしれませんが、受験の苦難なんて、やっているうちになんとかなるものです。
そのように思えなくても、できると思い込んで立ち向かうことです。
必ず、先は見えてきます。
やがて、克服できます。