巡礼が不安だ
スペインの「カミーノ」というのは、済州の「オルレ」のモデルとなった巡礼路である。
巡礼者のシンボルであるホタテ貝をバックパックにつけ、壁や標識に書かれた黄色い矢印をたどってひたすらゴールに向かって歩く。
町や村には巡礼宿が整備されている。
老若男女入り混じって2段ベットの部屋に泊まり、翌朝また歩き出すのだ。
巡礼宿は「アルベルゲ」と呼ばれており、比較的安く泊まれる場合が多い。
さて、われわれはマドリードから《北の道》のスタート地点、イルンへと向かった。
イルンにもアルベルゲがあり巡礼者たちが集まっていた。
そしてその日にわたしの生理が始まった。
最悪のタイミングだ。
なぜ生理生理と言うかというと軽い風邪などよりよっぽどしんどいからであり、一番身体にこたえる巡礼初日に生理2日目であることを書いておかねば割に合わない気がするのである。
巡礼をすることも女であることも決して楽しいだけではなく、たまにものすごくつらい。
それが旅の真実である。
それだけでなくわれわれはほんの数日前までタイにいた。
タイからスペインへの移動は、トロピカルな酷暑から初春の肌寒さへの移動を意味する。
そうした気候の変化にわたしはめっぽう弱い。
一般に大きな環境の変化は自律神経に影響を与えると言われるが、わたしの自律神経は移動のたびに自律するのをやめる。
当たり前だが旅人がみな強いわけではなく、わたしは読書と美術鑑賞が趣味のただの30代女性で運動習慣などまったくない。
以前巡礼路を歩いたときは若さで乗り切ったが、今はその若さすらイマイチなのだ。
不安で不安で仕方がないが、歩くほかはない。
巡礼初日
巡礼初日、宿で朝食をとり、スタート地点のイルンを出て歩き出す。
15kgの荷物を背負い、20kmほどの道を歩く日々が始まった。
ダラダラと出血しながら、
バルはまだかな、トイレ行きたいな、もれてませんように!
と念じて歩く。
しかも朝から雨が降ったのでカッパを着用し、強風の肌寒さを感じながらの歩行であった。
1日目の行程を終え、なんとかサン•セバスチャンの町に着いたときには肉体的にも精神的にもぐったりしていた。
夫はくるぶしを、わたしは肩をひどく痛めている。
1日目が最もつらいということは予測していたが、しかしまあ、なんというか、予想通りひどく疲れた。
そもそもわれわれの長期旅行用の荷物は、せいぜい1、2か月のカミーノの装備だけのほかの巡礼者よりもはるかに重く、その分身体への負担は大きい。
特に夫の荷物は合計20kgを超えており、他の巡礼者の倍くらいあるであろう。
宿のある大都市に着いたので一刻も早く宿で休みたかったが、町の入り口にある公営のアルベルゲはすでに満室。
仕方なくカフェでWi-Fiをつなぎ、近くの安ホテルを探して泊まった。
誤算
1日目を終えて、これはたいへんなことになったとわれわれは気づいた。
8年前の《フランス人の道》では宿に困ることはなかった。
地図など何も使わなくても、
「疲れたから今日はここまで! おっとそこに宿があるからこの町に泊まろう」
という感じで安心して歩けた。
しかし《北の道》は宿だけでなく、重要な休憩・トイレ・水分補給場所であるバルも少なく思える。
宿の場所や途中の町の様子を確認するため、カミーノのアプリをダウンロード。
そうしためんどくささから離れたくて田舎にきたというのに何という矛盾であろう。
なんでもかんでもアプリになる世の中など心底きらいだ。
しかしただでさえ円安で苦しい今、安宿がとれなかった場合の出費は大きすぎる。
というわけで1日かけて歩いたあとも、宿で休む時間を削り、アプリを見ながら翌日の計画を練らなくてはならなくなった。
行き当たりばったりの愉快なカミーノはどこへ行った。
信じたくはないがつまり今われわれは難易度の高い道にいる。
前途多難なスタートである。
(雨装備の夫。
荷物が大きすぎて頭の高さを超えている)
(ひんやりとした霧雨の向こうに見える町)
(矢印が海の方向に向かっており、道がない。
一瞬焦ったがすぐに小船がやってきたので乗船。
《北の道》ならではの海の道で向こう岸に渡る。
ちなみに船は有料)
(サン•セバスチャンの宿の近くの小さなバル。
初日は自炊する時間も気力もなくなり外食した。
ハンバーガーを注文したらレアで肉汁がしたたっており、高いけど、さすが美食の町と納得)
(バルの兄ちゃんが「アンチョビを試してみろ、これがこの店のオススメだ」と言うので食ってみたらやたらおいしかったので2つ追加。
すり下ろしたトマトをバゲットに塗り、その上にアンチョビのガーリックオイル漬けを載せる。
ビールの美味さが何倍にもなる、宝石のようなピンチョス(スペインのつまみ、軽食))