聖地到達のあと
さて、大聖堂もそこそこに同じく興奮の薄い夫とともに巡礼事務所へと向かい、スタンプがたまった巡礼手帳3冊を見せ、名前と距離の書かれた賞状のような証明書をもらう。
有料なので「買う」んだけれど、ここはあえて「もらう」と言いたい。
850kmの歩行は金銭に絡めたくないのである。
そして済州の「オルレ」とスペイン「カミーノ」の両者は提携しているので、両方歩いた証明書とメダルももらいに行く(これは無料)。
こちらはちょっと誇らしかった。
大人になってから賞状をもらう機会はあまりないので嬉しい。
いつか額に入れて家に飾ろう。
そしてその後、8年前《フランス人の道》を歩き終えたあと、同時期に巡礼を終えた日本人が集まって食事をしたレストランへ向かった。
わたしはガリシア風スープと白身魚のソテー、夫はレンズ豆のスープとステーキのセットを注文。
どちらもボリュームたっぷりで満たされる。
前回はあのへんに座っていたなあ、などと懐かしく店内を見回し、夫の第一印象があまりよくなかったことまで思い出したが今その話はおいておく。
8年前《フランス人の道》を歩いたとき、わたしと夫はそれぞれ別の日本人と一緒にゴールしていた。
彼らはわれわれよりかなり年上であり、夫と歩いていた男性など70歳を超えていたが、しかし友人としか言えない関係である。
われわれが出会ったのはサンティアゴに着いた後、その友人たちを介してであった。
今回巡礼路を歩きながら、わたしも夫もそれぞれの友人のことを頻繁に思い出していた。
たしかにわれわれにとってカミーノは、伴侶との出会いの道である。
しかしそれ以上に友人との思い出の道だった。
2回目を歩き終えてわたしはそのことに気づいたのだった。
サンティアゴ観光
サンティアゴに2泊とったわれわれが何をしていたかというと、ここでも博物館めぐりをした。
ひとつはガリシア民族博物館、もうひとつは巡礼博物館である。
ガリシア民族博物館では農業や漁業の道具、民族衣装などこの地方の文化が幅広く展示されており、なかでも建築様式についての展示が興味深い。
というのも、高床式倉庫や石垣、薄い石を重ねたような屋根、上下で分かれているドアなど、カミーノで見てきた民家についての図や模型があったからである。
たとえば高床式倉庫の壁は穴が空いたレンガで構成されていることが多かったが、その穴の配列もレンガによって違うのだなあと新たな発見があった。
巡礼博物館を訪れるのは2回目だが、前回あまり印象になかったサンティアゴの考古学展示や、素朴な巡礼者像などをゆっくり見て回った。
連綿と続いてきた巡礼の歴史の最先端に、われわれはいるのだということを思った。
わたしは8年前のサンティアゴ滞在中、友人が買ってきてくれたサンティアゴ・ケーキ(スペイン語で「タルタ・デ・サンティアゴ」という)がとてもおいしかったのを思い出した。
それはケーキ屋ではなく修道院で売っていて、その修道院には小窓と格子があり、そこで品物と支払いのやりとりをするのだという。
そのような断片的な情報から
「修道院なのに、お互い顔を見せないいかがわしいホテルのような仕組みなのかしら」
と秘密めいたやりとりを期待してワクワクしながら出向いたのだが、小窓の横のブザーを押すとすぐに柔和なシスターが現れ、双方の顔は丸見えであり、普通に注文して普通にタルトを受け取り、やましさなどカケラもなかった。
ああ神様、俗な想像をしていたわたしをどうかお許しください。
その修道院のケーキを宿に持ち帰ると、8年前に食べたものとは違ったが、これはこれでものすごくおいしかった。
そもそもサンティアゴ・ケーキはアーモンドの入ったシンプルな焼き菓子で、アーモンド風味のしっとりした生地がその全てである。
これまでも何度かパン屋などで買って食べていたが、生地はスポンジが「主」でアーモンドは「従」であった。
しかし修道院のケーキは砕いたアーモンドが「主」であり、ゴロゴロとしたアーモンドの食感がある。
アーモンドと生地が、まるで石垣とその隙間の砂地のような関係性であった。
そしてその結果素材の味が砂糖の味を上回り、甘すぎない素朴なおいしさがきわまっているのである。
われわれは翌日も修道院に行き、今度は純粋においしいケーキを期待して、小窓のブザーを押したのだった。
(巡礼博物館にて)
(巡礼者像の横顔がアンニュイ)
(ガリシア民族博物館、高床式倉庫の模型)
(これも模型。こういう形は初めて見た。実物をぜひ見てみたい)
(高床式についての説明。
非常に参考になる)
(このように屋根が薄い石でできている家はたくさん見た)
(修道院のアーモンドケーキ)
(例の小窓)