はげちゃびんの子育て日記
という言葉は「情けをかけると人のためにならない(だから情けはかかるな)」という意味ではなくて「他人に情けをかけるのは自分のためなんですよ」という意味というのはみなさんご存知かもしれませんが最近これをすごく感じます。他人に優しくする他人に優しい言葉をかけるのはもしかしたらこの人本人が気分いいから、だけであって本心から思ってねぇだろう?と思う人がいまして。人に「わぁーありがとう!」と口では言ってるのに感謝してないというか人に対してリスペクトがない人がめちゃめちゃ多くて正直げっそりしてます。別に感謝されたい訳じゃないけど人間としてちゃんと扱われたいですよ。すいません、ちょっと思う節があり。どんな人にも思考があってその人なりの気遣いがあってその中に生きていることを忘れずにいたいものですね。
ニュースで早速流れてましたね。私はインスタは身内や知人とも繋がってるのでTwitterの代替にはならないなと思っていて。まぁやるかもしれないけどやってもここやTwitterみたいにはならないかな。うん。Twitterみたいなツールできないかなぁ。
弱ってる系ワード入れるとそれ系の人からいいねがつく。同じ悩みを抱えてる方の気持ちが少しでも晴れるならそういう意味でのいいねはとても嬉しいんだけどそれ系の「専門家」を名乗る人からのいいね。何がしたいわけ?そのいいね見てこっちが網にかかるの待ってるのかな?きもちわる。逆にこういう気の強いおばさんの意見には全然いいねつかないしついても昔から見てくださってた方。私はそういう方だけでいいわ。Twitterでもハッシュタグでそういう集客?的なことしてる人たくさんいたけど気持ち悪かった。そんなに繋がりたいのかな中身も見ずに?
私はずっとKANさんが好きででも愛は勝つばっかり。他の曲もいいのに!とずっと思ってて愛は勝つはそこまで好んで聴かないんだけど、壊れてた車のCDプレーヤーがン年ぶりに中古の安いのに付け替えてもらえてスピーカーから愛は勝つ聴いたら涙が出てきた…。やっぱりこの曲っていいわ。KANちゃん元気になってね😢
昨日のTwitter騒動当然私も巻き込まれました。一昨晩仕事終わりにニュース読んでたらこんな表示が。初めてみる表示でした。ググったら15分くらいで解除になるだけとあったので少し別のことを先にやって時間開けてまたTwitter開きました。が。消えてないしスワイプしてもきえない。もしやとトレンド開けたら案の定これ以外もそれっぽい言葉がトレンドに並んでるあぁ不具合だなと思って通知欄見たらフツーにリプしてきてる人がいてその人に「このツイート見えてるの?」ときくと「うん、なんで?」と。んでこれが表示されててリプライ以外見れないのと返事。以後もリプライとDMだけならやりとりできるので普段交流のあるフォロワーさんと少し会話。サブ垢ならまだその後見れたのでそっちでツイートしてたらまたそっちも制限。今度はリスト作ってそっちで会話してたらリストも制限。なんだこれ。翌朝まで放置。朝見たら解除になってたのでまたニュースみようとスワイプしたら勘弁してくれ😭課金してる人は使えてるようで「貧乏人はやめろってことかよ」とイライラもピーク。昨日は休みだったので用事を済ませて帰宅。夕方に見たら復活か?!と思いきや、フォロワーさん5人にいいねつけたら今度はスパム疑いで制限😭合間に作ったもう一個のアカウントも20人フォローしたところでスパム疑いで制限。「積極的にフォローしろ」的な表示出たくせに💢調べたら制限は長ければ3日程その間は触らないほうがいいとのことなので今は唯一スパム疑い制限でなかった前からあるサブ垢だけでニュース見たりしてますが元の本垢が一番カスタマイズされてるので便利なんだよな…でもこれからは見る量で制限出るみたいだからまずはフォロワーを削ってアカウント分けして使わないといけないなぁとそれならマストドン?的なサーバー分けて使うやつと大差ない気がするのよね。Twitterを開発した方が今blue skyとやらを開発しているそうで今はまだ招待されないと参加できないらしく。早く一般向けにリリースしてほしいものです。おのれイーロンマスク。AbemaさんもTwitter的SNS作ってくれませんかねぇ…
前の親会社にはおツボネのことは前の上司も今の直属上司も報告をして相談していたけど大きく動いてはくれなかったよう。そしてこの春親会社が変わり管理職も変わり仕事も大きく変わりました。直属上司は業務報告や会議続きでずっと忙しそう。おツボネは年度が変わってすぐは仕事が空いていて暇だからか大人しくしてましたがだんだん忙しくなってくるとやはりイライラし始め新人さんや私に当たり散らすことも。でも直属上司は忙しくしててもうあんまり迷惑かけられない空気。他の人も忙しそうだし私と新人さんは愚痴り合いながら日々過ごしていました。私らヒラも業務報告などが課せられそれなりに忙しくしていました。おツボネは長くこの部署にいるので管理的な仕事もやるように言われました。ところが「私忙しくてそんなことできません!」と新しい上司に言い始めました。「ここの人たちが仕事できなくて私が1人忙しいので管理なんてできません!」と言ったようで。先日の会議で直属上司は新しい上司に呼び出され「(おツボネ)さんって大丈夫なの?他の人に仕事割り振らなくて大丈夫なの?」と詰問されたそう。直属上司、もうこれはありのままを話すしかないとぶちまけてきたそう。仕事を1人で囲い込んで周りに割り振ろうと言っても譲らないこと。私や新人さんに振るのが嫌なら直属上司(物凄く忙しいのに)本人が請け負うと言っても拒否されたこと。そして周りのスタッフを下に見ていて常にバカにした態度を取ること。それが原因で過去に複数名退職に追い込んだこと。情緒が安定せず仕事に支障をきたしていること。ここまで話したそう。現時点ではここまで。ただおツボネ1人をこの部署に長年置いたことで色んな弊害が生じていてにっちもさっちもいかないのは事実。直属上司は「異動があるかもしれないから(はげちゃ)さんも(新人)さんもちょっと覚悟しといてね」と言っていました。私、年が一番上なので長年いる雰囲気らしいですがまだ一年と1ヶ月目専門職の経験ゼロですから〜😆どうなるかなぁ。怖い怖い。
不登校とか発達障害ってワードに群がるのかな?
新人さんは同業種経験あるから仕事に関しては先輩。でも早速おツボネが高圧的態度。ただ新人さんも負けてない。「あーハイハイわかりましたぁー!」その返事が気に食わないのか「語尾は伸ばさない!」とうるさい。てか自分もお客さん対応でクレーム起こしまくってるのに新人さんが一回常連さんの対応でまごついただけなのに鬼の首を取ったような態度で説教。その度に新人さんに「気にしないでいいよ、自分なりに改善点感じればそこを直せばいいから」と声をかけた。話すようになったので聞いたら彼女前の職場でも同じような先輩にいびられ誰も味方してくれなくて病みかけたから辞めたらしい。「今は(直属上司)さんも(はげちゃ)さんも他の方も励ましてくれて色々声かけてくださるから頑張るぞって思えてます。ありがとうございます。」と言ってくれた。そうなのよ。今の直属上司ほんと話しやすくて若いのに凄腕。上が変わると下も変わるようでこれ以上新しく入った人が辞めたら自分達もきついし、と他の方々も声かけあってくれておツボネに対して無視とかではなく適度にみなさん声かけてあげるからおツボネも機嫌よくなっててだんだんイヤミも減ってきた。ところが。やはりおツボネ仕事が忙しくなってくると私や新人さんやその他の若い人に当たり散らす。てか直属上司が1人で抱え込んでるその仕事みんなで分散して1人に何があってもみんなでフォローし合える職場にしましょう!とこないだ言ったのにほんとなら私や新人さんに割り振らないといけない仕事も独り占めして「自分がいないと回らない」と思われたいような立ち振る舞い。ラベル貼ったりメモ取ったりの仕事程度ははげちゃさんや新人さんにどんどんやらせてサポートに就かせておいおいは2人に引き継いで欲しいと直属上司は言ったらしいんだがどうもそれが気に食わなかったらしく「こんな仕事がわからない人たちに引き継げるわけないでしょ?!」と大声で言ってた。今までの他の方々にも一切譲らなかったらしいからね。そんな感じの時会社の再編が判明。親会社が変わり色んなことがこの春から変わることに。直属上司は変わらないけどもう一つ上の上司が変わることになったのです。つづく。
私の配属先は少人数。直属上司は穏やかな方。同僚先輩もみなさんいい方…というのは初日の感想。初日に休んでいたいわゆるおツボネさんが来て私は気づいたのです。「面接で言われてたのはこの人のことか!」年齢は私よりかなりお若い。だけどとにかく指導がやかましい。備品の場所も共有物なのにほぼその人のやりたいようにキッチリ置かれてて他の人が少しでもずれておこうもんなら大声で怒鳴る。そのせいで場の空気が悪くなる。お客さんに対しても一応敬語使ってるけど明らかに上から目線。よくこれでクレーム来ないな…レベル。しかも常連には丁寧、一見さんには冷たい。こいつか!こいつに上は手を焼いて面接でおいらに釘を刺したんだな?!それからこれはおいおい当人の話から気づいたんですがどうもおツボネが原因でこの部署に人が定着しないみたい。まじか、私もう転職したくないんだけど。まぁ長年の経験が生きたのかなんとかおツボネとはうまくやれてて嫌がらせ?的な物言いもスルーできるスキルがあるからそこそこ楽しく仕事してたんだが。私が入社して3ヶ月、一番優しくて物静かな先輩が「辞めます」と…やはり…私が入社して仕事に慣れるのを待っていたようだ。辞める理由は「体調不良」根掘り葉掘り聞くのは失礼と思ったけど日常会話の中でどんな症状か聞いたけどそれってストレスやん…😭止めることもできず退職日。おツボネが張り切って買ってきた品々を「体に気をつけてね」とニコニコしながら渡してた。「お前だよ!」と思いながら見てた。数日後直属上司と2人だけになったんだけど「(私)さんはどう思う?」と。話を聞くと直属上司も半年前に異動してきたばかりで詳細はわからないが前の上司からおツボネの件は少し聞かされていたんだそう。前の上司が在職中彼女が原因で少なくとも3人が辞めたと。(ただし全員理由は体調不良)前の上司も手を焼いていておツボネさんは立場的に年度更新の契約社員だが更新しないと会社が打診したところ大騒ぎして上に何か言ったらしくその話は立ち消えになったと。意味わからんし。前の上司も異動希望で。彼女の世話に疲れて。付き合いきれない、と。そしておツボネ本人は「みんな体調崩して辞めたのよ〜休職もできるのにね☺️」だって。で、直属上司はこれ以上不幸な人は生みたくないので彼女から何かされた言われたはすぐ言って欲しい、と。とりあえずその日までに言われて違和感感じたこと辞めるまではないけど若い子が言われたらキッツイやろなと感じたことを全部話した。実はおツボネさんこの上司の前ではそういうそぶりを見せてなかったようで。「えっ?!そんなことまで口出ししてんの?あの人?!」と混乱してた😵💫先輩が辞めて1ヶ月新しい人が来た。異動で来るのかと思いきや新人さん。他部署の人に依頼したけど拒否られたらしい。私と直属上司はその子を守ろう!と結託したのでした。続く
仕事は専門職ではありますがお客さんと接するのがメインなのでそれは得意中の得意。マニュアル的な文言だけ頭に叩き込み対応していたところ周りから驚かれた。すごい!プロですね!と。すごいとは思ってなくて、私からしたら当たり前なんだけどこれか、経験が活かせるって、と少し嬉しかった。というのも専門職の専門のところに惹かれて働き出したはいいが接客対応分野が苦手な人が多いらしく現場は困ることが多かったらしい。小さな事例でも軽く見て対応しクレームになったり続発してるんだそうで。私が反射的に事例を重く捉えさきまわりしてクレームにならないようにしてるのが驚きだったよう。例えばクッション言葉とか使う人が少なくてみなさんびっくりしてて。私はお客さんより下になる必要はないから謙りすぎないよう毅然とした態度ででも上から目線にはならずひとつひとつ丁寧に、ということをいろんな接客現場で勉強させてもらいながら働いてきてたんだなぁと感謝することになりました😆今までの上司の方々ありがとうございます😢で、研修を終え配属先に行ったのですがそこで驚くことがつづく。
4年前までダブルワークしてた。でも二つの仕事のスケジュールのバランスとったりオーバーしたら確定申告ってのがけっこうきつくて同じオーバーするなら会社が手続きしてくれるフルタイムにしようと転職した。最初は観光地の接客業。ミュージアムという名前があり学芸員免許を大学時代にとってたので面白そうと働き出した。楽しかったけどコロナ禍になり緊急事態宣言で休館を度々繰り返しやめる人も出てきたし合わない人もいたので(何でこんな低賃金でこんなアホと仕事せないかんのやと腹が立った)一年半で辞職。その後人手が足りないからと病院の「裏方」に誘われて働くようになったけど事故で右足に痛みがあるから重いもの持ったりできないと事前に話していたのに実際の現場は医療行為ギリギリ触れないけどでもこれやばいでしょって仕事。人手不足だから…と言われてしまえばそれまでだけどかなりの重労働でこちらも1年間の契約更新時に断って退職した。二回連続2年勤めず退職。正直凹んだ。息子の不登校もあったし。辞職後接客業やテレアポ色々受けたけど年齢的に断られたりかなり厳しくなってきた。そんな時(私は大学時代に学芸員と教職の免許ともう一つ資格をとっていた)もう一つの資格の求人が出ていた。大学を出て26年、一度も就いたことがない仕事。大学でてすぐの頃採用試験受けたけど条件が悪すぎて(当時から正規の求人は少なく非正規で最長三年だった)一回受けたけど再受験はしなかった。やってみたい。でも経験がない。しばらく様子を見ていたけど求人はずっと出てる。勤務地が結構辺鄙で車がないと通勤しづらいのがネックなのか。ハロワの人に資格はあるが未経験だが受けていいか聞いてもらった。とりあえず履歴書を送ってください、と。ハロワの人も背中を押してくれた。「あなたは確かに職を転々としてるけどそれは子育てのためだったと思うの。その経験は絶対生きるから自分をしっかり出して受けてきて」と。履歴書送ってから二週間なかなか返事がなかったけど面接の連絡が来た。気取っても仕方ないからと面接もリラックスして話した。その時言われた。「他のスタッフはあなたよりお若い方ばかりです。若い人に指導されるのは平気ですか?」「26年前の知識をアップロードする意欲はありますか?」「毎日が勉強と思いますが頑張れますか?」「若い方の指導はその方が先輩なのですから年齢は関係ありません。」「年齢的に記憶の定着は遅いと自覚しています。ですが、遅くても私なりに努力は続けていきたいです。亀の精神です。」「子育てで頑張ることだけは子供に鍛えられてきました。ご期待に添えるかはわかりませんが自分なりに頑張りたいです」今思ってもマイペースな答えだな😆ただその答えをした時面接官の方が穏やかな表情で「今までのお仕事拝見しましたがどこか繋がってる部分ありそうですね」と言ってくださり少しだけ手応えを感じたのでした。数日後採用の連絡が。もう転職したくない!定年まで勤めたい!そして仕事内容を聞いて不安よりもワクワクする方が強くなったのでした。続く。
自分のブログを見返してます。もう2度と見ることないだろうなー乗っ取られてるだろうなーと思ってました。まさかアクセスできるとは。息子も娘も大きくなったなぁ。このブログ始めた頃は幼稚園だった息子今大学一年生。高校は別学区に1人で行き知ってる人もいなくて更にコロナ禍で友達ができず。不登校になり。それがまさか大学で友達ができた、と。詳しくは聞いてないけど勉強一緒にしたりこないだは釣りに行ったそう。講義も楽しくて充実してるみたい。毎日レンチン料理作ってLINEに送ってきます。ここ数日は飽きたみたいだけど😆私も高校までまともな友達できなくて大学の友達はもう30年近く仲良くしてる。大学の友達は一生の友達と思ってる。息子もそういう人が1人でもできたらいいな。
このブログを昔ご覧になってた方はご存知かと思います。娘も長年習ってることがありまして。それはいまだに続いております。こっからはそれは伏せて書きますが(わかる人はわかっていただければ☺️)娘はその習い事を幼稚園からやってました。地元ではかなりの老舗の団体で主宰の方も当時で既に80くらいで講師もほとんど60歳以上。唯一娘のクラスの先生が50代という。他のクラスでかなり厳しい先生がいて娘は小学校に上がる時そのクラスに来ないかと言われたのですが自宅から遠いこともあり断りました。なのでその時その団体からは一度離れたのですがその50代の先生(こっからは若手先生と呼びますね)指導で隣の小学校区でクラスを開設するとのことで娘はその時別団体にいたのですが辞めてそこに通う事に。娘はその習い事だけで色んなところに通い色んな先生から習いましたが皆さん言ってくださいました。「娘ちゃん、(習い事)はやめないでねこれからもどこかで続けて欲しい」私はこの言葉をずっと大事にしてきました。この習い事を嫌だと娘が言うまで辞めたいと言うまではやらせてやりたいと(息子のスイミングもそのつもりで頑張ってきただけにコロナ禍で辛かったです)娘はこのコロナ禍もマスクをつけて個人練習しながらこの習い事を続けてきました。コロナ禍前。老舗団体と厳しい先生(こっからは古参先生と呼びますね)と、若手先生の方針が食い違うようになり若手先生が団体を辞める事に。娘のクラスは先生について団体を辞めて続ける事に。その時古参先生が「あんたらなんていなくなってもうちにはKがいるんだからね!」と捨て台詞を吐いたのを私は覚えてます。Kというのは娘の一つしたの女の子。娘が習い事の団体の同世代の中で唯一「あの子上手だね」と言っていた子でした。Kちゃんは同じクラスで習ったことはないんですが一年だけ若手先生に習っていたらしくその後古参先生にスカウトされその遠いクラスに通っていました。自宅はうちから近いんですけどね。別に親しいわけでもないし連絡先知ってるわけじゃないしでも習い事を楽しんでいると思っていました。あんなに上手いのだから。娘は中学に入っても若手先生のクラスでその習い事を続けていました。学校では某文化部。何故なら習い事の日は部活を休んでもいいと言われたので。娘が中2になったある日「お母さん、Kちゃんがうちの部活に入ったよ」と。おお!懐かしい名前だね。げんきにしてた?習い事は続けてるのかな?と娘に言ったら少し黙って「小学校の頃から不登校気味らしいの。あと習い事は辞めたんだって」…ちょっとショック。あんなにのびのびとしていたのに。そのうち部活内で保護者と連絡先交換が必要となりでもKちゃんが学校に来てないので当然部活も来てなくて困って習い事関係から手繰り寄せどうにかお母さんとLINE交換できました。娘からは時々Kちゃん情報聞きました。「習い事を辞めたのは古参先生が嫌だったから」「習い事が嫌いになったわけじゃない」なので思い切ってお母さんにLINEで提案してみました。「もしよかったらKちゃん見学に来ませんか?コロナ禍でずっとお家にいたら体も鈍っちゃうし。古参先生が嫌で辞めたなら方針真逆な若手先生なら楽しくできるかも」と。そしたら「娘さんから何を聞いたか知りませんがうちの娘は古参先生とうまくやってましたし嫌いではありません。今もその団体とはうまくやっているので結構です。」と。あちゃーとは思いましたが娘からは何度もそう聞いていたのでどうもおかしい。なので「習い事辞めたと聞いていたのでわたしはてっきり古参先生が原因かと思ってました私の勘違いですね、失礼しました。もしお母さんがお忙しくて車が出せないから行けてないというのであれば娘の通うクラスなら徒歩圏内なのでKちゃんと歩いていけるかなと気分転換に参加できるかなと思っただけなので。お気になさらずスルーしてください」と返信しました。まぁそれ以降もKちゃんが学校に来れたら娘は「来れたらおいでね無理強いはしないから」と部活も習い事も声をかけ続けたそうです。「今日習い事の日だよね?ママがいいなら行きたいんだよね」と言われながら来ないこともありましたが。それでも娘はコツコツ話しかけ声をかけしていたそうです。ある日お母さんから「先日はお断りしたのに失礼かと思いますが娘が習い事に行きたいと言っています。私はついていけないのですが自分で行くから行きたいと。行かせてもいいですか?」とLINEが。「どうぞ。」と返信し先生にも連絡。先生だけには事情をお話ししておきました。先生も習い事で不登校が改善する、まではなくても少しでも彼女の心が元気になれるのなら喜んで、と。Kちゃん、相変わらず表現力が素晴らしかった。とても2年以上まともにやってないとは思えなかった。それから数回Kちゃんは見学に来ました。幼稚園の頃一緒にやった経験のある娘の一個下のSちゃんや更に下のHちゃんもいるので来やすかったのもあったのかもしれません。しかし昨年秋から若手先生が原因不明の体調不良からレッスンに来れなくなり。最年長の娘。高校受験と並行しながら習い事の指導まで始め。なので、Kちゃんママから「毎週いくのは無理かもしれないけどこのクラスで習いたいと娘が言い出した。入れてもらえないか」と連絡もらったけど「先生が来れなくなっていて教える人がいないので…」と答えるしかできなかった。娘が高校を卒業しKちゃんと会わなくなるなぁと思っていたら部活関係でKちゃんとLINEを交換してきた娘「Kちゃんが先生いないけどやりたいから参加させてって」と。ママからも再度同様のLINEがきたので現状了承いただけるのならと。そして、今に至ります。今度地元のイベントに参加。Kちゃんはうちのグループでは初参加になります。娘の指導で作り上げたもの初披露となります。本当は若手先生に一番に見て欲しいんだけどな。「ずっと続けて欲しい」と言われた娘の習い事今度は新しい形でお披露目です。緊張しますね。
期間空きすぎてどこまで書いたか何を書いたか忘れたけどつらつら書きますね。体育祭で少し息を吹き返した息子。そこからは学校を休まず行くように。高校も進学校なので放課後希望者は特別課外。もちろん塾に行くより断然安いので貧乏な我が家はそこに頼るしかない。進路相談は旦那がいつも行ってくれてました。不登校が長かったので卒業もギリギリ。なので推薦や書類提出系での大学受験は無理。とにかく一般入試に賭けるしかない。進路は理系、物理系とのこと。そうかんがえると学部多そうなんだけど、息子は宇宙関連に進学したいと。そうなると国公立では限られます。小さい頃から家族で県外の天文台まで何度も星を見に行って寒い中空を見上げていた我が家。そっか…そんなに好きなのか。第一志望は自宅からの距離を考えても片道だけでほぼ一日中。交通費も…そして何よりその大学のその学部は東大並みの偏差値。不登校な息子には絶対無理。第二志望は自宅から遠いけど新幹線で2時間。一応陸続き。ただし秋の時点でD判定。第三志望は隣県で車で2時間半ほど。秋の時点でC判定とのこと。旦那はたぶん第三志望かなぁ…それかもう少しレベル下げて…みたいな話もしていた。元旦模試で第二志望はC判定まで上がったけどみんなB判定のところを選ぶそうでどう考えても厳しいよねとでも本人は第二志望受けたい!と。この時点で私と旦那は私立には行かせられないし落ちたら浪人させようその覚悟で第二志望を受けさせようと話していました。そして共通テスト。数学が伸びずそして何故か何故か理数科なのに地理がありえん高得点🤪地理に助けられましたがやはり第二志望はC判定。第三希望はギリギリB。最後の個人面談で先生も厳しいと思うという話だったけどやはり本人は第二志望を受けたいというので日にちが重なる第三志望大学は却下。前期中期後期、受けれる大学を決め。第一志望受験。前乗りし、私もついて行きました。校内を見学。写真もパシャパシャ。息子が試験受けてる間居住地区付近うろうろ。時間後出てきた息子。半泣き。数学がやはりネックだったようで。帰り道もう2度とかないかもなぁと目に焼き付けるようにして新幹線に乗り込みました。帰ったらすぐ中期試験の日のホテルと新幹線予約しました。それが中期試験の日が合否判定でして。前の日が娘の卒業式ということもあり私も旦那もどうしても仕事休めず1人で行かせる事に。1人知らない街で合否見るのか…落ちてたら帰りの新幹線大丈夫なのかな…と不安に思いながら送り出しました。第二志望(この時点ではもう第一志望)の合否はネットで見れるとのこと。学部名と受験番号を息子から聞いてとりあえず発表開始時間は息子は試験中なので私が旦那が合間に見よう、先に見た方がLINEしようということで。でも正直諦めていました。予備校の入学金は学資ローン借りようねと銀行も調べていました。私がなかなか仕事が忙しく小休止でハッと気づくともうお昼前。スマホ見るとラインの着信あり…どきどき開くと。「息子の番号、〇〇〇〇であっとるんよね?」と旦那。下にはその番号の載ってるスクショが一枚。え?え?私も合否発表のHPを開く。息子から聞いて紙に書いてきた番号探す。ある。うそだ。思わず姉にそのスクショとHPのアドレスを送り息子から聞いたその番号の紙も写メして「ねぇ、受かってるよね?息子の番号あるよね?」とLINEした。姉も心配して待っていたのかすぐ返事が来た。「うん、あるね。ただこの番号書いたの間違ってるとかないよね?」ハッ!!確かにそうだわ。時計見ると息子の中期試験終わる頃。思わず「前期試験の受験票の写メ送れ」とLINEしてしまった。1時間くらいしてその写メが無言で送られてきた。番号を確認する。間違いない。そして息子から「やった!やったよ!」とLINEが。泣いたよね、職場で。そしてずっと不登校から知ってた同僚も泣いてくれて。高校まともに行けなかった息子行きたかった学部の国公立大学に受かりました。これ、後日談ありまして。わざわざ受けた中期日程の大学。共通テストではB判定だったのに落ちてました🤪それぐらい微妙なんだなー、と。前期に受けたところは二次試験が三教科。中期は数学のみ。数学に難があった息子は数学以外もあった方がよかったようです。その5以降は今以上にぽつりぽつりになるかと。次は娘かな。
息子の研修旅行。コロナ禍で中止になるかも。他の学校の修学旅行とか中止になったりしてたし。ところが息子の学校の取引のある旅行代理店かなり優秀で尚且つ校長も英断の塊だったんでしょうね。行けました。皆が参加できるよう現地の移動はすべてバスが徒歩。移動の飛行機は地方空港離発着でほぼ貸切。ホテルは狭いけど全員個室。(ちなみに修学旅行もほぼこの状態にして九州なのに北海道へ。他校はどこも九州近郊へのバス旅行だったのに)誰もコロナ感染なく過ごしました。息子は長年の夢だったJAXAにも行けてそれから少しずつ登校できる日が増えていきました。部活は相変わらず大会もなくあっても保護者は会場に入れず息子もスイミングに行けないままなのでタイムも伸びないまま。でも少しずつ息子の止まりかけていた時間が動き始めました。無理して行かなくてもいいでも目標があってそうしたいなら動けるだけ動く。高三になる時担任の先生も変わらず受け持ってくださったのが大きかったと思います。三年に上がって息子がまた少し輝けたのは体育祭の応援団でした。三年時は規模を縮小しながら開催するとのことで応援団も復活する、と。中学の頃応援団をしていた息子、立候補。希望者が多くオーディションをすることに。落ちたらまた不登校復活するんかな…と不安だったけど経験が生きたのか合格!!!!「腰を落とした動きが安定してていいって褒められた」やっぱり人って成功体験大事なんだなぁ…そっから息子。娘の指導で練習🤣無事体育祭で応援団やれました。保護者も入れて目の前で見て…泣いたよね。続く。
息子の不登校。とにかく息子に聞いても「行きたくない」ではなくて「行けない」旦那と担任の先生で何度も話をし今日は校門まで行く、とか校門をくぐって入る、とか繰り返してくれました。確かに息子の性格、特性もあったと思いますがコロナ禍も大きかったと思います。5歳から続けていた水泳。スイミングスクールでクラスターが起き「行きたいけど行けない」状態になりました。感染リスクを考えるとどうしても行けない…と。泳ぐ場がなくなり息子の日常は大きく変わりました。娘のダンスと違い施設がないと泳げない水泳は好きだけど続けられない状態になってしまったのです。部活の水泳は陸トレもあるので続けて参加していましたがよくしてくださった先輩方が引退。予定していた試合もどんどん中止。モチベーションは下がるばかり。私も息子と何度も話しました。高校に行くのが難しいなら通信制の高校に転校しようか。提案しました。でも息子はそれを拒否。理数科のカリキュラムが受けたくてそこの目玉の筑波への研修に憧れてこの高校を受けた、と。「中学と違って高校は行かないと辞めさせられるんだよ?行かないとそのカリキュラムも研修も行けないまま退学になるんだよ?どうするかは自分で決めていいけどこのままだと辞めさせられるってことだけは頭の片隅に置いておいてね」と話しました。筑波研修の話が高校からのお知らせできた頃から少しずつ登校するようになりました。まだ時々行けない日はあったけど。それだけ行きたかったんだと思います。ただ中止になる可能性もある。そうしたら息子の心はどうなるんだろう。本当に苦しい時期でした。続く。
いろいろありましたわ。なんせコロナ禍でしたもんね。とりあえず3年前息子は高校娘は中学に進学しました。息子は市内で唯一の理数科の進学校へ。市内でも上位の進学校ですから親からしたら最下位でなければ赤点さえ取らなければ卒業さえできればそんな思いでした。実は市内でしたが学区が隣の高校で理数科だけがしない唯一だからうちの学区も受け入れ可なのでうちの学区から通学は数名しかおらずうちの区からは息子だけ。コロナ禍もあいまって友達がなかなかできない。張り切って入った部活水泳部も残念ながら男子は1人。元々も性格もあって本当に友達ができず。一年の終わり頃から学校に行けない日ができ始め2年の一学期の期末テストをぶっちぎるという暴挙に出ました。休みたい日は休んでいいし試験も悪い点だとしても一切責めないから受けるだけ受けておいでといつも送り出していただけに旦那もわたしもショック。実は私コロナ禍で仕事が止まり収入が激減したため息子が2年になる時に転職したんですね。医療関係が人手不足だからと身内のスカウトで。なので有給がない。なので息子に何かあっても休めない。すると旦那が「(息子)の学校から僕の方が勤務先近いから(息子)のことは僕がみる。」と言い出しまして。息子の高校が旦那の実家の徒歩圏内だったこともあり学校の正門まで行ったはいいがそこから行けなくなった日は義実家に居させてもらい旦那が仕事終わり次第拾って帰るもしくは旦那が学校によって先生と話して帰るそんな日々が続きました。続く。
娘、まだ今も踊ってます。もう今年で16になるのにね。
ご無沙汰しています。てか誰もみてないだろうけど実は長年ログインできなくて乗っ取られたかな?と思っていましたがスマホ買い替えたらログインできた🤣あの頃中3だった息子はこの春から大学生になりました。コロナ禍でほんとこの3年間大変でした。私は2回転職し今は大学時代にとった資格で働いています。娘はあのままダンス続けていますが娘が習っていた先生が体調崩して例のパワハラ先生のダンスチームはこの春に解散。娘本人はこの春から高校生に。そう、ダブル受験でしたの🤣やっと今落ち着きましたがまだやること多くておちつきません。Twitterががちゃがちゃしてきたので気持ちをここに書き出してリセットする意味でいいかなと再開することにしました。誰もみてないと思うので笑ではまた改めて。