入試の先を見る~一段上のレベルを受容し入試科目に選択しなかった科目を拒否しないこと | 最強最後の十年を望む

入試の先を見る~一段上のレベルを受容し入試科目に選択しなかった科目を拒否しないこと

大学に入ると、英語の教科書が洋書になったり、ドイツ語やフランス語などの第二外国語でも、一年の6月くらいから長い文章を読んだりすることがあります。

高校までとは違うレベルと進度が要求されてくるのです。

専門課程に進めば、いきなり専門分野の英語論文を独力で読んでいかなければならない状況になったりもします。

用語や理論など専門知識が無い場合は、それも合わせて調べながら読んでいかなければなりませんし、その調べる文献も英語だったりして、とにかく鍛えられることになるでしょう。

高校までは、やる範囲はほぼ決まっていて、その中での戦いですが、大学に進むと通常の範囲というものはあるとしても、時と場合によっては、全く異なる分野のことも知らなければならなくなります。

例えば私の場合、統計学を使う必要があり、入学試験にはなかった数学について勉強し直し、かつ大学レベルで扱う行列式や偏微分などのこともやらなければいけませんでした。

更に、扱うデータが建築関連や経済関連のものですと、それらの関連分野についても調べなければなりません。

当然、落ちこぼれていく可能性は、随所にありました。
そして、実際に落ちこぼれもしました。

数学と経済学と、そしてデータを処理するために、当時はまだ珍しかったコンピューターの使い方とプログラミングも勉強しなければならなかったのです。

俺が入ったのは文学部だよなぁと思いつつ工学部の授業に出て、全くわからない講義を周囲からの痛い視線を浴びながら、片隅で悪戦苦闘していたのでした。

というように、大学というところは高校生感覚でいると、理不尽とも思われる環境になることもあります。
それらを受け入れて対応できるかが、少なからず求められてくる場所なのです。

今、入学試験を受けようとしている皆さんには、遠い世界のことのように思えるかもしれませんが、日々行っている受験勉強は、そういう学生としての活動を行える素養があるのかどうか、ということを試されていると考えて良いと思います。

出来ないと思っては、前に進んでいけないでしょう。

例えば、多くの文系私大志望の人達は、数学などはもう勉強したくないと思っているかもしれませんが、ある程度世界を記述する言語として広く使われるようになってきた数学は、大学に入ってから、再び活用しなくてはいけなくなるかもしれません。

数学といっても、入学試験対策のような、限られた時間で難問を解く、というような能力は文系では必要とされません。

時間がかかってもいいですから、理解できる能力と、実際に使えるようにできる頭の柔軟さだけあれば良いのです。

受験勉強を終え、大学の門を潜り数学に出会ったとしても、決して毛嫌いすることなく、理解しようとする粘り強さを失わないようにしましょう。

これは私大理系の受験生にも言えると思います。
国語や社会科目を毛嫌いすることなく、必要なら理解してやろうくらいな意志力は持っていた方が良いと思います。

今やっている受験勉強でも、どうしてこういうことをやらなければならないのだ、と思う気持ちを持つことがあると思います。

地球の反対側の片隅の国で、それもかなり昔に起こったことの西暦年を覚えて、いったい何のためになるのだろうとか、

どうしてこんなにわかり難く書いた日本語の文章を読まなくてはならないのだろう、英語の文章の方がまだ読みやすいじゃないか、
と思うことも少なくないかもしれません。

暗記力や読解能力を鍛え、学問することに耐える頭脳を養うためだと思うしかないでしょう。

人生の中で、やりたいことだけをして過ごせる時期というのはあまり多くないのではないでしょうか。

これからほぼ一年、或いは二年、三年と、その先にある入学試験を突破するために、

いやなことでも積極的に消化していけば、いずれその結果が現れるときがあると思います。

それは、大学に進んだあとも十分に有効な効果を発揮してくれるでしょう。