インドネシア・コーヒー紀行 | ハゲとめがねのランデヴー!!

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『深夜特急』にあこがれる妻(めがね)と、「肉食べたい」が口ぐせの夫(ハゲ)。
バックパックをかついで歩く、節約世界旅行の日常の記録。

 

インドネシア・コーヒー紀行

 

 

その土地に行く前にはぼんやりとしかかたまっていない旅の道程が、行ってみると意外なテーマが見えてくることがある。

 

インドネシアの場合それはコーヒーだった。

 

インドネシアの豆は日本でもよく見かけるが、どちらかというと中南米やアフリカの豆を買うことが多く、インドネシアの豆に注意を向けたことがあまりなかった。

 

しかしインドネシアで飲んだ1杯目のコーヒーが、久々の「本物のコーヒー」だったのである。

 

フィリピンのセブから飛行機でインドネシアの首都ジャカルタに着いたのは夜であり、そのため空港から遠くない宿を選んだ。

その宿の1階はカフェになっており、コーヒーのほか軽食メニューもある。

 

20代の頃とは違い、初めての国に到着するとワクワクよりもグッタリが勝つ。

しかも今回は夜の移動とあり、なおさら緊張していた。

 

宿でサンドイッチとコーヒーを頼み、てきぱきとしたスタッフが淹れてくれたカプチーノをひとくち飲むと、

 

ほう……

 

とため息がもれた。

 

ミルクのほっとする甘さと、疲れを芯から癒やすコーヒーの苦味と、どちらも感じられる味。

 

もちろん翌朝も併設のカフェで朝食を注文し、今回は「Japanese」を選ぶ。

円錐形ドリッパーV60で淹れたアイスコーヒーのことをインドネシアではそのように呼ぶらしい。

 

このドリッパーが日本発であるためその名がついたのか、それともV60でアイスコーヒーを淹れることが日本独特のスタイルであるのかいつか由来を知りたいものだが、ともかくわたしはハンドドリップのアイスコーヒーを注文した。

 

するとどの豆がよいかと選ばせてくれ、今いるジャカルタと同じジャワ島西部の豆を選んだ。

丁寧に淹れてくれた酸味のあるコーヒーは、旅の幸先を良くしてくれる味だった。


 

その後観光地であるファタヒラ広場近くの宿に移ったが、その周辺にもチェーン店ながらコクのある、ココナッツ風味のコーヒーを出す店があった。

 

その店は私と夫のお気に入りとなり、毎夜毎夜ココナッツコーヒーを買い求めに行った。

 

わたしと夫は心のどこかで、「心からおいしいコーヒーを飲める日常」を求めていたのだ。

 

シングルオリジン(同じ産地の豆のみのコーヒー)で豆を選ばせてくれるような、バリスタがこだわって豆を選んでいることを感じさせる店は、今回の旅で訪れた国では決して多くはなかった。

 

もう、インドネシアはコーヒーだ。

コーヒーの旅をしよう。

 

雨季のジャカルタ。

 

暑さと湿気にやられて交互に下痢をしぐったりしながらも、わたしたちはインドネシアでコーヒーを飲みまくることを決意したのだった。

 

 

 

おいしいコーヒーは口紅の味

 

わたしと夫の日本での暮らしは安い借家でのほそぼそとしたものだった。

 

しかしコーヒーに関しては日々のプチ贅沢として、たまに焙煎所に豆を買いに行ったり、マシンを買ったり、コーヒーの淹れ方の本を見ながらお湯の分量を量って淹れたりしていた。

 

わたしは赤みがあって透き通っていて、酸味と甘味をあわせ持つまろやかな味のコーヒーが好みであり、一方夫は重厚感のあるコーヒーにミルクを入れて飲むのが好きだ。

そのためもあって、家では夫がエスプレッソマシン担当、わたしがハンドドリップ(プア•オーバー)を受け持ち、ほぼ毎日何かしらのコーヒーを飲んでいたのだった。

 

ちなみにわたしのコーヒーへの関心は、ワーホリで長期滞在していたオーストラリアがきっかけであった。

 

語学学校のあったメルボルンはカフェの町であり、バリスタ(コーヒーの専門家)のシェアメイトからコーヒーに関する話を聞いたりたまにカフェに立ち寄るうちに、それまでは「一番安いメニューだから」という理由で飲んでいた黒い液体が、「幸せな時間をもたらす飲み物」に変わっていったのである。

 

 

さて、コーヒー豆のパッケージには、産地やフルーティーさ、苦味などの特徴のほか、その豆がどのような味なのかの説明が書かれている。

 

そこには「ダークチョコレート」「ラズベリー」「アーモンド」などと列挙してあるので、こちらはそれをもとに必死に味を想像する。

 

しかし実際味わってみると、

 

「そう言われれば酸味がオレンジぽいかもしれんがピーチはどの部分だろうか……」

 

という問答におちいるはめになり、わたしはまだ自分の舌が肥えていないことを残念に思う。

 

しかしわが夫はすでに決まっている味の表現など一切無視し、独自の感覚で味を分析している。

たとえば、

 

「これはお母さんの口紅の味やな」

「友達の家のにおいがする」

 

などという表現を用いていた。

 

「アンタは母親の口紅を食ったり友人宅を嗅ぎ回ったりしたことがあるのか」と問いただすと「ない」と言っていたのでよかった。

 

ただ「口紅の味」はなぜかわからなくもない表現であり、とてもおいしいコーヒーであったと記憶している。

 

 

そんなわけでわれわれはうまいコーヒーを探しながらジャワ島を東進していったのだった。

 

 

 

(ジョグジャカルタのクラトン(王宮)の展示物。

このような優雅な器でどんな飲み物を飲んでいたのか)

 

(和の柄が洋の形に合っている)

 

(白い鳥の図柄が、ほんのりとピンクの地の色から浮き出ていて優雅。

 

王宮でどのような器を使っているのかというのは、各国で比較するとおもしろいテーマになるかもしれない。

トルコのトプカプ宮殿は日本や中国の陶磁器のコレクションがあった)

 

 

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