彼が表参道の店に30分遅れで到着すると、既にふたりはグラスビールを飲み始めていた。普段だったら絶対に食わないような飾り気のある料理が、細長い皿に盛られていた。
「しゃらくせえもん食ってるね。津山町出身のあんたらみたいなもんが」
「いいじゃない」
「自分だって山寺じゃん! まあ私はモツ鍋の方が良かったんだけど」
口の端をゆっくり曲げて、声を出さずに笑った方が姉。モツ鍋の方が妹。幼馴染の双子の姉妹。半ズボン履いて野山かけずり回ってたようなガキどもが、今じゃ表参道で食事だと。ネクタイ締めて、香水の匂いを漂わせながら、クリスチャン・ディオールの哺乳瓶の話だと。
「あんたらが並んで座ってるなんて、未だに違和感あるけどな」
ふたりは仲の悪い姉妹として有名だった。姉は美人で頭が良くて、子供の頃からマセていて、周りの連中を見下してるようなところがあった。妹は、明るくて誰からも好かれるタイプだったけど、いざって時に不器用で、恋愛下手だった。ふたりが人前で会話をしているところは、ほとんど見たことがなかった。二卵性で顔が全然似ていないせいで、彼女達が双子であることは黙っていれば誰も気付かなかった。
「今は仲良いよ。何でも話す。ね?」
「信じらんないっしょ?」
彼はたいして腹が空いていなかったから、野菜スティックだけをボリボリ齧りながら、ハイネケンを飲んだ。ワインとビールしか置いていない店だった。
彼は17歳の時に、妹のことを好きになったことがあった。恋愛には発展しなかった。家の方向が一緒だったから、よく並んで帰った。彼は自転車で、彼女は徒歩だった。姉の話をするのは、ある種のタブーだった。ある雪の日に、奥歯をガタガタ震わせながら「好きだ」と言った彼に、いつもと同じ調子で「嘘でしょ?」と笑って見せた後も、彼と彼女はしょっちゅう2人で一緒に帰った。まるで、それをなかったことにするかのように。
高校を出ると、彼女は横浜にある看護学校に入学した。「白衣の天使になる!」なんて冗談めかして、よく言っていたものだった。彼は東京の大学に入って、恋人と同棲していた。それでも年に二回くらい、恋人に嘘をついて、彼女と会うことがあった。姉の話をするのは相変わらずタブーで、それに加えて、あの雪の日の話をするのもタブーになっていた。仕事の話、恋人の話、最近観た映画の話。彼女が「なんか良い音楽ない?」と言えば、ふたりでCD屋に入って、彼が適当に選んだアルバムを彼女が買って帰る。彼が「腹減ったな」と言えば、彼女は待ってました、とばかりに下調べ済みの店に向かって、彼の腕を引いて歩いていく。そんな関係がしばらくずっと続いていた。
「あたし達って、いつからこんなに仲良くなったんだっけ?」
看護婦になるのと同じくらいのタイミングで、彼女は突然、姉と同棲を始めた。細かい理由は色々あったのだろうが、高校の頃から付き合っていた恋人と別れたのが、要因のひとつらしかった。その頃から、彼女はもっと色んなことを話すようになった。高校の頃、アルツハイマーの婆さんが実家で首を吊ったこと。死体の第一発見者だったこと。それが理由で看護婦を志すようになったこと。残すタブーは、あの雪の日の話だけになった。
表参道の店は、閉店が早い。3人とも少し酔っていた。彼女がトイレに行っている間に、姉が言った。
「あの子、今の彼氏と結婚するかもしれない」
彼は思った。ルーズソックス履いてた、お前みたいなもんが。学校ジャージの裾を膝まで切ってハーフパンツ風にしてた、お前みたいなもんが。もう10年も前の話になる。クソ田舎、大粒の雪が、街灯にに照らされながら、音もなく積もる。照れたような、とぼけたような、曖昧な笑顔に見上げられて、何がなんだかわからなくなって、同じような表情の笑顔を返してしまう。彼は、トイレから帰ってきた彼女の肩に腕を回して、聞いてみた。
「お前、あの日のこと忘れてるだろ?」
夜道を渋谷に向かって歩く。姉は広告代理店で働く敏腕営業、妹は大学病院で看護婦、彼はしがないサラリーマンと売れないライターの掛け持ち。東京の夜は、子供の頃に想像していたより、ずっと寒かった。3人の一致した意見だった。
「葱山さぁ、もし結婚式呼んだら来てくれる?」
「あぁ行く行く。全力で台無しにしてやらぁ」
姉がクスクス笑っている。結婚。お前みたいなもんが。彼がポケットに手を突っ込んで歩いていると、彼女がそこに腕を絡めてくる。夕方まで降っていた雨はすっかり止んでいたが、路上にはまだ水溜りが残っていて、2人はそれを避けながらゆっくりと歩いた。