分かれ道
《北の道》にはやたらと分かれ道が多い。
《フランス人の道》にも分かれ道はあったが、こんなに頻繁ではなかった。
たとえば宿やバルが少ないエリアに第2の選択肢としてちょっとした都市部を通る道ができていたり、山の道と並行した海の道が用意されていたりする。
あまりに頻繁に選択をせまられるのでつい
「どっちでもいい、矢印についてくから決めてくれ」
という気分にもなる。
旅は選択の連続であり、わたしはそれを旅人の責務と思いつつ、夫の分も含めて選択し続けることを面倒だと感じているのだ。
そんな《北の道》のなかでも大きな決断を迫られるのは、中盤のアストゥリアスで、ヒホンとオビエド2つの都市のどちらをとるかという点であろう。
カミーノは矢印や標識どおりに進めばゴールに近づくという、基本的には選択の余地のないシステムである。
そういう何も考えなくてよい、何かについていくだけのぽーっとできる時間が魅力なのに、またいろいろ調べて決めなきゃなんないのか……と思うと少々うんざりした。
しかし選ぶならきちんと選ぼうとしてしまう生真面目な旅人であるわたしは、海のヒホンと山のオビエドのうち博物館がおもしろそうな方に行こうと決めた。
そして10日ぶりの連泊で身体を休めつつ、観光もするのだ。
巡礼路はバスク→カンタブリア→アストゥリアス→ガリシアの4つの州を通る。
バスクではビルバオ、カンタブリアではサンタンデールが中心地。
そしてガリシアの州都は巡礼ゴールのサンティアゴ・デ・コンポステーラである。
大都市に興味はないが、ビルバオではグッゲンハイム美術館、サンタンデールでは考古学博物館など素晴らしいミュージアムがあった。
そう、大都市にはミュージアムがある。
ミュージアムには楽しさがある。
じゃあアストゥリアスの州都オビエドにも行っちゃおうかな、ね、いいよね?
という流れでオビエドルートをとることに決め、いつもどおり夫は特に意見を出さず追認した。
スペインの食べにくい菓子
さて、オビエドでは民泊形式の宿に2日間予約を入れた。
共用キッチンつきのアパートであったため、夕飯は2日とも自炊。
そして近くのパン屋に夕食と朝食用のパンを買いに行ったところ、そのパン屋には焼き菓子も並べられていたので思わず目がいく。
わたしは「トゥロン」というアーモンドを使ったババロアのようなケーキを、夫は「ミルオハス」という白いクリームをパイではさんだシンプルなケーキを選んだ。
別のカフェでこの「ミルオハス」を見たときから、夫はこのひたすらに白い立方体の菓子を気にかけており、それはきっと生クリームがつまっているのだろうと予測していた。
しかし持ち帰って宿で食べると、中身は生クリームではない。
マシュマロのような食感である。
この白いクリーム状のものは何なのだ、と思いレシートを財布からひっぱりだすと「ミルオハス・メレンゲ」とある。
メレンゲ……そうかメレンゲか。
すごくおいしいわけでもまずいわけでもなく、ただメレンゲだなあという事実を淡々と受け入れるしかない味である。
そしてどう工夫しても上部のパイ生地がグチャっと横倒しになる構造の菓子であった。
フォークを垂直に下ろしてもうまく切れず、食べにくさの印象が味の印象を上回っている。
夫は食べながらこう言った。
「なんでスペインの人はこんな食べにくいお菓子にしたんやろなあ」
夫は普段からあらゆることに「なんで」「なんで」と言ってくるので、わたしはいつも「そんなことは学校の先生に聞きなさいッ」とでも言いたい気持ちにかられるが、この菓子についてはわたしも「なぜ」と問いたい。
しかしその食べにくさゆえにわたしはこの「ミルオハス」を忘れないだろう。
そして「ミルオハス」を食べたオビエドのことも、オビエドを擁するアストゥリアスのことも記憶に残るだろう。
食べ物の記憶というのはこのように、案外「おいしい」以外の要素によって構成されているのかもしれない。
オビエドでの甘い発見であった。
(ケーキが入った包み。
日本と違い箱には入っておらず、紙皿の上にケーキがのっかり、それを紙で包んでいる。
リボンで結ばれているのもかわいいのでウキウキした気分になったが、夫によると「酔っ払いが持って帰るお寿司みたい」とのこと)
(左が「ミルオハス」。カスタードも入っている。
ちなみにスペイン語で「ミル」は「千」、「オハ」は「葉」)
(ヒホン/オビエドルートの分かれ道)
(オビエドに向かい、海を離れて内陸へ)
(アストゥリアスはバラの花がきれい)
(見たことのない星のような花)
(日の当たる特等席)
(カミーノでは古い橋をいくつも渡る)